8月14日(木)昨日は富士五湖から身延山久遠寺の観光を終え、静岡市の西方で国道1号線沿いにある道の駅「宇津ノ谷峠}で車中泊をしていた。
昨夜は比較的早く睡眠についたせいか、朝早くから目覚める。
今日も天気は良さそうで青空が、山上に広がっている。
早速、朝食の準備をしていたところ、隣の駐車場で車中泊していた夫婦にあった。
妻がたてたコーヒーを勧めると気軽に飲んでいただいて、会話が始まった。
この方達は、広島県宮島のある街に住む夫婦で、2週間の東北旅行からの帰り道とのことで、奥さんがほとんど運転され、御主人は地方の空いた道を運転されるとのことであった。
私どもとは正反対である。
また、奥さんは大手企業研究所の助手を、永年勤めて定年退されたようで、話しも活発であったが、ご主人はにこやかな表情ではあるが、会話は少なかった。
この夫婦と別れた私達は、1号線を名古屋方面に向かって行った。
走り始めてすぐに、このまま真っ直ぐに家に帰るのはもったいない、この天気なら焼津の海岸から富士山が見えるはず 「行ってみよう」 と言う事になり、早速、カーナビを焼津の石津浜公園にセットして進んで行った。
1号線バイパスから一般道路に入り、15分ほどで石津浜公園に到着する。
果たして、この海岸から富士山が見えるかどうか少し心配していたが、ご覧のような富士山が見えていた。
この海岸から駿河湾を挟んでの富士山は美しいと思った。
11月頃になると頂上付近に雪をかぶった富士山であれば、もっとはっきりと美しく見える ・・・と思いながらシャッターボタンを押していた。
焼津石津浜から駿河湾を挟んで見える富士山
駿河湾の向こうに見える丘のような山が観光の名所「日本平」でここからの富士山も美しい。
石津浜でブルーシートの日除けを作り漁をしている人達と富士山
ひさしのある休憩施設・自転車と富士山
施設にある見所の看板と富士山、ここからは伊豆半島も見える
石津浜からの富士山
焼津市石津浜から、駿河湾を挟んでの富士山の撮影を終えた私たちは、国道1号線よりも海側を走る国道150号線を御前崎方面へ進んで行った。
途中の吉田町を通行中に突然お城が現れた。
どこの城だろう! 興味が湧いてきて立ち寄って見ることにした。
この城は小山城跡に建てられた、戦国末期の平山城である。
当時、遠州進出を企てていた甲斐の武田信玄は、この地域の重要拠点である小山砦を攻略、1571年に修築して小山城と命名した。
城主に越前守長秀を起用した。
徳川軍はこれを攻め取ろうとして、10余年にわたる激しい戦闘の末、1582年に落城した。
城跡には三日月堀、三重掘、井戸掘がある。
落城の悲しい物語もあるらしいが、どんな悲しい物語かは分からなかった。
落城の悲しい物語のある小山城
程なくして見学を終えた私たちは、国道150号線に戻り、御前崎方面に向かって行った。
この海岸線を走る道路の車窓からの、太平洋の景観もすばらしく、ドライブの楽しさが湧いてくる。
御前崎では、最初に灯台に行くことにした。
車は御前崎の街並みを通り台地にある灯台に向かって通行していく。
台地では風が強いのか、すべての樹木が陸方向に曲がった形状をしている。
車は程なくして、御前崎灯台の駐車場に到着した。
御前崎は地形の関係上、気象海象が激しく、暗礁などの海難事故も多い事から、航海の難所として古くから恐れられていた。
今から350年前に徳川幕府が、この地に船の道しるべとして燈明堂を建てたのが、御前崎灯台の始まりで、燈明堂の灯は240年間、灯し続けられた。
灯台周辺は「海と台地」をテーマとした公園になっていて「御前崎ケ-プパーク」と名づけられている。
この公園は灯台を中心に整備され、老若男女を問わずロマンチックな遊歩道や展望台、広場などがある。
ここからの広角度で見る青々とした太平洋の景観もすばらしい。
どこまでも続く太平洋の水平線や、沖合いを行き来する大きな船、それに、眼下の断崖の下に曲線を描きながら作られている道路、その横の浜辺には白い波が、幾重にも白線を引きながら打ち寄せている。
ホントに綺麗で美しいと思った。
こう言ったあまりにも大きい自然の景観に触れていると、何もかも忘れてしまいそうであった。
特に灯台の上にある展望台から、広く青々とした太平洋を眺めていると、
なんだか自分のハートが小さく思えてくる。
いつも小さなことに、こだわり過ぎているような感じさえしてくる。
この太平洋のように、もっと広い心で、大きな夢や希望を持って、活きていかなくてはと思えてくる。
やはり、自然はいい、このように大自然に触れていると、心が洗われ、明日へのエネルギーを与えてくれているように感じてくる。
御前崎灯台 敷地内からの御前崎灯台
江戸時代に作られた長尾火燈明堂(ながおびとうみょうどう)
燈明堂の内部 中央の陶器で240年間 灯がともされた
御前崎灯台から富士山を望む
御前崎灯台から西方の景観、当日は風が強く浜辺に打ち寄せてくる波が美しい
御前崎灯台からの眼下の道路や太平洋の景観
御前崎灯台から東方にあるホテルのプール
道路脇の海岸線から台地の上に立つ御前崎灯台と岬
御前崎の海岸に下りて、貝拾いなどをして楽しむ人たち
海岸に咲いた珍しいサボテンの花
昼過ぎに御前崎の観光を終えた私たちは、国道150号線から、浜名湖の最も海側で、太平洋や弁天島の景観の良い1号線バイパスを通り、豊橋からは国道23号線に入った。
この道路も、蒲郡を過ぎた幸田町から名古屋市内までは、ほとんど高架で信号機が少なくスムーズに走れた。
名古屋市内から伊勢湾岸自動車道を経由して東名阪道を通行、三重県の関ICから名阪国道を通行、奈良県天理ICから西名阪道を通り、阪和自動車道を経由して、大阪にあるマイホームに帰宅した。20時30分頃であった。今回は5泊6日の旅であった。
昨夜は比較的早く睡眠についたせいか、朝早くから目覚める。
今日も天気は良さそうで青空が、山上に広がっている。
早速、朝食の準備をしていたところ、隣の駐車場で車中泊していた夫婦にあった。
妻がたてたコーヒーを勧めると気軽に飲んでいただいて、会話が始まった。
この方達は、広島県宮島のある街に住む夫婦で、2週間の東北旅行からの帰り道とのことで、奥さんがほとんど運転され、御主人は地方の空いた道を運転されるとのことであった。
私どもとは正反対である。
また、奥さんは大手企業研究所の助手を、永年勤めて定年退されたようで、話しも活発であったが、ご主人はにこやかな表情ではあるが、会話は少なかった。
この夫婦と別れた私達は、1号線を名古屋方面に向かって行った。
走り始めてすぐに、このまま真っ直ぐに家に帰るのはもったいない、この天気なら焼津の海岸から富士山が見えるはず 「行ってみよう」 と言う事になり、早速、カーナビを焼津の石津浜公園にセットして進んで行った。
1号線バイパスから一般道路に入り、15分ほどで石津浜公園に到着する。
果たして、この海岸から富士山が見えるかどうか少し心配していたが、ご覧のような富士山が見えていた。
この海岸から駿河湾を挟んでの富士山は美しいと思った。
11月頃になると頂上付近に雪をかぶった富士山であれば、もっとはっきりと美しく見える ・・・と思いながらシャッターボタンを押していた。
焼津石津浜から駿河湾を挟んで見える富士山
駿河湾の向こうに見える丘のような山が観光の名所「日本平」でここからの富士山も美しい。
石津浜でブルーシートの日除けを作り漁をしている人達と富士山
ひさしのある休憩施設・自転車と富士山
施設にある見所の看板と富士山、ここからは伊豆半島も見える
石津浜からの富士山
焼津市石津浜から、駿河湾を挟んでの富士山の撮影を終えた私たちは、国道1号線よりも海側を走る国道150号線を御前崎方面へ進んで行った。
途中の吉田町を通行中に突然お城が現れた。
どこの城だろう! 興味が湧いてきて立ち寄って見ることにした。
この城は小山城跡に建てられた、戦国末期の平山城である。
当時、遠州進出を企てていた甲斐の武田信玄は、この地域の重要拠点である小山砦を攻略、1571年に修築して小山城と命名した。
城主に越前守長秀を起用した。
徳川軍はこれを攻め取ろうとして、10余年にわたる激しい戦闘の末、1582年に落城した。
城跡には三日月堀、三重掘、井戸掘がある。
落城の悲しい物語もあるらしいが、どんな悲しい物語かは分からなかった。
落城の悲しい物語のある小山城
程なくして見学を終えた私たちは、国道150号線に戻り、御前崎方面に向かって行った。
この海岸線を走る道路の車窓からの、太平洋の景観もすばらしく、ドライブの楽しさが湧いてくる。
御前崎では、最初に灯台に行くことにした。
車は御前崎の街並みを通り台地にある灯台に向かって通行していく。
台地では風が強いのか、すべての樹木が陸方向に曲がった形状をしている。
車は程なくして、御前崎灯台の駐車場に到着した。
御前崎は地形の関係上、気象海象が激しく、暗礁などの海難事故も多い事から、航海の難所として古くから恐れられていた。
今から350年前に徳川幕府が、この地に船の道しるべとして燈明堂を建てたのが、御前崎灯台の始まりで、燈明堂の灯は240年間、灯し続けられた。
灯台周辺は「海と台地」をテーマとした公園になっていて「御前崎ケ-プパーク」と名づけられている。
この公園は灯台を中心に整備され、老若男女を問わずロマンチックな遊歩道や展望台、広場などがある。
ここからの広角度で見る青々とした太平洋の景観もすばらしい。
どこまでも続く太平洋の水平線や、沖合いを行き来する大きな船、それに、眼下の断崖の下に曲線を描きながら作られている道路、その横の浜辺には白い波が、幾重にも白線を引きながら打ち寄せている。
ホントに綺麗で美しいと思った。
こう言ったあまりにも大きい自然の景観に触れていると、何もかも忘れてしまいそうであった。
特に灯台の上にある展望台から、広く青々とした太平洋を眺めていると、
なんだか自分のハートが小さく思えてくる。
いつも小さなことに、こだわり過ぎているような感じさえしてくる。
この太平洋のように、もっと広い心で、大きな夢や希望を持って、活きていかなくてはと思えてくる。
やはり、自然はいい、このように大自然に触れていると、心が洗われ、明日へのエネルギーを与えてくれているように感じてくる。
御前崎灯台 敷地内からの御前崎灯台
江戸時代に作られた長尾火燈明堂(ながおびとうみょうどう)
燈明堂の内部 中央の陶器で240年間 灯がともされた
御前崎灯台から富士山を望む
御前崎灯台から西方の景観、当日は風が強く浜辺に打ち寄せてくる波が美しい
御前崎灯台からの眼下の道路や太平洋の景観
御前崎灯台から東方にあるホテルのプール
道路脇の海岸線から台地の上に立つ御前崎灯台と岬
御前崎の海岸に下りて、貝拾いなどをして楽しむ人たち
海岸に咲いた珍しいサボテンの花
昼過ぎに御前崎の観光を終えた私たちは、国道150号線から、浜名湖の最も海側で、太平洋や弁天島の景観の良い1号線バイパスを通り、豊橋からは国道23号線に入った。
この道路も、蒲郡を過ぎた幸田町から名古屋市内までは、ほとんど高架で信号機が少なくスムーズに走れた。
名古屋市内から伊勢湾岸自動車道を経由して東名阪道を通行、三重県の関ICから名阪国道を通行、奈良県天理ICから西名阪道を通り、阪和自動車道を経由して、大阪にあるマイホームに帰宅した。20時30分頃であった。今回は5泊6日の旅であった。
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