気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

千年の時が現した出雲の空中神殿

2009-05-20 20:21:46 | 気ままな旅
 5月7日(木)昨夜から道の駅「大社ご縁広場」で車中泊をしていて朝早くから目覚める。
 広い駐車場を有するこの道の駅の隣りには、吉兆館という大きな建物がある。
 この建物は、「吉兆さんと番内」をテーマに大社町内の歴史や文化、伝統行事を紹介する展示館で、県外からの観光客もよく訪れているようである。
 また、この道の駅の北側にも、白い大きな鳥居の先端部分が見え、その奥には出雲大社のこんもりとした森が山裾から広がっている。
 朝食の準備をしていると、中年の男性が通りがかり、挨拶したところ話しがはずむ。
 地元の方らしく出雲大社にまつわる刊行物の、翻訳などの仕事をしているようで、色々と出雲大社のことを教えていただいた。
 やはり地元の方は、出雲の歴史や文化に対する造詣が深く、自分の住んでいる地域に、大きな誇りを持って話されているように感じる。
 朝食を終えた後、私たちは出雲大社正門まで、約1kmの松並木参道を散策することにして、 妻と二人、カメラをぶら下げながら出かけて行った。
 道の駅前交差点の角には、古代出雲人が作った国引神話に基づく、雄大な国引きのレリーフが描かれている。
 この地、大社町は 国造りから国譲りの神話の舞台であり、出雲の黎明を告げる場所でもあった。
 そして、現在は魅力ある地域発展を目指し、あたかも国を引くが如く、次世代の若い人々をはじめ、国の内外を問わずに積極的に交流して、新しい大社町の発展を祈願した 「未来を拓く」 というタイトルがつけられたレリーフであった。 

          
           車中泊をしていた吉兆館前にある道の駅「大社ご縁広場」

          
「未来を開く」大社町の発展を願って造られたという、出雲国風土記の国引き神話に基づいた「国引きレリーフ」

           
 手前にある白い宇迦橋と大鳥居のある神門通り  情緒があり松並木の続く神門通り

 その昔、この地域にある池を干拓する為に、開削されたいう堀川に架かっている宇迦橋(うがばし)を渡るとすぐに白い大鳥居がある。
 この大鳥居をぬけると、松の木が両側に植えられている神門通りが、真っ直ぐに出雲大社正門に向かってのびている。 
 大鳥居は鉄筋コンクリート製で、高さ23m、柱の周囲6m、中央の額面は畳6畳敷の広さである。 
 この松並木は、大鳥居と共に、九州小倉(現=北九州市)の小林氏より、大正4年に280本寄進されたものである。

 さらに松並木の神門通りを進むと右側に、一風変わった建物が目に入ってくる。
 一畑電車 「出雲大社前駅」である。
 屋根は丸みのある緑の瓦葺きで、正面を半楕円の形状で設計して、ステンドガラスを取り入れた建物てある。
 昭和5年に建築されたらしく、設計思想や出来栄えは別として、当時としては大変モダンな駅舎の建物であったように想われる。
 
          
             昭和5年に造られたモダンな一畑電車出雲大社前駅 
 
          
 曲線のある天上に鮮やかな色のステンドガラスなどを取り入れた出雲大社前駅舎内 

 大社前駅舎に立ち寄った後、松並木の神門通りを、さらに進むと目の前に出雲大社正門にある鳥居が見えてくる。
 その手前にある神門通りの一角に、「古代出雲大社模型展示館「雲太=うんた」」 があった。
 一般的に商店街の店舗と思われる建物を利用した展示館であった。
 何だろうと思って入っていくと、驚いたことに、数年前に新聞で読んだ記憶のある、巨大柱発掘による高層神殿の復元想像模型や図が展示してあった。
 これは、工事中の出雲大社境内で、古代建造物の巨大柱が、偶然に発見され、それに基づいて造られた、高層神殿模型の展示であった。
 私の興味度は一気に上昇してくる。
 新聞報道の記憶はあるものの、それ以後の情報は全く入っていなかった。
 この高層建築物は平成12年(2000年)4月、出雲大社境内の工事中に、古代末頃からの巨大な柱が偶然に発見され、明らかになってきたものである。
 それまでも、出雲大社の社伝によって、古代は16丈(48m)もの高さがあったと伝えらている。
 48mの高さは現在のビルで比較すると、15階建てビルの高さに匹敵するような、信じられない高さの木造建造物である。

          
               巨大建造物「雲太=うんた」完成想像図 

 「古事記」「日本書紀」には、出雲大社の神殿は、柱は高く太く、厚い板をもって千木(ちぎ=神殿など屋根のむねの両端に交差して組み合わせた長い2本の木)高く掲げて築かれたと、その壮大さを伝えている。
 平安時代の官宣旨(かんせんじ=勅宣を述べ伝えること、また、その文書)は、大社をして「天下無双の大廈(たいか=大きな建物)・国中第一の霊神」と称え、御祭神の大国主大神さまの御神徳の貴さと、その社殿の壮大さを表微している。
 出雲大社の言い伝えには、御神殿の高さは、上古には32丈(約96m)、中古には16丈(約48m)とある。
 平安時代の天禄元年(970年)の「口遊=くちずさみ」(源為憲著)には、当時の日本建築の高さのベスト3が「雲太(=うんた(出雲太郎)・和ニ=わに(大和二郎)・京三=きょうさん(京都三郎)」として記されている。
 「雲太」とは出雲大社が一番ということで、二番が大和の東大寺大仏殿、三番が平安京の大極殿を現している。
 東大寺の大仏殿が高さ15丈あったとされ、出雲大社の神殿は、それよりもさらに高い16丈である。

       
 大社境内の巨大建造物 御柱発掘現場  3本の柱を束ねた心の御柱(岩根御柱) 3本の柱径は約3.6m   

          
 発掘現場と境内での位置を現している。本殿に参拝する八足門の前から巨大柱が発掘された。 

           
      雲太神殿御柱(3*3*3=27本)配置図 心御柱の実物大模型(径=3.6m)

 古代の出雲大社本殿の各御柱は、3本の巨木柱を一つに束ねて、さらに一本の御柱として柱立されている。
 このことは宮司家の出雲国造千家家に、伝蔵の古代御神殿図の金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)に表されている。
 これは、古代の神殿を描いたもので、神殿の一辺は4丈(12m)の平面正方形で、各柱は、3本の柱を鉄の輪で束ね、一本とし、これを9ケ所、柱立している。
 9本の柱の中で中央の最も重要な柱が、「心御柱(岩根御柱=いわねみはしら)、中央の上と下の柱が宇豆柱(うづはしら)、両端の6つの柱が側柱(がわはしら)と呼ばれている。
 そして、正面の神殿までに架けられた階段の長さは、一町(約109m)と記されている。

           
   正面階段の長さは1町(109m)で、出雲大社神殿に向かって真っ直ぐに伸びている

           
       大社神殿や階段を支えている巨大な柱 上層部に作られた出雲大社神殿

 建久元年(1190年=鎌倉時代)頃、出雲大社に参拝して、こうした壮大な大国主大神さまのお住まいである神殿を仰ぎ見た寂連法師(じゃくれんほうし)は、
 「天雲(あまくも)たなびく山の半ばまで片削ぎ(かたそぎ=千木の先端部)の見えけるなん、この世の事とも覚えざりける」
 と壮大な神殿に驚きと感動を表している。

          
     現在の出雲大社本殿などを横から望む全景模型(本殿の高さも8丈(24m)ある。

          
現在の出雲大社 正面から見た全景、手前の門が八足門(やつあしもん)で、この門前から巨大柱が発掘された。 

          
        八足門を抜けると楼門があり、出雲大社本殿へとつながっている

 
出雲大社への道中に偶然に立ち寄った「古代出雲大社模型展示館「雲太」」、高さ48mの木造建築物や、直径140Cmに及ぶ杉材の柱、3本を束ねて1本にし、組み立てて高層の建築物を造ることは、現在の私にとっても想像すら出来ない驚きの連続である。
 深まる謎が次から次えと湧いてきそうである。
 やはり、出雲は神の国、神仏へ捧げる強い信仰心などが、知恵を生み、不可能を可能にするのだろうか!
 私には、48mの高層建造物そのものや、山陰地方独特の冬場の雪や強風、それに台風、地震などに対しての、維持や管理をどうされていたのだろうか!
 平地と違って、これだけの高層建造物の上部では、想像を絶する強風が吹き、相当、大きな揺れもあったと思われる。
 高層神殿の点検や補修などの工事も大変であったに違いない。
 この点も不思議で、謎が益々深まってきそうである。
 それにしても すごい歴史的な建築物の発掘であり、今後ともこの巨大な建造物に興味を引かれていきそうである。

          
                出雲大社の正門にある鳥居

 
 私たちは、偶然に出合った「古代出雲大社模型展示館「雲太」」の感動と興奮冷めやまぬ気持ちで見学を終えた。
 ここからは すぐ近くにあり、縁結びの神様として知られ、古代神話が今も息づく出雲大社、神門通りから出雲大社正門の鳥居をくぐり、緑豊かな参道を本殿にむかって進んで行った。


           

古代出雲王国の謎―邪馬台国以前に存在した“巨大宗教国家” (PHP文庫)
武光 誠
PHP研究所

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1 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (サムライ鉄の道リスペクト)
2024-09-14 23:52:01
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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