前回の投稿では、犬鳴不動渓谷に広がる七漠の七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)の滝である、両界の滝や塔の滝などと、犬鳴山にまつわる内容を、中心に紹介さしていただいた。
今回は日本最古の霊場犬鳴山の後半部分を紹介さしていただきます。
下記の山稜写真には、行者尊の住むといわれる犬鳴山中や伽藍、修行の場、尊像、滝などがある。
前回の項から、塔の滝の景観を楽しみながら参道を進むと、V字型の谷間に出来た駐車場に出てくる。その側には小さな伽藍が建っている。
弘法大師御自作の厄除け十一面観世音菩薩を祀っているお堂である。
大師は十一面観世音菩薩像を御自作開眼の上、本堂に奉安されて護摩の蜜法を修せられた。
特に男子42歳、女子33歳の大厄の者が厄除けを祈念すると、霊験殊にあらたかなりと尊信せられるようになったと伝えられている。
さらに十一面観世音堂の隣には宇賀耶白長弁財天(うがやはくながべんざいてん)が祀られている。
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役の行者尊が住まれているという犬鳴山の山峰、伽藍や修行の場、滝などがある
弘法大師自作の十一面観世音菩薩像が祀られている十一面観音堂
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諸縁吉祥、願望成就、家業繁盛に御利益があるといわれる宇賀耶白長弁財天(うがやはくながべんざいてん)
修験道祖である役の行者尊が開山に当たり、弁財天を弁天の滝に祭祀されていたが、一般参拝者の利便を考慮して現在の場所に安置して奉り、ご供養することになった。
十一面観世音菩薩と弁財天の前には、参道があり赤い鳥居が立てられている。
この参道は急斜面の則面に造られ、道幅狭く本堂に向かっている。
参道の下には、駐車場があり、その奥には、交通安全を祈念する赤い炎を背に、難切り大不動明王が祀られている。
赤い鳥居と本道への参道 交通安全に御利益があるといわれる難切り不動明王
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一心に祈念して病を全快させた 癌除けお岩竜王
癌除けのお岩竜王には、次のようなことが伝えられている。
天台宗の教師森川妙慎尼は胃がんと診断され、犬鳴山不動明王が命乞いの霊験まことにあらたであると聞き、それより月参り護摩祈祷を受け、また、志津の涙水を汲み、薬と共に服していた。
ある夜、夢中に志津の涙水付近より、大竜王が御出現して妙慎尼に告げる 「吾れは、お岩竜王なり、汝の病を救うべし」 と告げられるやたちまちに消え失せれた。
妙慎尼は夢のお告げをかたく信じ、不動明王に願をかけると共に志津の涙水付近を、お岩竜王の在所と観じ、一心に祈った、不思議やそれより、日増しに病気は回復し全快したのである。
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想いの修業僧を追って不慮の死をとげたお志津女を祀る お志津地蔵堂
また、此処の湧き水にも 「志津の涙水」 といういい伝えが残っている。
昔、淡路の小聖という者、しばしば御所へ出入りしていたが、官女の志津女という美人に想われる身となった。
小聖は修行の妨げと振り切って、犬鳴山中へのがれてきた。
志津女は修行僧を想い切れず跡を追い、諸国を捜し求めたのであるが、遂に泉州犬鳴山で小聖が修行しているとのことを、風の便りに聞き、修行僧に一目逢うべく犬鳴山まで来たが、険しき渓谷と山路、それに飢えと寒さ、なお、俄かに白雲がたちこめて、来た道を見失い、終いに路傍で悶死したのである。
村人は志津女の死体をねんごろに葬り、供養されたのであった。
こうしたことがあってから、犬鳴山に白雲が立ちこめる日は、必ず、雨が降るようになった、村人はこの雨を志津の涙雨と云い、また、倒れていた付近から、こんこんと清水が湧き出ているいる処から、この湧き水を「志津の涙水」と呼ぶようになった。
一心をこめた願い事がある場合、この水を持ち帰り毎日飲用すると、必ずや願い事が成就すると云われている。
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この水を持帰り毎日飲用すると願い事が成就すると云われる志津の湧き水
お志津地蔵堂の側を通り参道を進むと、谷をまたぐように架けられた護摩焚きの広場が造られている。
正面には炎を表した飾りを背に、身がわり不動明王の像が立っている。
その左右にも幾つかの像が立ち、周りにも鐘楼や伽藍、休憩所などの建物が造られている。
犬鳴山本尊である具利伽羅大竜不動明王は、今から1300年前、開山役の行者さまが、奥の滝において祈りだされた、威神力明王で、古くから命乞い不動、運気の守護神として、霊験あらたかな不動明王であられる。
犬鳴山修験道とは、この大竜不動明王を山修行のご本尊にいただき、修行体系を伝承していくに重きをおいた修験集団である。
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あまりの大きさに驚かされる護摩場に立っている身代わり不動明王の像
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すさまじい迫力が感じられる身代わり不動明王、運気の守護や命乞いの不動明王として尊信されている。
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弘法大師が七飛瀑に七福神を祭祀された七福神堂 鐘声や撞くことに様々な功徳があると云われる鐘楼
身代わり不動明王の像のある護摩場の片隅に七福神堂が建てられている。
お堂では大きなおなかを抱えた布袋様が、笑顔で私達を迎えてくれている。
この犬鳴山七福神にも次のような由来がある。
淳和天皇(823年=平安時代)に当山の本山である不動明王に、雨乞いを祈念せらし時に霊験あり、依って天皇は、当山の七飛瀑を金銀等の七宝に比し、寺号を七宝滝寺と勅号し給えり、弘法大師再び当山に御修業のみぎり、七飛瀑に七福神を祭祀される。
爾来、七福神は七宝滝寺の鎮守として、霊威せきせきたる赫々たるものあり、と記されている。
七福神とは、①寿老人 ②布袋尊 ③弁財天 ④出世大黒天 ⑤毘沙門天 ⑥吉祥天 ⑦恵比須天 である。
また、布袋尊の像を中心に祀る七福神堂の入口には、和合成功の神 布袋尊について 次のように記されている。
布袋さんは、いつも笑顔で胸を広く、腹を大きくして常に襲ってくる種々な欲望の塵を払い除け、心をすずしく、清くしてどっしりとされている。
このようにすれば誰しも、布袋さんの如く福相になることができる。
布袋さんの所持する袋は、勤勉を意味したものでこの袋を福労と云う、即ち、福は労にあるので、福を得んと欲せば勤労を積まねばならぬ事を教えている。
また、布袋は中国、唐の時代に実在した僧、契此(けいし)であって、弥勒菩薩の化現と云われた。
信仰すれば大人物になれ、和合成功すると云われ、また、子も大人物になると古来より信仰されている。
七福神から参道に出るとすぐに本堂への石段がのびている。
石段の横手前には、手洗水があり、前の山裾には、水掛不動尊像や清め尊像が立てられている。
その横には小さなお堂があり、足腰痛を解消する神様が祀られている。
さらにその奥には山からの谷になっていて、糸を引いたように小さな岩間を流れ落ちる布引の滝がある。
また、その広場には、ぼけ除け不動尊や十二支守り本尊像も祀られている。
ぼけ除け不動尊は、御手が四本ある四臂(よんひ)の不動明王で、この明王は十二天(地、水、火、風、空の五神と毘沙門、帝釈、梵天、伊舎那羅、刹焔魔(せつえんま)、星、辰の諸神の総主である。
一名鎮宅不動とも云われ、住所安穏の守護神でもある。
この四臂不動明王は当山で初めてお祀りされたもので、右手に持たれた剣には、火勢盛んなる火焔があり、これは諸人の煩悩や悩みを、焼き尽くして、暗愚を断ち切って、大智恵の光明をお授け下さる智火の大剣を現している。
随って、この四臂の不動尊を信仰することにより、大智恵を授かり、ぼけを封じ、心身堅固の身にお守りくださるのが本誓、目的とされている。
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心身堅固に身を守ってくれる ぼけ除け不動尊
ぼけ除け不動尊と同じ広場の正面には、十二支守り本尊の像も祀られている。
十二干支守本尊についても次のように記されている。
生まれ年により各人持って生まれた先天的な性質、宿命的な運勢のあることは争いのない事実である。
弘法大師は各人の個性に合わせて、生涯信仰のできるお守りご本尊を、あまたの如来菩薩のうちから選ばれたことは、本当に各人の幸せである。
日頃信仰している神仏と、この干支守り本尊とを併せて念持されれば、心に安定が生じ、おのずから自信と勇気が湧き、ひいては知らず知らず幸福と開運の恵まれた生活に入るといわれている。
子 年生まれ守り本尊 千手観世音菩薩 (祈 産生)
丑 寅 年生まれ守り本尊 虚空蔵菩薩 (祈 記憶力、知恵増強)
卯 年生まれ守り本尊 文殊菩薩 (祈 知恵)
辰 己 年生まれ守り本尊 普賢菩薩 (祈 滅罪)
午 年生まれ守り本尊 勢至菩薩 (祈 滅罪)
未 申 年生まれ守り本尊 大日如来 (祈 息災)
酉 年生まれ守り本尊 不動明王 (祈 除災招福)
戌 亥 年生まれ守り本尊 阿弥陀如来 (祈 減罪往生)
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日頃信仰されている神仏と併せて自分の十二支守尊を念じれば幸せが
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糸を引くように流れる布引の滝 当山の本尊とされる倶利伽羅大竜王
当山は利剣に龍が巻きついた形像の倶利伽羅不動明王を本尊としている。
倶利伽羅不動明王は、悉地明王といわれ、古来より願望成就の守護神であり、生命乞いの不動明王として霊験あらたかである。
倶利伽羅不動明王の御真言をお唱えするのは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根、即ち、身体と心の一切の悩みと願いを成就せしめ給うという意味がある。
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犬鳴山を訪れた人たちが必ず参拝する本堂拝殿
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赤いお堂と行者の滝 この場所で滝修行が行われる
犬鳴山七宝滝寺内にある「行者の滝」は「霊力ある御滝」として全国各地から禊ぎに訪れる人々が後を絶たないそうだ。
なかでも大寒に入る頃の季節になっても、百日寒行を行う修行者の方もおられるようである。
歴史上に名を残された役の行者、弘法大師、当山先師一眼上人など、我が国仏教に多大な功績を残された方々も、この滝で修行されたようである。
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行者のくぐり岩 滝修行する人たち(当山掲示写真より)
行者くぐり岩は、台座岩穴をくぐることにより、行者さまの偉神力と御尊像胎内に納められている心経の功徳力と、穴をくぐることにより、人々が六根清浄となり、所願成就の法益を授かることが出来るとある。
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多くの方々が修行に訪れる行者の滝 役の行者も弘法大師も修行された滝
今回、あらためて訪れた犬鳴山は、V字型の渓谷に広がる七宝滝寺の滝や、数多くのお堂や地蔵、伽藍、像などがあって、修験者が行っている厳しい滝での修行、護摩供養など、念ずればすべての所願に御利益があるといわれている。
私たちは七宝滝寺の渓谷には、初めて足を踏み入れたが、その自然的な背景のすばらしさや、どんな状況下にあっても、私達を気楽に迎えくれている様々なお不動尊や小さな神社、地蔵尊など、数の多さに驚かされ、戸惑うほどである。
1300年前から行われていた修行が、いまだに多くの人たちに受け継がれ、行われていることに対して、すばらしさと感銘を受け、新たな日々をどう生きるかの大切さを、学ばさしていただいたように感じてならない。
今回は日本最古の霊場犬鳴山の後半部分を紹介さしていただきます。
下記の山稜写真には、行者尊の住むといわれる犬鳴山中や伽藍、修行の場、尊像、滝などがある。
前回の項から、塔の滝の景観を楽しみながら参道を進むと、V字型の谷間に出来た駐車場に出てくる。その側には小さな伽藍が建っている。
弘法大師御自作の厄除け十一面観世音菩薩を祀っているお堂である。
大師は十一面観世音菩薩像を御自作開眼の上、本堂に奉安されて護摩の蜜法を修せられた。
特に男子42歳、女子33歳の大厄の者が厄除けを祈念すると、霊験殊にあらたかなりと尊信せられるようになったと伝えられている。
さらに十一面観世音堂の隣には宇賀耶白長弁財天(うがやはくながべんざいてん)が祀られている。
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役の行者尊が住まれているという犬鳴山の山峰、伽藍や修行の場、滝などがある
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弘法大師自作の十一面観世音菩薩像が祀られている十一面観音堂
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諸縁吉祥、願望成就、家業繁盛に御利益があるといわれる宇賀耶白長弁財天(うがやはくながべんざいてん)
修験道祖である役の行者尊が開山に当たり、弁財天を弁天の滝に祭祀されていたが、一般参拝者の利便を考慮して現在の場所に安置して奉り、ご供養することになった。
十一面観世音菩薩と弁財天の前には、参道があり赤い鳥居が立てられている。
この参道は急斜面の則面に造られ、道幅狭く本堂に向かっている。
参道の下には、駐車場があり、その奥には、交通安全を祈念する赤い炎を背に、難切り大不動明王が祀られている。
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赤い鳥居と本道への参道 交通安全に御利益があるといわれる難切り不動明王
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一心に祈念して病を全快させた 癌除けお岩竜王
癌除けのお岩竜王には、次のようなことが伝えられている。
天台宗の教師森川妙慎尼は胃がんと診断され、犬鳴山不動明王が命乞いの霊験まことにあらたであると聞き、それより月参り護摩祈祷を受け、また、志津の涙水を汲み、薬と共に服していた。
ある夜、夢中に志津の涙水付近より、大竜王が御出現して妙慎尼に告げる 「吾れは、お岩竜王なり、汝の病を救うべし」 と告げられるやたちまちに消え失せれた。
妙慎尼は夢のお告げをかたく信じ、不動明王に願をかけると共に志津の涙水付近を、お岩竜王の在所と観じ、一心に祈った、不思議やそれより、日増しに病気は回復し全快したのである。
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想いの修業僧を追って不慮の死をとげたお志津女を祀る お志津地蔵堂
また、此処の湧き水にも 「志津の涙水」 といういい伝えが残っている。
昔、淡路の小聖という者、しばしば御所へ出入りしていたが、官女の志津女という美人に想われる身となった。
小聖は修行の妨げと振り切って、犬鳴山中へのがれてきた。
志津女は修行僧を想い切れず跡を追い、諸国を捜し求めたのであるが、遂に泉州犬鳴山で小聖が修行しているとのことを、風の便りに聞き、修行僧に一目逢うべく犬鳴山まで来たが、険しき渓谷と山路、それに飢えと寒さ、なお、俄かに白雲がたちこめて、来た道を見失い、終いに路傍で悶死したのである。
村人は志津女の死体をねんごろに葬り、供養されたのであった。
こうしたことがあってから、犬鳴山に白雲が立ちこめる日は、必ず、雨が降るようになった、村人はこの雨を志津の涙雨と云い、また、倒れていた付近から、こんこんと清水が湧き出ているいる処から、この湧き水を「志津の涙水」と呼ぶようになった。
一心をこめた願い事がある場合、この水を持ち帰り毎日飲用すると、必ずや願い事が成就すると云われている。
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この水を持帰り毎日飲用すると願い事が成就すると云われる志津の湧き水
お志津地蔵堂の側を通り参道を進むと、谷をまたぐように架けられた護摩焚きの広場が造られている。
正面には炎を表した飾りを背に、身がわり不動明王の像が立っている。
その左右にも幾つかの像が立ち、周りにも鐘楼や伽藍、休憩所などの建物が造られている。
犬鳴山本尊である具利伽羅大竜不動明王は、今から1300年前、開山役の行者さまが、奥の滝において祈りだされた、威神力明王で、古くから命乞い不動、運気の守護神として、霊験あらたかな不動明王であられる。
犬鳴山修験道とは、この大竜不動明王を山修行のご本尊にいただき、修行体系を伝承していくに重きをおいた修験集団である。
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あまりの大きさに驚かされる護摩場に立っている身代わり不動明王の像
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すさまじい迫力が感じられる身代わり不動明王、運気の守護や命乞いの不動明王として尊信されている。
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弘法大師が七飛瀑に七福神を祭祀された七福神堂 鐘声や撞くことに様々な功徳があると云われる鐘楼
身代わり不動明王の像のある護摩場の片隅に七福神堂が建てられている。
お堂では大きなおなかを抱えた布袋様が、笑顔で私達を迎えてくれている。
この犬鳴山七福神にも次のような由来がある。
淳和天皇(823年=平安時代)に当山の本山である不動明王に、雨乞いを祈念せらし時に霊験あり、依って天皇は、当山の七飛瀑を金銀等の七宝に比し、寺号を七宝滝寺と勅号し給えり、弘法大師再び当山に御修業のみぎり、七飛瀑に七福神を祭祀される。
爾来、七福神は七宝滝寺の鎮守として、霊威せきせきたる赫々たるものあり、と記されている。
七福神とは、①寿老人 ②布袋尊 ③弁財天 ④出世大黒天 ⑤毘沙門天 ⑥吉祥天 ⑦恵比須天 である。
また、布袋尊の像を中心に祀る七福神堂の入口には、和合成功の神 布袋尊について 次のように記されている。
布袋さんは、いつも笑顔で胸を広く、腹を大きくして常に襲ってくる種々な欲望の塵を払い除け、心をすずしく、清くしてどっしりとされている。
このようにすれば誰しも、布袋さんの如く福相になることができる。
布袋さんの所持する袋は、勤勉を意味したものでこの袋を福労と云う、即ち、福は労にあるので、福を得んと欲せば勤労を積まねばならぬ事を教えている。
また、布袋は中国、唐の時代に実在した僧、契此(けいし)であって、弥勒菩薩の化現と云われた。
信仰すれば大人物になれ、和合成功すると云われ、また、子も大人物になると古来より信仰されている。
七福神から参道に出るとすぐに本堂への石段がのびている。
石段の横手前には、手洗水があり、前の山裾には、水掛不動尊像や清め尊像が立てられている。
その横には小さなお堂があり、足腰痛を解消する神様が祀られている。
さらにその奥には山からの谷になっていて、糸を引いたように小さな岩間を流れ落ちる布引の滝がある。
また、その広場には、ぼけ除け不動尊や十二支守り本尊像も祀られている。
ぼけ除け不動尊は、御手が四本ある四臂(よんひ)の不動明王で、この明王は十二天(地、水、火、風、空の五神と毘沙門、帝釈、梵天、伊舎那羅、刹焔魔(せつえんま)、星、辰の諸神の総主である。
一名鎮宅不動とも云われ、住所安穏の守護神でもある。
この四臂不動明王は当山で初めてお祀りされたもので、右手に持たれた剣には、火勢盛んなる火焔があり、これは諸人の煩悩や悩みを、焼き尽くして、暗愚を断ち切って、大智恵の光明をお授け下さる智火の大剣を現している。
随って、この四臂の不動尊を信仰することにより、大智恵を授かり、ぼけを封じ、心身堅固の身にお守りくださるのが本誓、目的とされている。
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心身堅固に身を守ってくれる ぼけ除け不動尊
ぼけ除け不動尊と同じ広場の正面には、十二支守り本尊の像も祀られている。
十二干支守本尊についても次のように記されている。
生まれ年により各人持って生まれた先天的な性質、宿命的な運勢のあることは争いのない事実である。
弘法大師は各人の個性に合わせて、生涯信仰のできるお守りご本尊を、あまたの如来菩薩のうちから選ばれたことは、本当に各人の幸せである。
日頃信仰している神仏と、この干支守り本尊とを併せて念持されれば、心に安定が生じ、おのずから自信と勇気が湧き、ひいては知らず知らず幸福と開運の恵まれた生活に入るといわれている。
子 年生まれ守り本尊 千手観世音菩薩 (祈 産生)
丑 寅 年生まれ守り本尊 虚空蔵菩薩 (祈 記憶力、知恵増強)
卯 年生まれ守り本尊 文殊菩薩 (祈 知恵)
辰 己 年生まれ守り本尊 普賢菩薩 (祈 滅罪)
午 年生まれ守り本尊 勢至菩薩 (祈 滅罪)
未 申 年生まれ守り本尊 大日如来 (祈 息災)
酉 年生まれ守り本尊 不動明王 (祈 除災招福)
戌 亥 年生まれ守り本尊 阿弥陀如来 (祈 減罪往生)
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日頃信仰されている神仏と併せて自分の十二支守尊を念じれば幸せが
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糸を引くように流れる布引の滝 当山の本尊とされる倶利伽羅大竜王
当山は利剣に龍が巻きついた形像の倶利伽羅不動明王を本尊としている。
倶利伽羅不動明王は、悉地明王といわれ、古来より願望成就の守護神であり、生命乞いの不動明王として霊験あらたかである。
倶利伽羅不動明王の御真言をお唱えするのは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根、即ち、身体と心の一切の悩みと願いを成就せしめ給うという意味がある。
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犬鳴山を訪れた人たちが必ず参拝する本堂拝殿
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赤いお堂と行者の滝 この場所で滝修行が行われる
犬鳴山七宝滝寺内にある「行者の滝」は「霊力ある御滝」として全国各地から禊ぎに訪れる人々が後を絶たないそうだ。
なかでも大寒に入る頃の季節になっても、百日寒行を行う修行者の方もおられるようである。
歴史上に名を残された役の行者、弘法大師、当山先師一眼上人など、我が国仏教に多大な功績を残された方々も、この滝で修行されたようである。
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行者のくぐり岩 滝修行する人たち(当山掲示写真より)
行者くぐり岩は、台座岩穴をくぐることにより、行者さまの偉神力と御尊像胎内に納められている心経の功徳力と、穴をくぐることにより、人々が六根清浄となり、所願成就の法益を授かることが出来るとある。
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多くの方々が修行に訪れる行者の滝 役の行者も弘法大師も修行された滝
今回、あらためて訪れた犬鳴山は、V字型の渓谷に広がる七宝滝寺の滝や、数多くのお堂や地蔵、伽藍、像などがあって、修験者が行っている厳しい滝での修行、護摩供養など、念ずればすべての所願に御利益があるといわれている。
私たちは七宝滝寺の渓谷には、初めて足を踏み入れたが、その自然的な背景のすばらしさや、どんな状況下にあっても、私達を気楽に迎えくれている様々なお不動尊や小さな神社、地蔵尊など、数の多さに驚かされ、戸惑うほどである。
1300年前から行われていた修行が、いまだに多くの人たちに受け継がれ、行われていることに対して、すばらしさと感銘を受け、新たな日々をどう生きるかの大切さを、学ばさしていただいたように感じてならない。
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