3・11津波【みんなもっと逃げられた】巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!
東日本大震災で無念の命を落とされた無念の御霊に代わって。。
3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著
☆「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」
☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。
☆津波襲来は近年中に起こる
☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。
歴史学者 飯沼勇義著
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」
さらに、国では
☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、
☆津波の危険性が認識されていたと指摘。
その他、多くの専門家、研究者が予想、警告を
国や地方自治体に警告、訴えていました。
甚大な津波被害にあった宮城県石巻の
私の知人の親類は皆、逃げられました。
知っていたからです。。親類の地震研究者から
『宮城県に近く巨大地震が来る可能性がある
必ず大津波が来るから、すぐ逃げろ』
その人は学者さんですが、専門外で個人的研究で
地層など調べ、警告していたのです。
その親類達は、少し馬鹿にしていましたが
『すぐ逃げろ』が頭に残っていて、
すぐ逃げ、全員、その石巻の知人、親戚は無事だったのです。
宮城県、仙台市も、そして国も東電
原発ムラの経済優先、人命無視の政策が
多くの警告、訴えが、庶民に、隠された。
ちなみに、宮城県には女川原発があります。
国、地方自治体が、少しでも巨大地震の可能性と
【津波が来る、逃げろ】!!と、公表していれば、、。
3・11 【みんなもっと逃げられた!!】
巨大地震・津波の警告を隠した国、県の責任は重大!!
東日本大震災で無念の命を落とされた数万の御霊に代わって。。
3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」1995年、飯沼勇義著|happyluckyのブログ
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11488668081.html
3・11東日本大震災・警告の書「近日中、巨大津波が仙台平野を襲う!」
1995年、 歴史学者 飯沼勇義著
☆「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
☆1995年に警告を発していた郷土史家がいる。
☆津波襲来は近年中に起こる
☆その要請を宮城県、仙台市はじめ行政側に示し、
☆その津波襲来は近年中に起こる事を訴えた。
☆平成6年(1995年)9月、私、飯沼勇義は
☆「仙台平野の歴史津波」の著書をまとめ、 全国発売した。
☆著述した要点は、仙台沿岸は歴史津波によると
☆津波の常襲地帯であるということ。
☆この津波は大規模津波となって仙台沿岸を襲うことになる。
☆波高は 十数メートルを超える事になる。
☆背後に山地を抱えている三陸地方と違い、
☆仙台平野に巨大津波が襲ってきたら逃げ場がないので
☆急いで高台を作る必要がある。
☆しかし、中央防災会議の委員の先生、地元の地震、津波の学者さん、
☆行政側 の方々・・・すべての専門家、防災対応すべき人たちに、
☆この本の記述は虚構だといわれ、無視されてきた。
☆然るに平成23年(2011年)3月11日、私の進言もむなしく、
☆遂に東日本大震災が起こってしまった。
☆甚大な被害については周知のところである。
さらに、国、原発ムラでも。。
☆津波による全電源喪失の危険性は
☆遅くとも二〇〇六年までに把握されており
☆「必要な行政指導や改善・停止命令を怠った」と、
☆国に瑕疵(かし)があったと断じている。
☆原発事故の責任をめぐっては、東電は「想定外の津波」を強調してきた。
☆しかし、 原告らは訴状で、2000年ごろから経済産業省などで
☆津波想定の見直しや対策の検討が始まり、津波の危険性が認識されていたと指摘。
☆2006年には原子力安全・保安院(当時)が
☆中心となった勉強会に、東電も参加し
☆「福島第一原発事故の津波に匹敵する津波想定などの
☆危険性が示されている」と、「想定外」の主張を否定している。
☆国策として原子力政策を進めてきた国に対し、
☆原発建設の差し止めなどを求める訴訟はあったが、
☆国の主張は「安全神話」に守られ続けてきた。
「福島返せ」1650人国を提訴 原発事故、東電も【空間放射線量を事故前と同じ状態に戻せ】|happyluckyのブログ |Ameba (アメーバ)
http://s.ameblo.jp/kimito39/entry-11488232034.html
★★★★★★★★★
「仙台平野に巨大津波」1995年に警告本 仙台の郷土史家
河北新報2011年4月5日(火)
……………………………………
飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに
打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師
=仙台市太白区長町4丁目
「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と
16年前に警告を発していた郷土史家がいる。
津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた
仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。
東日本大震災の大津波を目の当たりにし、
「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。
飯沼さんは元公立学校教諭。
教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、
仙台平野を襲った過去の巨大 津波を研究してきた。
869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。
1611年の慶長津波でも 仙台平野は一帯が冠水。
津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、
薬師如来をまつる 「蛸薬師」の由来にもなった。
飯沼さんは「仙台平野は180~200年の周期で大津波が起きている。
次の大津波は、いつ来て もおかしくない」と警告していた。
1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、
防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。
95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」
(宝文堂)を出版した。
飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で
仙台の沿岸に大きな津波は来ない、と いう根拠のない安心感が、
行政にも住民にもあった」と振り返る。
震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、
インターネットには「津波を予言した内容」と いう書き込みも見られる。
飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。
身を寄せる避難所 で飯沼さんは
「歴史は繰り返す。震災を教訓に、
津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。
(神田一道)
作成者 しばけん
河北新報 2011年4月5日(火)
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/asaonet/view/20110405/1302006719