京照日記

アンティーク店の京照が「着物に対する熱い思い」と、お客さんとの会話で気が付いたことを発信しています。

ニャンコ外伝。そうやったんや、平等にみえて、ちゃうやん。

2013年02月11日 21時05分58秒 | ヒラメキのヒント
リンちゃん、こんばんわ。

きょうは長年の疑問にやっと「解」がでたんで、不思議な気分どす。

ことの始まりは、例の「なりすまし犯」がテレビで連行されはったんを見たことどす。

犯人が「ニャンコ好きでパソコンおたく」で、このヘンで、感のええリンちゃんやったら、思い当たりますやろ。

そうどす、ニャンコ先生どす。

条件が似てて、結末が違うてくるんは、なんでっしやろ。

うちも何回もおしたんぇ。

なんか似たような環境で、結末が刑事事件になったこと。

うちが犯人にならんかったんは、3つの条件があったからや、と思うんどす。

ちぃーと難しい話になるんやけど、アリストテレスの哲学で「真・善・美」がおす。

ほんでうちの場合は「真」は時間どす。時がたっても変らん本質みたいなもんどす。

次の「善」は、うちの場合は「神仏」どす。なにがあっても変りまへん。

ほんで「美」は、わからんのどす。

よう偶然のように、世界的な発見や発明が、同時に、全然関連のない国のお人がみつけはったりしますなぁ。


うちがようゆてる、「上から降りてくるもん」、世間では「啓示」とか、いいはりますぇ。

たぶんその時は、全世界的にシャワーのように、降り注いでおるんどす。

そのアイデアや思いが、ちょうどその時に、チャンネルがおうた人がキャッチしはんねんやろな。

ほんでその降りてきたもんが、破滅の結末にならんためには、上の3つのフィルターにかけんとあかんのやろなぁ。

そのまま自分の考えやと思わんと、つぅーとお腹の下に落ちるまでの時間、納得できる時間と期間やねぇ。

ほんで「自分」の中の「神仏」のゴウサインがでて、「美」に集結するやろねぇ。

うちは最後の「美」がわからんから、難儀しとうどす。

さしずめニャンコ先生の場合は、「真」に、長いコト打ち込んでいることがおしたみたいぇ。

ほんで「善」は、「弓道」みたいぇ。最後の「美」がたぶん、「黄金」やないかと、うちは思っとります。

そやから、同じようなイデアがあっても、そうならんかった、と思うんぇ。

間違うてるかもしれまへんけど、なんか納得できるコトなんどす。

みんな同じようなものを食べても、同じ病気になれへんどすやろ。

そんなふうに、平等なようで、平等やない、そんなことが、世の中に溢れておす。

しっかり、目開いて、ようみんとアカン、ゆうことなんやんぇ。

なんや、納得のできる自分が、ヘンでおもしろおす。

ほなな。