わたしは、半世紀も生きたので、人間の苦しみを少しはわかってきたつもりだ。
老いることは、とめることはできない、人間はいつかは、死んでゆくのだ。
おだやかに、死ぬために、私は健康に気をつけている。
老衰で死ぬことができたら、それでいいのだ。
病気にならないように、癌にならないように、穏やかな死に方ができるようにだ。
人間は、どうしても避けられない苦しみがある、私の場合は、目にきた。
老眼という、本も読めなくなる老化だ、そしてひざにもきたので、痩せようとした。
老化は、現代の医学でもとめられない、年をとるとあきらめることがたくさんあることに気がついた。
たくさんの扉の向こうにはいけないのだ。
決められたあけられる扉はすくなくなるのだ。
それでも、たくさんあきらめて、できないことが増えてもあきらめて進んでいくしかない。
そんなことは、最近わかったのだ、できないことがたくさんあるが、それについて悲しんだりしないで、できることをやる、残された能力でできることをするのが、人生の後半なのだと。
しかし、長生きしたところで、できなくなることは増えるので、何の意味があるのだろうかと私はよく思うのだ、でも、意味はあろうがなかろうが、生きるのが、人間としての意味があるように思う。
人に迷惑をかけないように、介護にならないように、老女にならなくてはならない。
そのために、目が悪いくらい悲観してもいけないし、少しひざが痛くても、我慢しなくてはいけない。
老眼鏡をかけ始めて、目が疲れて長く読書や、好きな手芸もできなくなった。努力が足りないといえばたりないのだが、めがねが必要でないときは、いくらでも読めた本が本当になつかしいぐらい。
それでも、今でも興味を持った本は、老眼鏡をかけながら、ぼちぼち読んでいる。
好きなことは、老女になっても、やめることはできない、スピードはおちるだけのことだから。
あきらめてはいけないことは、老人になっても、好きなできることは自分ですることだ。
辛抱することで、ながいきできるのだから。
わたしは、酒もタバコも嫌いだから、都合がいい、体には、とても都合がいいのだ。
できることがすくなくなっても、それを悲観しなければぼちぼち進むのだ。
人間は、すべての夢は実現はしないだろう。
そして、できないことが老人になったら、たくさんあるようになる、人間の苦しみだろう。
体もあちらこちらが、故障して痛くなったり、目がみえにくくなるのだ。
機械なら、あちらこちらの部品を変えたらいいのだけど、人間は無理なのだ。
だから、故障しかけた老人の体をゆっくりとうごかしながら、生きたらいいのだ。
生きるのは、半世紀もすぎたら、もう少しなのだ。
後せいぜいよくて40年ぐらいなのだ、のんびりいきてみたいし、あきらめていきたい。
できないことはもっと、これから増えるのだ。
わたしは、それでも悲観はしないでいきていくつもりだ。
老人になることも、人生だから。
みにくいしわだらけの、汚い老女になっても、悲観しないで生き抜くつもりだ。
老いることは、とめることはできない、人間はいつかは、死んでゆくのだ。
おだやかに、死ぬために、私は健康に気をつけている。
老衰で死ぬことができたら、それでいいのだ。
病気にならないように、癌にならないように、穏やかな死に方ができるようにだ。
人間は、どうしても避けられない苦しみがある、私の場合は、目にきた。
老眼という、本も読めなくなる老化だ、そしてひざにもきたので、痩せようとした。
老化は、現代の医学でもとめられない、年をとるとあきらめることがたくさんあることに気がついた。
たくさんの扉の向こうにはいけないのだ。
決められたあけられる扉はすくなくなるのだ。
それでも、たくさんあきらめて、できないことが増えてもあきらめて進んでいくしかない。
そんなことは、最近わかったのだ、できないことがたくさんあるが、それについて悲しんだりしないで、できることをやる、残された能力でできることをするのが、人生の後半なのだと。
しかし、長生きしたところで、できなくなることは増えるので、何の意味があるのだろうかと私はよく思うのだ、でも、意味はあろうがなかろうが、生きるのが、人間としての意味があるように思う。
人に迷惑をかけないように、介護にならないように、老女にならなくてはならない。
そのために、目が悪いくらい悲観してもいけないし、少しひざが痛くても、我慢しなくてはいけない。
老眼鏡をかけ始めて、目が疲れて長く読書や、好きな手芸もできなくなった。努力が足りないといえばたりないのだが、めがねが必要でないときは、いくらでも読めた本が本当になつかしいぐらい。
それでも、今でも興味を持った本は、老眼鏡をかけながら、ぼちぼち読んでいる。
好きなことは、老女になっても、やめることはできない、スピードはおちるだけのことだから。
あきらめてはいけないことは、老人になっても、好きなできることは自分ですることだ。
辛抱することで、ながいきできるのだから。
わたしは、酒もタバコも嫌いだから、都合がいい、体には、とても都合がいいのだ。
できることがすくなくなっても、それを悲観しなければぼちぼち進むのだ。
人間は、すべての夢は実現はしないだろう。
そして、できないことが老人になったら、たくさんあるようになる、人間の苦しみだろう。
体もあちらこちらが、故障して痛くなったり、目がみえにくくなるのだ。
機械なら、あちらこちらの部品を変えたらいいのだけど、人間は無理なのだ。
だから、故障しかけた老人の体をゆっくりとうごかしながら、生きたらいいのだ。
生きるのは、半世紀もすぎたら、もう少しなのだ。
後せいぜいよくて40年ぐらいなのだ、のんびりいきてみたいし、あきらめていきたい。
できないことはもっと、これから増えるのだ。
わたしは、それでも悲観はしないでいきていくつもりだ。
老人になることも、人生だから。
みにくいしわだらけの、汚い老女になっても、悲観しないで生き抜くつもりだ。