女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

首を切っても意識があるそうだ。

2016-03-06 12:44:42 | 日記
よく私は、首切り動画を見るが、たぶん意識があるのだ。
目を動かしたりしているし、自分の離れた胴体をみているようだ。
死んでいくのにも、いろいろあるが、首切りもたくさんある。
イスラム国の、処刑だけでなく、神戸のさかきばらにせよ、あるようである。

日本では、首吊りの処刑方法だが、これはくるしくはないみたいだ。
意識では、少し苦しんでいるように動画では見えるが、すぐに意識を失うので楽みたい。
わたしも、精神的に苦しくなったら、この方法がいいとおもった。

死んでいくのも、自分で選べるようだ。
自殺はいけないと私は思うが、死ぬ権利をあると私は思いたい。
役に立たない、うんこ製造器的人間は、死ぬ権利を与えてほしいと思う。
新しい法律で、いきるいみのないくず人間は、死ぬ権利も死ぬ義務も必要だと思う。

私も生きている意味は、確かにないので、死ななくてはいけないだろう。
しかし、税金の無駄使い、空気の無駄使いをしている自分に情けないのだ。
残りの人生なんていらない。
動画を撮って、死んだ若者のように、あっさりと死んで生きたいものだ。

どうせ、いきたって、意味のない人生を黙々と歩くのだろうと思う。
それよりも、意気がなくなって、土に戻りせめて、何かの肥やしになりたい。
今からでも遅くない、生きることがいやな人は、ぜひ自殺もお勧めである。

楽しくない人生をあゆんでいると、事件を起こしたり、人をあやめたりするのだ。
そんな人は、自分で死ぬべきであり、まきぞいはいけないのだ。
首吊りは、子供でもできる、安楽な死に方である。

早く無駄な人生を歩んでいる人々は、実行してほしい。
しかし、それでも行きたいのなら、何か世の中のやくにたたなくてはいけない。
わたしは、たぶんこれからも世の中の無駄になるだけ。

答えは、もう出ているのだ。
だから、整理して、きれいにしたいのだ。
最後は、だれにもみられないところで、ひっそりと行いたい。
そして、だれにも知られないで、この世から消えることだけが、私の希望である。

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