女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

そこにお目子がある限り。(空に太陽がある限りの節でね♪)

2016-02-27 11:22:47 | 日記
あっしたい、あっ、したい。
本当に、ほんとに、
ゴムはめて、そこに婆がいるかぎり、

君と僕は君と僕は、還暦すぎて、
はめしてる、はめしてる。

そこに布団があるかぎり。

あっ、しよう、あっしょう。
ほんとうに、ほんとに、
ゴム探せ、そこに、おめこがあるかぎり、

君と僕は、君と僕は、つながりあうのね。
はめしてる、はめしてる。

そこに、いのちがあるかぎり。


☆深夜のゴム探しを記念して、つくってみました、命ある限りとはすごいね。

汚いとか、臭いとかは感じ方の違いか?!

2016-02-27 10:02:41 | 日記
私は、臭いに敏感なほうではないです、柔軟剤の臭いなんて強いほうがすきですから。
しかし、近所の馬鹿ジジイは、化粧の臭いといいますから、馬鹿です。
てめえの部屋のにおいは、猛獣くさいくせにと、感じています。

臭いけど、親戚は気にしていませんし、人それぞれなのです。
腋臭も同じで、腋臭同士なら気にしないようですね。
私は、柔軟剤とかの臭いは多少きついほうが好きですが、体臭はないほうがすきなのです。

腋臭がないので、助かっていますが、人の腋臭はとても気になるのです。
黄色いしみのついた、下着とか見たときは本当にぞっとします。
本人は気がついていないのなら、言わないほうがいいです。

化粧品の臭いではなく、柔軟剤の臭いを勘違いする馬鹿爺さんは、猛獣臭くて夏はいやです。
歩くだけで臭いのですから。それを親戚はいわないので、みんな臭いのかもしれませんね。
でも、部屋のにおいはわかるとおもうけど、酒をしみこませた臭いが、よくします。

焼酎の甘い香と、それがすえたにおいになり、部屋のにおいになっているようです。
柔軟剤の臭いよりも、不快なものです。
わたしは、化粧を家ではしませんし、めったにしないものです。

人の悪口をたくさん言う、爺さんは、朝鮮人で通名です。
なにせ、私を外人あつかいして、臭い人間とでもいいたいようですね。
しかし、私はいまのところ、腋臭もないし、日本人なのに。

臭いとか、汚いとか、そういう臭いは本人に言わないとね。
デモいえないのは、あいつらが多人数で、嫌がらせを思想で言えません。
10年以上に騒音で、どんなにつらくても我慢していたのですから。

それでも、今年の夏はあついらしいです。
たぶん、玄関をあけて、すごい臭いをばらまくはずです。
毎年恒例の、夏の行事ですから。

臭いのは階段の下からでもわかります。
それから、夜中のすごい、声いびき、すごいものです。
だけど、引越しはできません。これは運命の臭さなので、我慢するしかないのです。

騒音と臭いで、私は欝が、悪化しました。
しかし、それはこの世の修行とおもい、今年も臭いに立ち向かうべきなのですね。
つらいけど、臭いのはどうしょうもないことです。

夜中のゴム事件?!

2016-02-27 08:00:07 | 日記
深夜1時のゴム事件を報告します。
これは、隣の80代の朝鮮老人の声です。

「ゴム、ゴムがないのか」

「ゴム、ゴムをはめるならいいのか」

ジジイが、婆になにかかたりかけているのだ。
まさか、ゴムとは?爺さんはセクロスを要求しているのだ。

うそだああ。あの爺さんはきたないひとなのに。
ばあさんは、びっこのぶさいくなひとだけど。

いまだにそんなかんけいなのか、女はかれるまでといえど。
そんなあ。夜中にしゃべるだけでなく、そういうすばらしい関係なのか。

私はあきれたが、あきらめた。
そして、婆の怒涛の悲鳴が聞こえた。

「ああああああっ、ああああああ」

婆もすごいひとなのだ、ゴムにはめたしにかけの息子にかんじている。
すごいのだ、信じられない夜中の悲鳴。

だけど、これは事実なのだ。
私のそばでおこなわれているのだ、ジジイは確かにゴムをはめてしている。

朝鮮人のおそろしさをかんじた。
もうどうでもいいが、そのじいさんを、見ないようにして暮らして意向と思った。

気持ちが悪い上に、今でも現役なんてね。
ゴムなんて、いらないよね、ジジイが梅毒かもしれないから、婆も警戒したかもね。

相当遊び人だから、ジジイは。
そして、今日もジジイは、ゴムを買うのだろうか。怖い

一人で寝て、一人で食べて、一人で生きること。

2016-02-26 11:42:38 | 日記
だれだって、一人が好きな人ばかりではないが、一人が楽になる年齢がくる。
近くの老人は、さびしいのか、一人になるとうろうろしだして、暴れる。
子供のようで、一人で生きたことのないアル意味幸せな人だと思う。
孤独は、怖くはないそれこそ健康がそこそこあれば、生きてはいける。
人を見て見比べる人には、向かないよそみばかりするあの老人は無理だろうね。

さびしくないといえばそう、だんな様ぐらいはいてほしかった。
しかし、それもかなわぬ夢ならば、慣れるしかない。
一人で生きられない人は、たくさんいるかもしれないが、私もその一人であった。
しかし、一人で生きることになれた今は、一人を楽しんでいる。

好きなものを食べて、好きなときにねて、もちろん好きなことをする。
だれにも、邪魔されないし、夜中のばあさんと爺さんの声もきにしなければ、いいのだ。
一人がいやな人は、不安なのだとおもう。朝鮮人のおじいさんはそうなのだ。
いつも、誰かとしゃべり誰かと同じでないと、孤独を感じる人なのだろう。

しかし、一人で食べるものは、十分おいしいし、誰にも会いたくないときは助かるのだ。
ゆっくりと、心を安定させれるし、誰にも迷惑をかけないようなこともできる。
あばれたり、大声を出したりしている、認知症の老人を見てきたが、それでも一人のときもある。

近所の老人は、一人の人もたくさんいるが、あの馬鹿老人は違う、一人になると大声を出したり、近所にいって、子供のように、うろうろしている、落ち着いて一人を楽しめない不思議な人なのだ。
そんな人が、一人になったら、たぶん水漏れをさしたり、して、親戚は仕方なく一人ばあさんをつけてみはっているが、その息子の嫁はきらっているのだ、いやらしい目をして女を見るのはたけているから。

一人で、生きるのはなれたらそれがいい。
しかし、金がないのはたまに、ひどくつらいときがある、一人ひっそりとうまいものが食えないから。
年をとっても、死ぬまでおいしいものを私は、必要とする。
そのために、食道楽の大阪にきたのに、貧乏は一人をよりさびしくするのだ。

金持ちで一人なら、適当に楽しめるものをいつも、ためいきばかりをつく。
それでも、一人貧しい食事をおいしくいただけるときを、少しの幸せを感じる。
女として生まれてよかった、ご飯をおいしく作れて、おいしくいただけるから、男ジジイには無理ですものね。でもできるひともいるでしょ。ひとりをもっと、楽しめないジジイはわがまま馬鹿ね。

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