女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

幸せって、金じゃないんだね。

2016-02-13 08:10:50 | 日記

私は最近、思ったんだね、数少ないブログの読者に書いてみますね。
貧乏でも、幸せってあるからね、狭いながらも楽しい我が家っていうしね。
私は、金持ちになったことは一度もない、雑草を食べたり借金を返したりの生活だった。
しかし、不幸じゃなかった、幸せだった。

金もないし、金も返さなければならないから必死に生きていたけど不幸じゃなかった。
それはね、いつもそばに大切な人がいたから、守ってくれる人がいたから。
怖いものは、その大切な人を失うことだけだった、守ってくれる人がいない今は不幸だろうと思う。

貧乏なんて、働いたらいいし、そして働くには働き甲斐のある家族が必要だ。
ひとりでがんばったって、何の喜びがあるのだろうかと思う。
寂しさは、病気になり、本当の意味でここで金があろうが、一時的に幸せを感じたところで不幸にまたもどるのだ。

自分を愛してくれる人が、いない人が不幸なわけで、金ではない。
家族がいても不幸な人がいるだろう、それは愛されていない人だ、それは不幸でありかわいそうだ。
しかし、私は一人になってから、初めて気がついた、愛されることは生きることで、愛することも生きるためにはひつようなんだと、今の私は、誰からも愛されないし、愛することもないのだ。

ただ、食事をして、無駄な時間をすごして、老人になっていくだけのつまらない人生。
だれのためにいきるなんて、ひとつもない、不幸な人生が続いていく。
失ってからわかる、誰かの為に生きるのが、幸せだって事を、愛する人の為に生きた人生が楽しかったことを、貧乏だから、贅沢はできなかったけど、愛する人と、旅ができた日々はしあわせだったのだ。

金って、人を不幸にするけど、たまにしあわせにする、デモそれを使う人が幸せでないとなんのいみもない、道具だって事を最近知った。生きる道具だから、少しもないと困るがありすぎても不要なものなのだ。
必要な人には、金もいい道具になるが、私は生きていくために大切な人がいないのだから、その道具も役に立たないものなのだ。

だから、家も何にも要らない、布団でねれたらいいのだ、一人でこじきになったって私はそれを不幸とはおもわない、デモ好きな人が悲しむのが一番つらいのだ、私なんて道ではえずりまわったって、それは、かなしくはない、自分の貧乏なんて、どうでもいいのだ。
好きな人が、苦しむ姿が、つらい。
そういう意味でも、私は不幸でもないし、幸せにもなれないわけだ。

むなしい、砂をかむような味気ない人生を死ぬまで送るだけだ。
その道は運命だろうね、そんなことでもがいたりしないで、黙々と死ぬために一日を過ごそう。
そうしたら、天国に、愛した人々がたくさんまっているのだ、いつか再会できるから。
それまでは、孤独の幸せのない世界でいきるのが、人間としての義務なのだ。

しあわせの分量って人それぞれ限りあるものらしい、私は家族がいるときに十分しあわせだったから、いまは、後悔していない、幸せを使い切った後の人生の生き方について、私は考えてなかった。一人で、うまく生きていく準備がなかったのだ。
幸せという目に見えないものに、守られていた過去はもう私にはない。

うしなうものはないのだ、つまらない自分の命だけだ。
不幸だけの切符を持った、自分の命は、そのうちにきえるのだろうとおもう。

数少ないあなたにいう、愛する人を持つことだ片思いでもいい、かなわない恋でもいいすることだ。
そして、つまらない人生に、その人のために何ができるのか、何をしたらその人が幸せに生きることができるのか、かんがえるだけでも、幸せになるのだ。

私は、バレンタインデー本命チョコを、あげることをおすすめする。
義理チョコでもいい、そこから恋のはじまりがあり、いい人をみつけることができるきっかけだから、
私の場合も義理チョコで、20年ほどばら色人生を経験したから、それはそれで貧乏なりに幸せになるきっかけになったから。

人を悲しませるよりも、喜ばせることをしたら自分に跳ね返るので幸せになれるとも思う。
だから、私の人生の失敗談を書いてみた。
こんな私にもプチ幸せがあるのを最後に書いてみよう。

あほらしいけど、私は動物が人間よりも大好きだ。
こいつらがえさをうまそうに食べるのを見ると、心が癒されるのだ。
そして、草花が冬を越して、美しく咲き、新緑に緑が覆われるとき、心が昔のようにときめく。
金で買えない小さな、小さな幸せを感じるときだ。

無駄な人生を送れば、生き方を変えて、小さな幸せの積み重ねで、いつか昔のような満足行く幸せにたどり着くかもしれないと感じている。
日常の何気ない変化に、自然の美しい変化に、いろいろな人々の喜ぶことに、プチ幸せを少しかんじたらいいのだ。私の人生は半分は、おわったのだから。

残りは、他人様の幸せを願って生きていったら、悪いことはたくさんはないだろう。
こんなつたない、文を読んでくれた貴方が、少しでも幸せになることを祈ろう。
バレンタインデーには、ぜひ本命も義理でもチョコを、女の人はあげてください。
男なんて、義理と知ってもうれしい人がいますから、そのうちに本命になりしあわせになれるかもだから、義理チョコをあげるのも、いいです。

ぜひ、バレンタインデーには、義務チョコをしてください、感謝チョコでもいいね。


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