これ、私の場合は変わっている、死にたいから。
天国に痛みなくいける切符を買いたいわけね、孤独に慣れても生きている意味がないから。
長く生きても、無駄な人生と最近やっとわかった。
保険金をかけても、受け取る人もないから、役立たずな人生でしょ。
生きる無駄を最近よく思う、役に立たない人間である私に、無駄な人生を送る。
そのために、生きるために、苦しむことが多くなる、たとえば体ががたがたになっていく。
老婆になるわけだから、体が醜くなり、鏡をみたくなるわけだし。
お金で死ねるものなら死にたいね、デモひとつだけ痛くない方法を選びたい。
自殺は、地獄に堕ちるわけだから、寝ているうちに安楽に死亡できる合法的な死に方がいいね。
お金のある人は、幸せそうだけど、私にはそうとはおもえない。
わたしは、貧乏でも幸せだったときもあったが、今はたとえ金があったとしても不幸だ。
酒も飲めないし、何にも人生の楽しみをしらないわけだ。
そして、生きる苦しみだけは確実にわかる年齢になるし。
酒でも飲めたら、しあわせだったのかもしれない。
もちろん覚せい剤もしたことがない、とてもきもちのいいものらしいが、私はたぶんその後の倦怠感にたえられないので、できないし、その金もないわけだ。
お金があったら、したいことは何もないが、生きるただ、生きる苦しみが私をおそう。
いきるのが、あほらしいが、自殺はできないのだから、ただむなしくいきなくてはいけない。
もっと、若かったら、何がしらの役にたつのに、今は役に立たない、くずだしね。
せめて、保険金でもかけて、受け取る人がいたら、いいのにね。
うちの、金魚や、小鳥たちがもしこれから、死んだら私はもう飼いたくはない。
自分のこともできない私が、ペットを買うなんて、贅沢だしね。
人生をすべて整理して、小さな小さな布団だけおけるドヤにでも住んで人生を終えたい。
そして、今の生活を整理しなくてはいけない、ドヤなら死んでも無縁仏として葬れるし。
かたずけも簡単だから、早くそれをしなくてはいけないと最近感じている。
部屋のかたずけとかが、まだしていないし。
3畳一間で、死んでいくのもわるくないとおもうし。
私が今生きるのは、天罰だとおもっている、苦しいときも一人で苦しんでいるし。
病気のときなんて、のた打ち回ってはきまわって、生きているし、しんどいけどひとりだし。
これは天罰いがいのなにものでもない、死ぬまで一人で生きなくてはならない。
だから、この苦しみから逃れたくもなる。
しかし、地獄の苦しみはこれからだと思う。
そう苦しみは、もっときつくなるのだ。
この部屋にすめなくなり、狭いドヤに住んで、こじきたちにたかられ、汚い男たちにあそびものにされ、傷つけられ、馬鹿にされ生きていくことになるのだ、地獄はこれからも続くだろうね。
ドヤに住んだら、周りの人は犯罪者とか、いろいろな悪い人々に囲まれて、汚いからだの私は馬鹿にされいきていくことになるからね、惨めな人生はこれからなのだ。
三畳一間の狭いところで、布団の中で野たれ死ぬまで生きるだけなのだ。
のたれ死ぬのがおそいほど、私は苦しんで、地獄にいきるわけ。
それがこの町のルールだし、あたりまえのことなのだ。
お金があったら、そんな地獄まで行かないうちに、私は天国に着たいのだ。
しかし、私は地獄にすでに堕ちてしまったからこれからもくるしむのだ。
苦しんで、息ができなくなるまで、苦しんでのた打ち回って血を吐いてもしねないのだ。
これが、私の生き地獄だ。
そして、それでもこの生き地獄から抜けることを信じて、生きる。
馬鹿な人間は、私なのだ。貴方はそれを笑うだけの人間とすでに、気がついているまさに、地獄だ。