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やっと冬らしい寒さになってきたが、やっぱり温かい方がいいかな?
朝から、ふれあい会館で、本年最後の自治連合会の定例会を行った。奈良市からの連絡事項を伝えて後、昨日奈良県から説明のあった、平城宮跡で行われる冬のイベントの説明をした。
「奈良県では最も観光客が少なくなる冬期の宿泊観光客の増加を図るため、「大立山まつり」を核として、県内の伝統行事(御所市や橿原市、広陵町など)を集結させ、来年のお正月直後(1月29日~2月2日)に大規模なイベントを新たに平城宮跡で開催する予定だという」
イベントでは、奈良県が創案した「大立山まつり」。FRP製の四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の巨大な人形の灯籠(人形の内部に明かりを入れたもの)を4基作り、平城宮跡などで運行し「無病息災を願う」という。全国的に有名な青森県の「ねぶた祭り」に登場するような大型の立山をイメージして製作する計画という。
自治会へのパンフレットの配布の依頼と行事への参加依頼があったことを伝えて意見をいただいた。
なんでこんな寒い時期に?
何を手伝えというの?
等々いろんな意見が出た。
しかし、世界遺産平城宮跡を歴史公園として生かすために、春、夏、冬に天平祭を奈良県、奈良市が行ってくれているので、東部に隣接する法華寺界隈の活性化に活かしていくことを考えようと訴えてきたが、今回、冬のイベントで集客(交流人口の増加)をしてくれるのであれば、我々はそれを最大限に活用していきたい。
また、どこかのイベント会社が行うにしても我々もそこに参加をして市民の祭りになるように育てていこうと訴えた。具体的には、企画もまだ決定していないというので、参加の表明をすることで了解を言っただいた。
このイベントには、「偽ねぶた」などさまざまな反対意見がある。私も「なぜ?」ということはたくさんある。しかし歴史公園として位置付けられた世界遺産平城宮跡を奈良時代のように国際色豊かな賑やかな街になって欲しいと思う。
その中でも、新年に「無病息災を願う」というのであれば、平城人が、もっとも恐れた、「天然痘」や病気の災いから身を守る祈りとして行った行事を是非取り入れて欲しいと思う。
「平城京に暮らす」(天平びとの泣き笑い)より!!
天平7年(735年)九州で流行に兆しが見られた天然痘が9年頃には大流行となり、藤原4兄弟が死亡しているが、続日本書紀には、「今年の春、疫瘡が大発生した。初めは筑紫から広がって、夏から秋まで大流行した。公卿以下天下の百姓は、相継いで死んでしまい、死者は数え切れない。全く未曾有の事態である」と書かれている。
また、二条大路木簡(長屋王宅と藤原麻呂の間に掘られた長い溝から発見された木簡群)の中に、呪いらしい文言が書かれた木簡が発見されたり、膨大な灯明皿が発見され「万灯供養」に使われた可能性があるのではないかと言われている。何を祈るための万燈供養だったのかわからないが「天然痘の退散」を祈ったのではないかと言われている。
天然痘の退散の必死な祈りをした「万灯供養」も明かりのイベントにならないか?
そして、京内の家々にも病気の災いから身を守る多くの祈りがあった。
「土で作った小さな馬の人形である土馬(どば)、土器の外側に人の顔を描き、おそらくは息を吹き込むなどして穢れを移して祓ったと考えられている人面墨書土器、お祀りに使ったと考えられるミニチュアの竈や、結界(けっかい)に使われたかと考えられる斎串(いぐし)と呼ばれる小さな木製品などである。平城京の宅地の中でも、平城宮で行なわれる祭祀の小型版が、執り行なわれていたに違いない。」
この中で、「人面墨書土器」「人面墨書布」が面白い。 (描かれたのは鬼か疫病神か)
壺(土器)に息を吹き込み、布をかぶせて、病を閉じ込めるというものらしいが、こんなことで病気が治るとは思わないが、当時は、そうして必死になって災いから守ろうとしていたのであれば、「大立山」のイベントでも「無病息災」を願ってできないかと思う。
せっかくの平城宮跡でのイベントなので、これらの事例を加工して考えてみればと思った。
「人面墨書土器」「人面墨書布」ぜひやってみよう!