安堵町のイチゴ栽培農家やレンコン農家の視察を「Uネット」の人や生駒の人や菰川の家庭菜園家等々で比嘉先生に同行をしました。ぼかしの作り方や正しい判断の仕方、活性化液を大量に作り時の注意。れんこん田での活性液の投入の仕方、「イチジク」の育て方と害虫駆除の方法等々について農家の人の質問に明快に答えておられました。
そして、その後、いかるがホールに移って、昼食をする間にも相談に応じていられました。私もその足で、「なら・観光ボランティアガイドの会」10周年式典に急行をしました。
「なら・観光ボランティアガイドの会」は10年前に私と河合さんが発起人になって、まちづくり講習会に参加していた人たちに呼びかけて立ち上げました。設立時のメンバーも13人中7人が参加。懐かしい顔にあって昔話に花が咲きました。
藤原市長もお祝いに駆けつけていただきました。そして設立当時の7人も壇上で紹介をしていただき懇親会に入りました。
「なら・観光ボランティアガイドの会」「朱雀」についてはまた後日書きたいと思います。
お昼ご飯も食べていなかったので少しいただいて中座をしてまた、いかるがホールに戻りました。到着すると既に「菰川の取り組みについて、山中さんの発表が終わったあとで、県下の団体のグループからの質問会に入っていました。
懇親会では、EMで作った野菜の料理や、EMで調理をした料理が並べられていました。皆さん、さまざまな料理においしい、おいしいと食べておられました。 Uネットの木村さんは、青森県から、吉澤さんは茨城県からとその他大阪や、和歌山からもたくさんの人が参加競れていました。
忙しい1日でしたが、昨日から比嘉先生が、63歳とのことでしたが本当に初歩的な質問から専門的な質問まで真摯な態度で、懇切丁寧に応対しておられる姿には感動をさせられました。自らも沖縄で、畑を作りみんなに開放をしているとか、年間100回以上講演に飛び回っているとか。
いろんな人から批判され迫害され続けても、また、アメリカやヨーロッパの国々でも裁判沙汰になってもすべて勝利して、今日まで20数年間、自分の発見を独占することなく広く公開をしながら賛同者を増やし環境や人に優しい行為を続けられてきたことに心から賛辞を送りたい。
比嘉照夫 農学博士・琉球大学農学部教授
1941年、沖縄県に生まれる。琉球大学農学部農学科卒業、九州大学大学院農学研究科博士課程修了。1982年から琉球大学農学部教授。「EM技術」の開発者として世界的に知られ、国内外でEM技術による農業、工業、環境、水、そして医学など、多方面で技術指導にあたっている。自然農法国際普及実行委員会委員長、(財)自然農法国際研究開発センター理事、、NPO地球環境・共生ネットワーク会長、アジア・太平洋自然農業ネットワーク会長、(社)日本の水をきれいにする会学術顧問、(財)日本花の会技術顧問。主な著書に『微生物の農業利用と環境保全』(農文協)、『地球を救う大変革』(1)(2)(3)、『EMで生ゴミを活かす』、『甦る未来』(いずれもサンマーク出版)、総監修として『EM環境革命』、『EM産業革命』、『EM医学革命』(いずれも小社)など、多数がある。