第4回「山添伝統文化子どもフェスティバル」では、全国子ども民俗芸能大会に出場した、「御殿万歳」や子ども狂言「しびり」「あかがり」が演じられ、特別出演として、山添村の無形文化財に指定されている、「神波多神社神楽」(天王の獅子舞)獅子踊りや剣の舞そして四方掛かりが上演されました。また、布目和太鼓倶楽部の「豊年太鼓組曲」やお茶芽コーラースによる音楽物語(ミュージカル)ゴンギツネの演技等々がありました。
社会教育での各教室の発表会のようなものですが、子どもを中心とした文化活動を社会教育が積極的にサポートされていました。とくに、山添村の「山添の心を未来につなごう」との心意気を大いに感じさせていただきました。
奈良市も3月議会で私が主張・要望をしてきた、仮称「奈良市文化芸術振興条例」が、「奈良市文化振興条例」として提案をされ実現をしそうですが、この山添村のように行政がバックアップする所まで言っていません。この条例制定されることによって、さらに奈良の文化芸術を育て発展させていかなければならないと感じさせていただきました。特に、遷都1300年には、大極殿正殿前で、「全国子ども芸能フェスティバル」の開催に向けて取り組んでいく勇気をいただきました。
その後、神野山や、鍋倉渓を見学しましたが、多くの住民の方と話をする中で、合併問題について未だに住民間に大きな亀裂が生じていることがわかりました。
山添村では、国により市町村合併が推進される中、2002年から奈良県が計画した月ヶ瀬、都祁村、山添村の3村と奈良市の合併を推進したことにより、村を2分する活動が展開されました。
合併推進派 「将来の山添を考える会」(三宅正行代表)が結成され、反対派では「明日の山添村を考える会」(●●代表山添村議)日本共産党は、奈良自治体問題研究所の小笠原雄二郎、京都大学大学院教授の岡田知弘を招いて学習会を行うとか、同じく反対の立場にたった保守系村議等が独自に「ふるさと山添村を考える会」(奥 誠代表)が京都自治体問題研究所の西浦健之、大阪自治体問題研究所理事長で大阪経済大学教授の重森 暁さんの講演のもと学習会を開催され、村内で賛成反対が議論されました。
2003年8月17日、市町村合併の意思を問う住民投票が行われ。投票率86.26%、『合併協議する』1545票、『合併協議しない』1963票となり、結果、山添村は奈良市との合併をしないということになりました。
共産党村議は、「合併協議しない」という村民の審判が下った要因は
第一は、合併を進める人たちには、正義も道理もなかったということです
第二は、奈良市との合併によって村民負担が著しく増えるという現実でした。
第三は、住民サービスの低下です.合併によって役場がなくなるということが最大
の問題でした。
第四は、住民の声が届かなくなるという問題です。
第五に、村民が合併の本質を知るもっともいい教材となったのは、農協の合併の
事実です。
市町村合併の押し付けは、小さな田舎の市町村に試練を与えています。しかし、合併の住民投票のなかで、講演会などに参加した村民は実に四割。投票率も86.26%に達しました。住民投票を機会に、新たな自治意識も芽生え、小さいからこそできる村民参加の村づくりを進めようとしています。
勝利の最大の要因は、、何よりも「村を残したい」という党派を超えた運動がありました。運動では劣勢だった初盤の情勢を大きく変えたのは、保守系無所属議員をはじめ、「村を残したい」と願う人々のがんばりでした。
と共産党村議は、彼らのいつもの手段である「不安をあおり、いかにも住民側に立っているというスタンスと、○○の会という党名を隠した形での運動の展開」により合併が成立しなかったと宣伝をしていますが、合併しなかったことの是非は今後問われてきます。
しかし、「運動では劣勢だった初盤の情勢を大きく変えたのは、保守系無所属議員をはじめ、「村を残したい」と願う人々のがんばりでした。」と自らも認めているように、自分たちの力ではなく保守系無所属議員を中心とした村民の活動による結果だと認めています。
特にある県会議員は、反対派の中心にあって村長にも圧力をかけたとの話もあります。
いずれにしても、合併の結果については、後世の人の評価を待ちたいと思いますが、反対派の彼らが言う「住民投票を機会に、新たな自治意識も芽生え、小さいからこそできる村民参加の村づくりを進めようとしています」の声は、今日お会いした村民の方々からは聞こえませんでした。
私は、山添村が夕張市のようにはならないと思いますが、時代の流れを読み間違えてはいけないと思います。奈良市に取ってはこの合併がプラスになるとは思いませんが、3村が一体であってこそ合併の効果を発揮できると思います。
月ヶ瀬、都祁の人たちは、まだ合併の不安があると思いますし、その是非の評価が下せない所があると思います。この月ヶ瀬、都祁の人たちに合併したことが良かったと行っていただけるように、今後も全力を挙げて取り組んでいかなければいけないと思います。
山添村民の皆さんの健闘を祈るだけです。
社会教育での各教室の発表会のようなものですが、子どもを中心とした文化活動を社会教育が積極的にサポートされていました。とくに、山添村の「山添の心を未来につなごう」との心意気を大いに感じさせていただきました。
奈良市も3月議会で私が主張・要望をしてきた、仮称「奈良市文化芸術振興条例」が、「奈良市文化振興条例」として提案をされ実現をしそうですが、この山添村のように行政がバックアップする所まで言っていません。この条例制定されることによって、さらに奈良の文化芸術を育て発展させていかなければならないと感じさせていただきました。特に、遷都1300年には、大極殿正殿前で、「全国子ども芸能フェスティバル」の開催に向けて取り組んでいく勇気をいただきました。
その後、神野山や、鍋倉渓を見学しましたが、多くの住民の方と話をする中で、合併問題について未だに住民間に大きな亀裂が生じていることがわかりました。
山添村では、国により市町村合併が推進される中、2002年から奈良県が計画した月ヶ瀬、都祁村、山添村の3村と奈良市の合併を推進したことにより、村を2分する活動が展開されました。
合併推進派 「将来の山添を考える会」(三宅正行代表)が結成され、反対派では「明日の山添村を考える会」(●●代表山添村議)日本共産党は、奈良自治体問題研究所の小笠原雄二郎、京都大学大学院教授の岡田知弘を招いて学習会を行うとか、同じく反対の立場にたった保守系村議等が独自に「ふるさと山添村を考える会」(奥 誠代表)が京都自治体問題研究所の西浦健之、大阪自治体問題研究所理事長で大阪経済大学教授の重森 暁さんの講演のもと学習会を開催され、村内で賛成反対が議論されました。
2003年8月17日、市町村合併の意思を問う住民投票が行われ。投票率86.26%、『合併協議する』1545票、『合併協議しない』1963票となり、結果、山添村は奈良市との合併をしないということになりました。
共産党村議は、「合併協議しない」という村民の審判が下った要因は
第一は、合併を進める人たちには、正義も道理もなかったということです
第二は、奈良市との合併によって村民負担が著しく増えるという現実でした。
第三は、住民サービスの低下です.合併によって役場がなくなるということが最大
の問題でした。
第四は、住民の声が届かなくなるという問題です。
第五に、村民が合併の本質を知るもっともいい教材となったのは、農協の合併の
事実です。
市町村合併の押し付けは、小さな田舎の市町村に試練を与えています。しかし、合併の住民投票のなかで、講演会などに参加した村民は実に四割。投票率も86.26%に達しました。住民投票を機会に、新たな自治意識も芽生え、小さいからこそできる村民参加の村づくりを進めようとしています。
勝利の最大の要因は、、何よりも「村を残したい」という党派を超えた運動がありました。運動では劣勢だった初盤の情勢を大きく変えたのは、保守系無所属議員をはじめ、「村を残したい」と願う人々のがんばりでした。
と共産党村議は、彼らのいつもの手段である「不安をあおり、いかにも住民側に立っているというスタンスと、○○の会という党名を隠した形での運動の展開」により合併が成立しなかったと宣伝をしていますが、合併しなかったことの是非は今後問われてきます。
しかし、「運動では劣勢だった初盤の情勢を大きく変えたのは、保守系無所属議員をはじめ、「村を残したい」と願う人々のがんばりでした。」と自らも認めているように、自分たちの力ではなく保守系無所属議員を中心とした村民の活動による結果だと認めています。
特にある県会議員は、反対派の中心にあって村長にも圧力をかけたとの話もあります。
いずれにしても、合併の結果については、後世の人の評価を待ちたいと思いますが、反対派の彼らが言う「住民投票を機会に、新たな自治意識も芽生え、小さいからこそできる村民参加の村づくりを進めようとしています」の声は、今日お会いした村民の方々からは聞こえませんでした。
私は、山添村が夕張市のようにはならないと思いますが、時代の流れを読み間違えてはいけないと思います。奈良市に取ってはこの合併がプラスになるとは思いませんが、3村が一体であってこそ合併の効果を発揮できると思います。
月ヶ瀬、都祁の人たちは、まだ合併の不安があると思いますし、その是非の評価が下せない所があると思います。この月ヶ瀬、都祁の人たちに合併したことが良かったと行っていただけるように、今後も全力を挙げて取り組んでいかなければいけないと思います。
山添村民の皆さんの健闘を祈るだけです。