今日のころころこころ

2014・10・14 おばさんの道 かながわの古道50選・滝山街道と矢倉沢往還との交差部付近 滝山街道

台風一過。暑い。風があるからいいけど。

かながわの古道50選・滝山街道と矢倉沢往還との交差部付近。

滝山街道は、小田原城の重要な支城であった鎌倉の玉縄城と八王子の滝山城とを連絡し、後北条氏が領国を支配する上で重要な道の一つとされました。江戸時代になると人の往来も盛んになり、街道が整えられました。中でも下鶴間の鶴林寺前を東西に走る街道は、矢倉沢往還と呼ばれ人馬継立場がありました。また、この道には旅籠や商家が並んでいたそうで、天保2年(1831)9月には、蘭学者で画家でもあった渡辺崋山がこの角屋で一泊し、その時の様子を『游相日記』に書いています。滝山街道と矢倉沢往還との交差部の山王社に道標が残っています。
ふむふむ( ..)φ

きんが居眠りしてる。

暑いんだな。。。豆腐体力のおばさんも無理をしないで2日に分けよう。今日は滝山街道を歩こう。
スタート地点の大雑把な目標は、しまむら下鶴間店さん。
東急田園都市線・つきみ野駅下車。

スマホのナビでしまむらさん向かって歩き出す。

おや?子供たちはお休みなのかな?

お!なにやら大きな駐車場。

下の道は暑そうだから、陸橋を渡る。

あの大きなのはイオンだったのか。

しまむらも見えていたが、ありゃ・・・行き止まり。

引き返して、イオンの前を歩く。なにやってんだか(T_T)

坂上公園入口交差点から、スタート。

秋だなぁ。

お!幼稚園だ。

歩く。

お屋敷だ。

辻かな?

曲がってくる車からは見えにくいから張り付くように右に行ってみる。

日枝神社様だ!そこだけ時間が止まっているようだ。

日枝神社様というか山王社様というか、辻の神様がおわすところは、分岐。

ここが、滝山街道と矢倉沢往還の交差部。
信号を渡って、滝山街道を行く。



交差点だ。

まっすぐに来たからまっすぐかとも思ったが、50選の地図にわざわざ山王原バス停が記載されてるということは・・・

その交差点、右にまっすぐ。

お!お社。

今の輸送部隊が走る。

その先の交差点もまっすぐ。

農協と小学校が見えてきた。

大和市立大和小学校。
広々とした素敵な小学校だな(^^)子供たち幸せだな(^^)

校門前に滝山街道の碑。

そろそろ終点。

鎌倉までまっすぐ、なんだろうな。

玉縄城から滝山城までは、どのくらいの時間だったのだろうか?こんだけまっすぐだと、馬なら数時間だったんだろうな。シンプルな軍用路。後北条氏の強さを思う。
帰ろう。

腹減った。
いつだったか立ち寄った華屋与兵衛さんなるファミレスがあんましにも不味くて、和風ファミレスこりごりだっただったんだけど、他に無くて寄った夢庵さんは、美味しかった♡今度から夢庵さんなら寄ろう。不思議なもんだな。

付記。
玉縄城は、新井城に追い込まれた三浦道寸の反撃と援軍を押さえるために北条早雲によって築城された。
その後も約一世紀にわたり修築・拡張を繰り返し、小田原北条氏の相模東部の押さえとなった。
六代目・氏勝が最後の城主。といっても城を枕に討ち死にしたわけではなく、最終的には下総岩富一万石の大名として生きた。
松平正綱が二万二千石で玉縄藩を起こしたが、孫の代で上総大多喜に移封され、藩は廃藩となった。
今は、主要部分は清泉女学院となり、周囲も宅地となっている。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「かながわの古道50選などなど」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事