よく晴れたが、風が強い上に冷たい。でも、歩くにはいいかな。
かながわの古道50選。京鎌倉往還の旧相模川橋脚、鶴嶺八幡宮松並木付近。
この道は、西へ向かう途中で3本に分かれたと伝えられていますが、そのなかで旧相模川橋脚に至る道が選定されました。関東大震災の時、水田の中から直径50㎝もある檜の丸材が7本地上に出てきました。これは、稲毛三郎重成が北条政子の妹であった亡妻の供養のために建久9年(1198)に相模川に架けた橋の橋脚と考えられています。また、橋の幅は7m余りと推定されています。なお、源頼朝はこの橋の渡り初めを行い、その時に馬が暴れ相模川に入ってしまったといわれており、これが相模川の下流を馬入川と呼ぶ由来です。また、頼朝はこの時の落馬が原因で死亡したという説があります。
ふむふむ( ..)φ
辻堂から歩く方がいいのかもしれないが、逆光とのバトルがいろんな意味でめんどーなので茅ヶ崎から歩くことにする。
JR・茅ヶ崎駅下車。北口からどこ行きでもいいが、町屋バス停か今宿バス停を通るバスに乗る。たまたま平塚北口行きのバスが停まっていたから飛び乗る。
国道1号線を走って今宿バス停下車。
茅ヶ崎駅に引き返す方向に歩き出す。
目印は、二トリさんです。二トリさんの向かい側に旧相模川橋脚が保存されてる。
有名だから能書きは省く。
もう3度目になるかな。。。地震の液状化現象といえばそれまでだが、こうして旧東海道の長大橋が伝説ではなく実際に姿を現したという事実に、いつ来てもなぜだかじんわりときてしまうのです(^^)
桜はまだ。
歩き出す。
歩き出すって・・・おいおいどうやって国道渡るんだよ。信号なんか近くにないよ。
あ!お婆ちゃんが斜め横断した!私もと思ったが、そういえば歩道橋があったなといい子ぶって下町屋橋を平塚方面に引き返す。
いにしえの橋の方が立派だったんだろうなぁ。。。
行ってみたら歩道橋も国道の向こう側。結局は私も斜め横断。
歩道橋を渡り今度こそスタート。
と言っても・・・宅地化がそうとうに進んでいるから自信は全くない。たぶんで行く。
お!くるたびにお前らは悪さしとるな。。。
下町屋橋を茅ヶ崎方面に渡り、一本目の小道を入る。
おやおやいきなし分岐だ。
ん?その幼稚園は梅雲寺様の経営なのか。右に行く。
お!梅雲寺様。
難除三宝荒神様が有名な古刹だ。
梅雲寺様の横の道が、そうだといわれている。
塀に添って曲がる。
古刹とはいえ梅雲寺様の建立は1599年だから、京鎌倉往還の頃の風景はずいぶんと違っていたんだろうなぁ。ランドマークみたいな山とか見えたのかな?
お!公園だ。
そうか。この赤い道は遊歩道か。さっきの幼稚園分岐直進でつながってるのかな?
いにしえもここらあたりで休憩していたりなんかして.。o○
東に向かって歩く。
あ!見おぼえある道だ!
鶴嶺八幡宮様参道松並木。
でも今日は鶴嶺八幡宮様には寄らないの。遠くからご挨拶。
松並木を少し相模川方面に行き、行くんだよな?この大雑把な地図?
おお!なんかある!
残念でした。松並木の解説だった。
でも、この道ですかね・・・?
なんで鶴嶺八幡宮様をスルーかといえば、松並木を横切った先の方の矢畑肥地力の地に源頼義が戦勝祈願のために京都は石清水八幡宮を勧請したといわれてる。その後浜之郷に移したものが今の鶴嶺八幡宮様であるという伝説。そうならば確かに、この道と鶴嶺八幡宮様が離れているのも納得できる。
ま。案内板設置広場の横を行く。
畑の奥に石の神様たちが見える。
でも・・・ここまでが限界かな。地図の方も点線になってる。典型的な首都圏型新興住宅地だ。
スマホに茅ヶ崎市保健福祉事務所と打ち込んでナビで歩く。
ぐっと道が広くなった。
保険福祉事務所の信号を渡る。
橋だ。
せんのかわ。飯島橋。
それにしても不思議なものだな・・・古道は消滅しているのに、この鎌倉へ真っすぐ感はある。。。
ジャスコじゃないイオンと行政施設が向き合う。いにしえも賑やかだったのだろうか?
真っすぐに歩道橋を渡る。
中央公園の中を行く。
いい公園だ。
公園終り。
真っすぐに東。
お!JR相模線。
・・・渡らなきゃ・・
茅ヶ崎方面に踏切が見えた。
踏切を渡る。
渡ったが・・・たぶんその一本目の道を東に入る?
墓地だ!この道でいいのかな?
それにしても、なんだ?この墓地?
たまたま墓掃除されていた若い女性におうかがいしたら、なんでも3つの寺の共同墓地ということだった。その方もそれ以上はご存じなかった。
かなり歴史ありそうな感じなんだけどな・・・
墓地から印象的な大木が見えた。たぶんこの道だろう。たぶん。
でももう完全に行き詰り感。
今日はここまで。
作戦タイムだ。
また来週。