今日の長野盆地は晴れだった。
小布施のフローラルガーデンおぶせさんはまだバラが綺麗だった。
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山は晴れたり曇ったり降ったり目まぐるしい。
山田牧場はレンゲツツジとドウダンツツジが雨に濡れていた。
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見晴茶屋さんのちいちゃんは眠ってばかり。
私の母と同じ年くらいだ。
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志賀高原の空気をちょこっと吸って予定が待ってる下界へ。
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ちいちゃんの寝姿をみていたら、ま、仕方ないかといつの間にか気持ちが切り替わっていた。
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私の長野滞在は雑用処理。
本日一番時間を取られたのは、ゴミ。
父と母が溜め込んだゴミと格闘を始めてからそろそろ一年になろうとしている。
今日は、ネバーエンディングゴミストーリー-エピソード母の部屋の押入れ-
施設にすっかりと馴染んでしまって家に帰りたくないという母。
季節はめぐり秋から春。
衣更えはしなくていいのかな?
施設に確認してみたら、母から、してちょうだい!のメッセージと共に秋冬物のパジャマ3組とヨレヨレの靴下1足が来た。
とにもかくにも家に帰りたくないと言い張る母は病院から今の施設に移らせてもらった。
病院は入院セットがあってそれを着ていればよかったけど、施設は持ち込み。四回の腰の圧迫骨折を経た母は特に下半身の体形がだいぶ変わってしまっていた。下半身は大きなサイズを買いついで上半身も買った。
今度は春夏物をもっていくのだけど、下半身は新しいのを買うけど、母の部屋の押入れに色々と入っている感じだったから上半身は手持ちので賄えるんじゃないかと思った。
そして押入れを開けて探し始めて絶句。
あるなんてもんじゃない!
下着は着古したものから未開封の新品まで数百枚はある。
カットソーもスラックスもアウターも何もかも下着と同じ以下同文。
下半身はもう全部着られないのだから手あたり次第にゴミ袋に放り込む。上半身は迷うことばかり。
ん?あのダンボールは何が入っているんだ?と開けてみたら、新品のバスタオルとフェイスタオルがぎっちりと詰まっていた。
これも絶句。
今まで、新しいタオル無いの?と聞けば、無いよとの答え。
じゃあと買ってこようとすれば、出してくる。しかも特にバスタオルは本当にもったいなさそうに渋々と出してきて悔しそうに投げつけるように渡す。在庫がないんだと思っていたのだけど、違った。単に新しいタオルを溜め込んでおきたかっただけだったんだ。
軽トラに積み込みながら、ため息。
どこかを開ければ、ネバーエンディングゴミストーリー。
昭和12年生まれの母は第二次世界大戦敗戦時は8才だったということだ。本人は私は小さかったからよく覚えてないというけど、その後の物不足はきっと私が想像するより遥かに過酷な体験だったのだろう。
と、思うのだった。