昨日は午前中で雨が上がったから横須賀美術館へ。


「運慶-鎌倉幕府と三浦一族-」。
会期は7月6日~9月4日。
展示室は撮影禁止。


三浦氏は、後に本家筋は北条氏に滅ぼされてしまうが、源頼朝が鎌倉幕府を開く原動力になった一族。
源頼朝が鎌倉幕府を開くまでのいわゆる武とは、常に都の顔色をうかがい荘園の用心棒をしてるだけのたいそうに惨めな存在だったのだ。

日本のミケランジェロと称される運慶は、奈良の仏師の家に生まれ、やはり仏師の道を歩んだ。
本来ならそのまま奈良で仏師をして生涯を終えたであろうはずが、どういうわけだか途中で鎌倉へ下向しいくつもの仏像を残した。
運慶仏は、筋骨隆々で重量感があり力強く男性的で、衣の衣紋は渦潮のようにダイナミックなのが特徴。
更に、眼。
毘沙門天や不動明王の眼は水晶がはめ込まれた玉眼。強烈な目力だ。
阿弥陀如来の眼は彫眼だけどこれも迫力がある。
運慶以前の仏像は、たおやかで女性的だったのだ。

見終えて屋上に出てみれば、すっかりと晴れてきていた。



ふと、あのうちわの意味がわかった気がした。

今年は行かなかったけど、去年は鶴岡八幡宮さまのぼんぼり祭りに行った。



そこで授与されていたうちわの絵柄が、三谷幸喜氏のこんがらどうじだったのだ。
来年の大河ドラマだなとしか思ってなかったのだけど、そういえばなんで三谷氏は運慶を選択したんだろ?鶴岡八幡宮という場所で授与されるうちわだったという理由だけだったのだろうか?
私は実はテレビを自主的に見ることは災害時以外は無い。大河ドラマも家族が見ているからついでに眺めるという程度。でもそういえば、運慶の描き方がすごく生き生きとしていた。
運慶は、今では運慶運慶ともてはやされるけど、運慶が生きた時代の奈良の仏師の地位は低かった。大きなメインの仕事は京都の仏師が仕切り奈良の仏師はそれ以外の仕事を割り振られるだけだった。
運慶はひとりで彫る仏師ではなかった。弟子を適材適所に配してチームで作品を仕上げていた。若くしてそんな工房を率いて6人の子がいたというパワフルで創意あふれる運慶は、もしかしたらそんな奈良での日常に鬱積しているものがあったのかもしれない。
世の中は三浦半島の付け根あたりでダイナミックに動き始めていた。
運慶もその新しく荒々しいうねりの中の身を投じてみようと思ったに違いない。
新しい時代に相応しい新しい仏像。
ん。



