今日のころころこころ

2017・5・2 テキトーに渡るおばさんの橋 横浜の架替関東大震災復興橋梁・弁天橋 アートな親柱(^^♪

関東大震災で壊滅状態になった横浜の橋。復興事業で国施工37橋・市施工141橋が新築・改築・修築された。
大岡川に架かるのは、現存は大井橋・鶴巻橋・蒔田橋・山王橋・一本橋・道慶橋・太田橋・黄金橋・旭橋・長者橋・宮川橋・都橋の12橋。架替は越戸橋・観音橋・井土ヶ谷橋・清水橋・栄橋・末吉橋・大江橋・弁天橋の8橋。
夕暮れの弁天橋。

横浜震災復興誌にはざっくりと弁天橋の歴史が、明治四年三月架設せられ其の後明治四十一年九月鋼板桁橋として架設せら中央徑間四十九尺兩側徑間五十一尺なりと記されている。
別資料によれば、明治2年に吉田橋・野毛橋を経て野毛に至る道に代わり近道として木造の桁橋が架けられたのが始まりとある。
今の桜木町駅が横浜駅として開業したのは明治5年。駅と中心地である本町通り・弁天通りを結ぶ架設当時から交通量の多い橋だったようだ。激しい交通と木造の腐朽で明治6年に木造アーチ橋に改築され、明治41年にプレートガーダー橋に架け替えられたという。
関東大震災では落橋はまぬがれたものの傷みが激しく改修ではダメだったようだ。
横浜の関東大震災復興橋梁・弁天橋は、市施工・復興費道路橋梁費支辨橋梁52橋のひとつ。昭和51年に架け替えられた。今の橋は4代目ということになる!(^^)!
旧橋は横浜震災復興誌によれば。
位置・中區櫻木町一丁目本町六丁目地先(第三十一號國道)
橋種・肘木式鋼板桁
斜度・直角
橋長・53.50m
有效幅員・27.00m:車18.90歩4.50×2
面積・1.444.50㎡
施工期・著手昭和三年一月二十五日:竣功昭和三年十月三十一日
總工費・302.006.30円
とある。
今、弁天橋のたもとには横浜市新庁舎建設中。



人の動線はどうなるのかな?



親柱は、アート(^^♪
「未来に向かう帆」・関根伸夫・黒御影石・1976年。

4本それぞれ(^^♪







弁天橋からしばらくぼんやりと眺めていた。

建物とか動いているものとか服装とか様々に違いはするだろうけど、今までもこれからも夕暮れの橋を渡って家路に向かう心情は同じなのかもしれないなぁ。。
なんぞとわけのわからぬことを思ったりなんかした。


コメント一覧

うさぎ
tonnko家の藤さいこー!(^^)!
さきほどブログにお邪魔しておりました。
tonnko家の藤にはかないません。
素晴らしいお庭ですね!(^^)!
紫ゆれる紙に万年筆ですらすらと毛筆でさらさらと、
もう素敵(^^♪(^^♪(^^♪
tonnko
綺麗ですね
みなとみらいの建物が、水面に映る景色、
素晴らしいですね。
こんな素敵な写真が撮れたら、嬉しいでしょうね。

今夜も楽しませて頂きました。
ありがとうございます。
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