今日は朝から台風一過の快晴だった長野盆地。
休んでいる田畑の草刈りをしてもらっている間に私は母の第一菜園のキウイフルーツの床屋を命じられた。
爆発状態の枝葉を切り落としたり引っ張り出したりしているうちにキウイの実が見えてきた。
たわわに実るけど、実はこれ不味くて食べられない。
キウイはニュージーランド産最強。
こんな藪蚊の巣は切り倒せと何度も母に言ったのだけど、母は頑として聞き入れなかったんだよな。なんでだろ?
秋の夕日にたぶらかされるのかもしれない。
夕飯の用意があるから一足先に家路。
ウチの田んぼは秋風に雑草が揺れる。
近隣の田んぼは秋風に稲穂が揺れる。
農家の出でもなければ父のサラリーで生活していた母が腰があんな風になるまで素人農業にこだわる理由がさっぱりわからなかったけど、もしかしてこの稲刈りシーズンのギャップが寂しかったのかも。。。
今宵の食後は、桜井甘精堂さんの新栗舟流し栗ようかん。
毎年新栗が出たころの三日間のお楽しみ。
今の栗ようかんは缶詰になっているけど、昔は練り上げたようかんを大きな木の容器に流し込んで固めて切り分けて竹の皮に包んで販売したそうな。
お茶は抹茶にした。
今は冷蔵冷凍技術の発達で一年中なんでも食べられる。栗もしかり。
でもやっぱり新栗は風味が違う。
そういえば、栗の木テラスさんのモンブランは25日から新栗と店長さんが教えてくれた。
そうそう。草刈りに出ようとしたら新聞屋さんが来たんだ。
母の楽しみのひとつは新聞を丹念に読むことだった。
すっと朝日新聞と信濃毎日新聞をとっていたけど、いつの間にか信濃毎日新聞だけになっていた。
入院中は新聞の配達を止めてもらってある。
新聞屋さんに来月退院予定だから連絡するよと言ったら、いやその今日はこれをお届けにきたんですと言う。
今日で信濃毎日新聞紙齢五万号になったから記念にお持ちしたんですと言う。
五万号記念!
おめでとうございますとご挨拶してありがたく受け取る。
信濃毎日新聞は今では数少なくなってしまった新聞らしい新聞。
どんなにネットが発達しても、いや、ネットが発達すればするほど、人が身をもって現場を地道に取材し吟味した情報でなければ情報ではない。ただの無意味な孫引きの連鎖。
もし母が購読できなくなったら私が電子版を契約しようかな。
新栗と新聞で更けていく秋の夜。
窓開けっ放しは寒い。