気の広場

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自分を過信しない ・・・ ⑤ やり直し

2010-03-11 17:12:00 | Weblog
 人生は、何度でもやり直すことができます。

 やり直しがきかないというのは、今日の自分も明日の自分も、同じ自分だと考えるからです。

 今日は今日、精一杯に生きる。
明日のことなど、いま考える必要はありません。
いま、この瞬間の可能性を生きればそれでいいのです。

 絶望してみずから命を断つ人がいます。
さまざまな環境と心の景色(幻想)にふりまわされたあげくの哀しい ・・・ 結果です。
あるがままの自分を見つめることを放棄してしまった ・・・ 弱さです。





自分を過信しない ・・・ ④ 身一つ 

2010-03-11 15:11:49 | Weblog
 生きることは、かっこうの問題ではありません。

 どんなに体裁をつくっても、身一つ。皮と肉と骨。
そこへ、ねじ曲がった心をどんどん拡げてしまうから、にっちもさっちもいかなくなるのです。

 貧乏なら貧乏でけっこう、他人が笑うなら、笑わば笑え。
人は人、自分は自分。

 どうせ人生は、生き恥をさらす ・・・ のですから。










自分を過信しない ・・・ ③ エゴ

2010-03-11 14:25:55 | Weblog
 世の中には、自分で自分の命を絶ってしまう人がいます。
「死んだほうがましだ」というのが、その人たちの心情なのでしょう。
つまり、生きているあいだに、もうやることはなくなったということです。

 自分で命を絶ったほうが、この世に生きているよりも幸せだとその人が思うならば、それは死んだほうがいい。
いくら生きていても、生きるていることの意味を見いだせず、喜びも悲しみもなんの感情も持たずに生きているのは、生ける屍であり、抜けがらのようなものです。

 ところが、不思議なことに、みずからの命を絶ってしまう人が、最後に残すのは、「先立つ不幸をお許しください」といいます。
「ご迷惑をかけますが、あとはどうぞよろしくお願いします」といいます。

 多額な借金で首がまわらなくなり、どうすることもできなくなって自殺する人の、よくいうセリフがこれです。
 一見、殊勝なセリフで、「ああ、気の毒だなあ」と思う人もいるでしょうが、気の毒なのは、あとに残された家族のほうじゃないですか。

 「生きているより死んだほうがまし」と思うのは勝手ですが、死ぬなら死ぬで迷惑をかけずに死んで欲しいです。
 自分がしでかした責任を自分で背負い、果たすことができず、他人に押しつけて「あとはよろしく」とは、何たるエゴだ ・・・ と思います。











自分を過信しない ・・・ ② 絶望

2010-03-11 13:32:30 | Weblog
 挫折の果てに絶望してしまう人がいます。
つまり、絶望とは、自分自身の力を過信するところから生まれてくるのではないでしょうか。

 「やれる」と思うことと「やる」ということはまったく違います。
すべて物事は、できるかもしれないし、できないかもしれません。

 それを できるだろうと思ったり、そうありたいと思ったり、結果だけを想像して、自分はできるだろうというのは、欲の心で見ているに過ぎません。

自分を過信しない ・・・ ① 挫折:めげる

2010-03-11 05:26:20 | Weblog
 目的を遂げる前に、途中で失敗してしまうことを挫折といいます。
いまの言葉を使えばめげてしまうわけです。

 世の中には、めげそうになるのをこらえて頑張る人と、頑張ったのにめげてしまう人の両方がいます。

 「頑張ったつもりですが、いくらやっても駄目でした」
長い人生の間には、一度や二度の挫折は必ずあるものです。

 ところが、一度失敗してしまうと、もう二度と同じことをしようとしない人がいます。
そして、できるだけ簡単なほうへ簡単なほうへと、目標を切り換えてしまいます。
「一生懸命努力はしたが駄目だった」というのは、確かにその人にとっては、本当なのでしょう。
自分の限界を、まざまざと感じたのでしょうね。

 しかし、逆にいえば、少なくともその時点まではできると思っていたということになります。
できると思っていたのに、実際にやってみるとむずかしすぎて駄目だったために、投げだしたのです。

 これがめげるということの実体だと思います。