読む時間がないのに、つい本を買ってしまう上に、さらに図書館の本まで予約してしまう私は、馬鹿なのでしょうね。
数日前、図書館から次の予約本確保のお知らせがきたから、借りに行く序に返そうと、急いで読んでいますが、「まえがき」に渡部昇一先生がいいことを書かれていましたから、自分の備忘のため抜粋します。
「年を取ったら物事が実によく解るようになった」というのが、今年七十六歳になった私の実感あるいは錯覚である。ボケが始まれば別だろうが、その症状が出るまでは、文化系の人間にとっては老齢こそ黄金時代である。理科系なら新しい研究についてゆけないということもあるだろうけれども、文化系の人間にとっては、読んだ本が増え続け、それを反芻する時間が増え続けていくだけだから、世俗の義務が少なくなった老齢期の進歩こそがめざましいーといえなくもない時期でありうるのではないだろうか。「若い学者はこわくない。なんといっても読んだ本はこちらのほうが多いのだから」と私がいったら、もと大使の岡崎久彦氏も共鳴してくれて、次のような主旨のことを書いておられた。
「外交情報の専門家として、若い頃の岡崎にくらべれば、現在の岡﨑(七十五、六歳)は格段にすぐれていると思う」と。
ここから追記です。
この本のあとがきは、谷沢永一先生が書かれていて、やはり良いことが書かれてあったから、それも自分の備忘のため転記転載しておきます。
詩作品に限らず絵画も音楽も、それを鑑賞する人間の成熟段階に応じて、享受の姿勢がいかようにも変わりゆくであろう。われわれは、年齢を加えた後日ならではの識力をもって、青春の日に受けた感銘とは次元をことにする。全く新たな方向へ進む観察眼を、自らのなかに見出す心躍りを喜ぶことができる。加齢は、常により奥深い新鮮な発見をもたらす。六十歳を過ぎた私は、同じ作品から度重なる別個の感銘が生まれるのを自覚し得た。世の人々においてもまた同じく、段階を踏んで視野が広がり、感動が深まる喜びが、確かに待っていると信じて疑わない。読み返しによる蘇生の自覚は、加齢に与えられるこよなき賜わりものであるのではなかろうか。
おまけ
今日、10月10日は、まぐろの日なのだそう。
由来は万葉歌人、山部赤人の長歌からだそう。↓
高知らせる 印南野(いなみの)の 邑美(おふみ)の
原の荒たへの 藤井の浦に鮪(しび)釣ると 海人舟騒き
塩焼くと 人ぞ多(さは)にある
浦を吉(よ)み うべも釣りはす 浜を吉み うべも塩焼く
あり通ひ 見(め)さくも著(しる)し 清き浜 (長歌:山部赤人)
【意訳】
天下をお治めになる天皇陛下が、
宮殿をお造りになる印南野の邑美の原の
藤井浦(今の兵庫県明石市)には、
多くのマグロをとる漁船が行きかっていて、
塩焼き(海水から塩を作る仕事)を
するたくさんの人々が浜に出ている。
良い海岸なので釣り人も多く、
良い浜なので塩を焼く人々もたくさんいる。
天皇陛下が、ひんぱんに通いなされるのも、
うなづけることで、なんと清らかな浜だろう。