ミニョンはソウルにつくとすぐ会社であるマルシアンに直行して、たまりにたまった書類を一気に片付けていった。最近はユジンとの時間を優先していたため、情けないことにたくさんの仕事が後回しになってしまっていた。こんなことは数か月前の自分にはありえないことだった。今までは仕事第一で、ユジンにも設計図を5回も書き直させたこともあった。従業員のミスも厳しく叱責したし、気に入らない取引業者は容赦なく冷酷な言葉を浴びせて取引を停止したこともあった。しかし、今の自分はユジンの愛を得て、昔の記憶を取り戻し、事故に遭って己の弱さを痛感したことで、周囲を思いやれる気持ちが生まれた。周囲の力で自分が生きているのだ、ということを痛感していたのだ。
ミニョンが一心に書類を整理していると、受付嬢に案内されてキムサンヒョクが入ってきた。
「時間があったら一杯どう?」サンヒョクの笑顔がまぶしかった。ミニョンは思わずうれしくなって仕事の手を止めてサンヒョクと出かけた。
二人はサンヒョク行きつけのバーでカウンターに座った。ミニョンはサンヒョクにずっと会いたいと思っていた。同じ女性を愛した者同士として、きちんと向き合って語り合いたかった。キャンドルの明かりが揺らめく中、二人は静かに水割りを飲み始めた。
「チュンサン、おめでとう。ヨングクたちに結婚するって聞いたんだ。だから僕が一番に祝いたかった。真っ先に祝福したくて。だから誘ったんだよ。」
サンヒョクは柔らかい笑みでミニョンを見つめた。そのまなざしには、もはや怒りは嫉妬は残ってはいなかった。ただ静かな痛みとあきらめ、そして友を祝福する思いやりが浮かんでいた。
「本当にありがとう。」
ミニョンもまた、いろいろとあったサンヒョクに申し訳なさや、懐の深さへの感謝と親しみを感じていた。二人しか分かり合えない気持ちがある、痛みがある、ミニョンはそんな風に思っていた。
「チュンサン、お前ユジンを泣かせないっていう約束を守ってるか?」
すると、ミニョンは非常に苦しそうな顔をしていった。
「いいや。守れてないよ。毎日泣かせてるんだ。」
「えっ?どうして?」
「両方の母親が猛反対してるんだよ。ユジンも僕も母親しかいないのに、二人とも反対するなんて。」
「なんでそんなに反対するんだよ?」
「サンヒョク、お父さんに聞いてないのか?僕の母親は君の父親と仲が良かっただけじゃなくて、ユジンのお父さんとも親しかったんだよ。親しいだけじゃない、ユジンのお父さんとは婚約までした仲なんだ。」
これにはサンヒョクもびっくりした。
「、、、僕と君とユジン、、、僕たちの親、、、不思議な縁だな。」
「ああ、本当に変な縁だよ。」そういってミニョンは水割りをごくりと飲み干した。
「チュンサン、逃げちゃえよ。俺がお前だったら逃げちまうよ。ユジンの愛情さえあれば、親も友達も捨てて逃げたっていいと思ってる。」
サンヒョクは怖いくらいに真剣な顔で言った。その指には未だゴールドに輝く婚約指輪がはまっていた。ミニョンはサンヒョクがなお深くユジンを愛しているのを感じた。自分と同じなのだ。しかし、自嘲気味に笑うしかなかった。
「逃げちゃおうかな。でもなんだかわからないけど不安なんだよ。遠くに逃げてもどうにもならない何かが追ってくる気がする。たとえ逃げ切っても、それからは逃れられない、そんなものを感じて、妙に不安になるんだ。何でだろう。」二人はそれぞれの憂鬱の中に入り込んで、しばらくの間黙りこくって酒を飲み続けた。
やがて二人はゆっくりと店を出て、ぶらぶらと街を歩いた。二人とも話したいことはたくさんあるのに、なかなか言葉が出てこない。今までの二人の距離は本当に繊細で微妙なものだったのだ。
ミニョンは意を決して口を開いた。
「サンヒョク、僕らは友達になれたかな。」
するとサンヒョクが笑いながら握手を求めた。
「ちょうど10年かかったな。」
ミニョンも笑いながらその手を握りしめた。二人は10年かけて初めて友達になった。一人の女性を間に、二人だけにしか理解できない、心からの友情をはぐくんだのだ。サンヒョクは力を込めて言った。
「お前やっぱり逃げるなよ。お互いの親に許してもらうまでじっと待つんだ。そして、みんなに祝福されて結婚しろ。」
「わかった。ありがとう。」
ミニョンはサンヒョクの優しさと思いやりが身に染みて、久しぶりに心が軽くなった。
「じゃあ、行くな。」サンヒョクは立ち去りかけたが、振り返って励まそうと言った。
「おいっ、カンジュンサン!お前結婚に反対されても、母親に感謝しろ!」
「なんで?」
「だって、母親の初恋が実ってたら、ユジンと付き合えなかっただろ。親同士が結婚してたら、お前ら兄妹だろ。不幸中の幸いだな。じゃあな。」
そういうと、サンヒョクは晴れやかな顔で帰っていった。一方のミニョンは雷に打たれたように立ち尽くしてしまった。サンヒョクの言葉が少しずつまわる毒のように、ジワジワと心に滲み込んできたのだ。自分の父親とミニョンの母親が婚約していたことをつらそうに話したユジン。父親は死んだと言っていたユジン。ミニョンの父親はミヒを捨てた後に死んでしまったと打ち明けた母親。なぜ今まで気が付かなかったのだろう?ミニョンの心に一つの疑惑が浮かんだ。「ユジンと自分は兄妹なのでは?」
その夜、ミニョンはソウルの常泊しているホテルに泊まった。どうしても確かめなければならない。ユジンとの約束を破るのは心苦しかったが、こんな宙ぶらりんの状況ではどんな顔をして会えばわからなかったからだ。
すると写真立ての中からはらりと1枚の写真が落ちたのだった。その写真はまぎれもなく遠い記憶の中にあるあの写真だった。母親のミヒと、サンヒョクの父と、見知らぬ男性の写真。繰り返し見るあの夢。ミニョンはこの男性こそがユジンの父親で、母親の元婚約者ではないかと思った。胸が苦しくなり、目を閉じると、少しづつ記憶が戻ってきた。
高校生の自分が、ユジンの家のアルバムでこの写真を見つけた時のことを。ユジンがポニーテールを揺らして言った。
「高校の同級生なんだって。でも、このきれいな人、うちのお父さんと腕を組んでるのよ。まるで恋人みたいだと思わない?」
自分はポケットから、ユジンの父親の写真が切り取られた写真を出して見比べたんだ。自分の写真にはサンヒョクの父親しか写っていなかったから、父親は彼だと思い込んでいたのだが、完全な写真を見て、自分の父親はユジンの父親だと気づいたのだった。そして自分たちは兄妹だと思い、ショックのあまりユジンの家を飛び出した、、、。それがユジンと別れようと思った原因だったのだ。いまミニョンは、いやチュンサンははっきりと思い出したのだった。そしてそのままそっと研究室を抜け出して、母親のもとに向かった。父親はだれなのかという真実を知るために。