久しぶりの更新です。
この1カ月間は、自分がPDであることを
完全に忘れて過ごしてました。
無我夢中だったのでしょうね。
5月31日 実家から父を岐阜市内の
病院に検査に連れて行きました。
主治医の先生と大学病院からいらっしゃる
放射線科の先生の診察も それぞれ受けて
入院治療を受けることに決めました。
左足の膝には、癌が転移していたのです。
そこに放射線をあてる治療をするのです。
6月4日 月曜日 父を入院させました。
そこで 主治医の先生から、かなり悪くなっている
と告げられました。
この夏を超せるかどうか・・・。
肩にも転移してました。
4日月曜日から8日金曜日まで治療をうけ、
金曜日に 弟と私は先生に呼ばれてお話を伺い、
一応 外出・外泊許可が出たので自宅に帰り
ました。
殆ど食べられなくなっていたので、体力もなく
なって、たまに ふらつきました。
それでも 日曜日の夕方まで 親戚の人たちと
楽しく過ごしていたみたいです。
夕方、弟夫婦が病院に送っていきました。
その後、少し喀血して自分でナースコールを
したみたいです。
が、喀血が喉に詰まったのでしょう。
夜、病院から電話がありました。
「お父様の意識がありません。・・・・・・・」
私は 慌ててタクシーで駆けつけました。
当直のドクターと看護師さんがふたり
心臓マッサージをしていてくださいました。
ドクターから、父の手を握るように言われ・・・
まだ温かい手でした。
それから「もう楽にしてあげましょうね。」と
ドクターに言われました。
酸素マスクが外され、心臓マッサージも中止。
静かに看ておりました。
そこへ 弟夫婦もやってきました。
心臓が停止する前に、主治医の先生が
駆けつけてくださいました。
19時19分 父は生涯を閉じました。
この1カ月間は、自分がPDであることを
完全に忘れて過ごしてました。
無我夢中だったのでしょうね。
5月31日 実家から父を岐阜市内の
病院に検査に連れて行きました。
主治医の先生と大学病院からいらっしゃる
放射線科の先生の診察も それぞれ受けて
入院治療を受けることに決めました。
左足の膝には、癌が転移していたのです。
そこに放射線をあてる治療をするのです。
6月4日 月曜日 父を入院させました。
そこで 主治医の先生から、かなり悪くなっている
と告げられました。
この夏を超せるかどうか・・・。
肩にも転移してました。
4日月曜日から8日金曜日まで治療をうけ、
金曜日に 弟と私は先生に呼ばれてお話を伺い、
一応 外出・外泊許可が出たので自宅に帰り
ました。
殆ど食べられなくなっていたので、体力もなく
なって、たまに ふらつきました。
それでも 日曜日の夕方まで 親戚の人たちと
楽しく過ごしていたみたいです。
夕方、弟夫婦が病院に送っていきました。
その後、少し喀血して自分でナースコールを
したみたいです。
が、喀血が喉に詰まったのでしょう。
夜、病院から電話がありました。
「お父様の意識がありません。・・・・・・・」
私は 慌ててタクシーで駆けつけました。
当直のドクターと看護師さんがふたり
心臓マッサージをしていてくださいました。
ドクターから、父の手を握るように言われ・・・
まだ温かい手でした。
それから「もう楽にしてあげましょうね。」と
ドクターに言われました。
酸素マスクが外され、心臓マッサージも中止。
静かに看ておりました。
そこへ 弟夫婦もやってきました。
心臓が停止する前に、主治医の先生が
駆けつけてくださいました。
19時19分 父は生涯を閉じました。