あゆみ

昨日よりは、今日
今日より 明日は 前進できていたらいい。
転んでも起き上がれるようになりたい。

父が亡くなりました。

2012年06月22日 | 日記
久しぶりの更新です。

この1カ月間は、自分がPDであることを

完全に忘れて過ごしてました。

無我夢中だったのでしょうね。

5月31日 実家から父を岐阜市内の

病院に検査に連れて行きました。

主治医の先生と大学病院からいらっしゃる

放射線科の先生の診察も それぞれ受けて

入院治療を受けることに決めました。

左足の膝には、癌が転移していたのです。

そこに放射線をあてる治療をするのです。

6月4日 月曜日 父を入院させました。

そこで 主治医の先生から、かなり悪くなっている

と告げられました。

この夏を超せるかどうか・・・。

肩にも転移してました。

4日月曜日から8日金曜日まで治療をうけ、

金曜日に 弟と私は先生に呼ばれてお話を伺い、

一応 外出・外泊許可が出たので自宅に帰り

ました。

殆ど食べられなくなっていたので、体力もなく

なって、たまに ふらつきました。

それでも 日曜日の夕方まで 親戚の人たちと

楽しく過ごしていたみたいです。

夕方、弟夫婦が病院に送っていきました。

その後、少し喀血して自分でナースコールを

したみたいです。

が、喀血が喉に詰まったのでしょう。

夜、病院から電話がありました。

「お父様の意識がありません。・・・・・・・」

私は 慌ててタクシーで駆けつけました。

当直のドクターと看護師さんがふたり

心臓マッサージをしていてくださいました。

ドクターから、父の手を握るように言われ・・・

まだ温かい手でした。

それから「もう楽にしてあげましょうね。」と

ドクターに言われました。

酸素マスクが外され、心臓マッサージも中止。

静かに看ておりました。

そこへ 弟夫婦もやってきました。

心臓が停止する前に、主治医の先生が

駆けつけてくださいました。

19時19分 父は生涯を閉じました。

父の病状悪化

2012年06月10日 | 健康関連のニュース
去年、肺がんが見つかった父。

その後、約2カ月の入院治療を受け退院した。




先月末、私は父を 岐阜市内の病院に連れて行き

CTなどの検査を受けさせた。

この場で「来週から、再び入院治療を受けるます」

と決めてきた。

が、思ったより進行が早かったようだ。

骨のあちこちに転移してるらしい。

先ずは、痛がる左膝に放射線治療。

膝の痛みは消えた。

が、今度は 左肩と右の肺に。。。

いつ どうなるか分からないとのこと。



痛みが消えたら、緩和ケアの病院に移る予定。

だが、父がどこまで病気について理解しているのか・・・

ドクターも看護師も分からないって!!!

病気以外の事は理解できる。

しかし、自分の病気のことになると・・・認知症

のようになる。

私が思うには・・・これは、癌を受け入れたくない、

受け入れられないがために、自分の殻に閉じこもって

いるように思える。



昨日は、午前中・・・腹痛と下痢をしてしまった私。

午後には、何故か 両瞼が腫れてしまった。

特に 右目。

痛くも 痒くもないのに・・・。

消炎作用のある眼薬をコットンに含ませ、瞼に塗る。

夕方には治まる。



父と 我々家族の闘いはこれからだ。