10月22日正午、いよいよ時代祭の行列行進がスタートしました。
観客席は5列あり立ち上がることができないので、最前列以外では前の人の頭が入ってしまいます。
それならと、最後列の後ろで三脚を立てて撮影することにしました。
かなり気温が高く、2時間立ったままのデジカメとビデオカメラ両方の撮影はきつい作業でした。
撮り終えて、写真を整理してみるとかなりバラツキが多いことに気付きます。
撮りやすかった対象、特に声・音楽や目立つ振付や衣装の行列を撮影したものが多く、
比較的地味な装いや関心の薄い衣装の行列は撮っていなかったり。
撮っておかなければいけない写真がなかったり。
事前の知識の吸収が足りなかったのでしょうが、
とても1回だけでは知ることができない重みを感じることができたのも事実です。
※小さな写真はクリックすると大きな写真にリンクします
明治維新「維新勤王隊列」
♪ピーヒャラ、ラッタッタと士気を鼓舞する軍楽隊の軽快なリズムに錦の御旗がひらめきます。
官軍の旗印、錦の御旗は、赤地の錦に金色の日像、銀色の日像を刺繍していました。
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明治維新「維新志士列」
20歳~30歳の若さで明治維新を成し遂げた青年たちの功績を讃えて、列に加わりました。
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江戸時代「徳川城使上洛列」
徳川幕府は、朝廷の重要な儀式などに将軍の名代として親藩または譜代の大名を城使として上洛させました。
大礼の時などは1700人に及び、一般の大名行列よりずっと盛大で格式の高いものでした。
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江戸時代「婦人列」
江戸時代の京都で話題となり活躍した女性が登場します。
この時代は階層・年齢・季節などによって数々の服飾が現れ、結髪と衣装だけでも人物を特定できるところから、
個性豊かな女性の服装を網羅した列となっています。
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安土・桃山時代「豊公参朝列」
豊臣秀吉公は、戦国の世を制して天下統一を成し遂げ、人臣最高位の関白太政大臣に昇り詰めたびたび参内しました。
最高級の牛車に『一日晴れ』と称される規定外の華やかな装束をまとった5名の大名が従います。
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安土・桃山時代「織田公上洛列」
応仁の乱後、京都はさびれ果てていました。
織田信長は、正親町天皇のお召しに応じて兵を率いて上洛し、皇居の修復や街の復興に尽力しました。
この時代は鉄砲の伝来によって戦闘も変化し甲冑の多くは胴丸で、各部に鉄板を多用した当世具足と、
戦国武将の心意気を示す派手な兜飾りや馬印が特徴です。
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室町時代「室町幕府執政列」
武家風俗を中心とするもので、足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現しています。
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吉野時代「楠公上洛列」
後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸にあたって、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え先駆して上洛しました。
多種にわたる華麗な甲冑や武具が一目に見ることができます。
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「中世婦人列」
広い意味で中世と呼ばれるのは平安時代後半から桃山時代に至る時代を指します。
歴史上の人物だけではなく、職業集団ともいえる大原女、桂女の女性風俗も加わっています。
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鎌倉時代「城南流流鏑馬列」
馬上から的を射る流鏑馬は、平安時代から武士のたしなみとして盛んに行われていました。
後鳥羽上皇は朝廷権力の回復を図るため、流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余国の武士1700名余りを集め、
北条義時追討の挙兵を準備されました。
狩装束の射手武士を中心に童、弓袋差等の郎党を従えた5組で構成されています。
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藤原時代「藤原公暁参朝列」
平安時代中期以降、唐様式の影響が薄れ、日本独自の国風文化が成熟し、こわ装束が起こり大いに容儀が整えられました。
装束は藤原氏全盛期の王朝風俗で、宮中での儀式に参加する文官・武官の夏正装姿です。
警護の随身や童等様々なお供も加わり、華やかな様子を表しています。
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「平安時代婦人列」
この時代は女性の服装が大きく変化する時期で、遣唐使の廃止頃から日本文化は国風化の道をたどることになります。
奈良時代の様式の百済王朝明信から常盤御前・横笛・巴御前というように歴史に名を残す女性に託し、時代風俗の変化を示した構成です。
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延暦時代「延暦文官参朝列」
文官が朝賀のため参朝する様を表しています。
服装は位袍と呼ぶ重複で、身分によって色が定められています。
平安遷都から間もないため、唐風が色濃く残されています。
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「神餞講社列」
いよいよ祭事に携わる列となります。
前駆の神職に続き、神前にお供えする神饌唐櫃を先頭に、浄衣姿の膳手6人、騎馬した白装束姿の正副御饌長、
供奉する20人の水干姿の講員で構成されています。
いずれも神事にたずさわるための装束姿です。
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「前列」
神幸列の前陣として直前を行くのが「前列」です。
御賢木に続いて警護役として金棒を持つ中座、キリコ座・ブチ座の下雑色や上雑色が続きます。
次いで華やかな迦陵頻伽・胡蝶の舞人、さらに、道中に雅楽を演奏する伶人や供奉の人々が続き、祭りの雰囲気が高まります。
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「神幸列」
一年に一度両御祭神が市中を巡行され、市民の安らかなることを親しくご覧になる行列です。
江戸時代後期の様式に倣った御鳳輦には、前に孝明天皇、後に桓武天皇の御神霊が鎮座されています。
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「白川女献花列」
比叡山に源を発する白川の流域に住み、季節の花を売り歩くことを業とする女性が白川女です。
その歴史は古く、平安時代中ごろから御所に花を届けていたとも言われています。
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観客席は5列あり立ち上がることができないので、最前列以外では前の人の頭が入ってしまいます。
それならと、最後列の後ろで三脚を立てて撮影することにしました。
かなり気温が高く、2時間立ったままのデジカメとビデオカメラ両方の撮影はきつい作業でした。
撮り終えて、写真を整理してみるとかなりバラツキが多いことに気付きます。
撮りやすかった対象、特に声・音楽や目立つ振付や衣装の行列を撮影したものが多く、
比較的地味な装いや関心の薄い衣装の行列は撮っていなかったり。
撮っておかなければいけない写真がなかったり。
事前の知識の吸収が足りなかったのでしょうが、
とても1回だけでは知ることができない重みを感じることができたのも事実です。
※小さな写真はクリックすると大きな写真にリンクします
明治維新「維新勤王隊列」
♪ピーヒャラ、ラッタッタと士気を鼓舞する軍楽隊の軽快なリズムに錦の御旗がひらめきます。
官軍の旗印、錦の御旗は、赤地の錦に金色の日像、銀色の日像を刺繍していました。
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明治維新「維新志士列」
20歳~30歳の若さで明治維新を成し遂げた青年たちの功績を讃えて、列に加わりました。
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江戸時代「徳川城使上洛列」
徳川幕府は、朝廷の重要な儀式などに将軍の名代として親藩または譜代の大名を城使として上洛させました。
大礼の時などは1700人に及び、一般の大名行列よりずっと盛大で格式の高いものでした。
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江戸時代「婦人列」
江戸時代の京都で話題となり活躍した女性が登場します。
この時代は階層・年齢・季節などによって数々の服飾が現れ、結髪と衣装だけでも人物を特定できるところから、
個性豊かな女性の服装を網羅した列となっています。
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安土・桃山時代「豊公参朝列」
豊臣秀吉公は、戦国の世を制して天下統一を成し遂げ、人臣最高位の関白太政大臣に昇り詰めたびたび参内しました。
最高級の牛車に『一日晴れ』と称される規定外の華やかな装束をまとった5名の大名が従います。
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安土・桃山時代「織田公上洛列」
応仁の乱後、京都はさびれ果てていました。
織田信長は、正親町天皇のお召しに応じて兵を率いて上洛し、皇居の修復や街の復興に尽力しました。
この時代は鉄砲の伝来によって戦闘も変化し甲冑の多くは胴丸で、各部に鉄板を多用した当世具足と、
戦国武将の心意気を示す派手な兜飾りや馬印が特徴です。
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室町時代「室町幕府執政列」
武家風俗を中心とするもので、足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現しています。
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吉野時代「楠公上洛列」
後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸にあたって、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え先駆して上洛しました。
多種にわたる華麗な甲冑や武具が一目に見ることができます。
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「中世婦人列」
広い意味で中世と呼ばれるのは平安時代後半から桃山時代に至る時代を指します。
歴史上の人物だけではなく、職業集団ともいえる大原女、桂女の女性風俗も加わっています。
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鎌倉時代「城南流流鏑馬列」
馬上から的を射る流鏑馬は、平安時代から武士のたしなみとして盛んに行われていました。
後鳥羽上皇は朝廷権力の回復を図るため、流鏑馬に託して城南離宮に近畿10余国の武士1700名余りを集め、
北条義時追討の挙兵を準備されました。
狩装束の射手武士を中心に童、弓袋差等の郎党を従えた5組で構成されています。
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藤原時代「藤原公暁参朝列」
平安時代中期以降、唐様式の影響が薄れ、日本独自の国風文化が成熟し、こわ装束が起こり大いに容儀が整えられました。
装束は藤原氏全盛期の王朝風俗で、宮中での儀式に参加する文官・武官の夏正装姿です。
警護の随身や童等様々なお供も加わり、華やかな様子を表しています。
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「平安時代婦人列」
この時代は女性の服装が大きく変化する時期で、遣唐使の廃止頃から日本文化は国風化の道をたどることになります。
奈良時代の様式の百済王朝明信から常盤御前・横笛・巴御前というように歴史に名を残す女性に託し、時代風俗の変化を示した構成です。
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延暦時代「延暦文官参朝列」
文官が朝賀のため参朝する様を表しています。
服装は位袍と呼ぶ重複で、身分によって色が定められています。
平安遷都から間もないため、唐風が色濃く残されています。
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「神餞講社列」
いよいよ祭事に携わる列となります。
前駆の神職に続き、神前にお供えする神饌唐櫃を先頭に、浄衣姿の膳手6人、騎馬した白装束姿の正副御饌長、
供奉する20人の水干姿の講員で構成されています。
いずれも神事にたずさわるための装束姿です。
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「前列」
神幸列の前陣として直前を行くのが「前列」です。
御賢木に続いて警護役として金棒を持つ中座、キリコ座・ブチ座の下雑色や上雑色が続きます。
次いで華やかな迦陵頻伽・胡蝶の舞人、さらに、道中に雅楽を演奏する伶人や供奉の人々が続き、祭りの雰囲気が高まります。
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「神幸列」
一年に一度両御祭神が市中を巡行され、市民の安らかなることを親しくご覧になる行列です。
江戸時代後期の様式に倣った御鳳輦には、前に孝明天皇、後に桓武天皇の御神霊が鎮座されています。
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「白川女献花列」
比叡山に源を発する白川の流域に住み、季節の花を売り歩くことを業とする女性が白川女です。
その歴史は古く、平安時代中ごろから御所に花を届けていたとも言われています。
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デジカメとビデオカメラの両方を使って撮影してみたのですが、
結果としては無理なことをしたようです。
演奏会でビデオカメラを三脚に固定して撮影しながら、
手で構えたデジカメで撮影したことはありました。
しかし、カメラを設置するための三脚ではなく、高いところから撮るためだったので、
デジカメとビデオカメラの両方を手で構えることになってしまいました。
一台のデジカメで写真と動画を撮るべきだったでしょうね。
そうなると3つ準備した充電池が足りたかどうか?
写真だけでもギリギリでしたから。
色々課題はあります。
次はもっとまともな撮り方をしたいので、悪い見本をマネしないでくださいね。
流石~です。
デジカメとビデオカメラを上手に使いこなせた
結果が出たんですね。
細かい説明付で一層よく分かります。まるで当日
眺めているように錯覚さえします。
有難うございました。
帰って写真を眺めていても装束の違いくらいしか分かりませんでした。
「時代祭」のパンフレットを読み、撮った写真や動画を見ていると
それぞれの時代の背景が、列の構成や装束、かけ声や演奏などに
色濃く映し出されていることに気が付きました。
祭りとしてこのような文化が継承されていることに感動を覚えます。