出演=ラファエル・カンパージョ、イサベル・バジョン、アデラ・カンパージョ
第1部は2011年来日公演のベリーダンス『ボンベイ・ベリーウッド』。第2部はフランスのフラメンコ・フェスティバルの2009年上演『プエンテ・デ・トリアナ』。インドの太鼓の一種である独特な楽器タブラ演奏による、神秘的で官能的リズムのベリーダンスと、セビリアのフラメンコ・ダンサーのラファエル・カンパージョの情熱的で野性的なフラメンコの舞台である。ラファエル・カンパージョによる作品解説とインタビューの映像も見られた。どちらも新作、オリジナル。ベリーダンスはインド舞踊の要素が濃厚な踊りだった。約3時間半、世界のトップ・ダンサーによるベリーダンスとフラメンコの舞台映像は、見応えがあって楽しめたし、感動もした。
5年前、ベリーダンス教室に通っていたことを思い出す。きっかけは、『ベリーダンスでダイエット』というテレビ番組を見たことだった。ダイエットという言葉に弱い私。最初はベリーダンスの楽しさより、ダイエットが目的だった。当時は標準体重より3キロぐらい多かったので、何とか減らしたいと思っていた。テレビで見ると、新鮮で、楽しそうな踊りに感じられた。さっそくネットで調べて、『踊る有酸素運動でウェイト・ダウン』『ベリーダンス・レッスン』『ベリーダンスでダイエット』『ベリーダンスで愛されるカラダになる』など、DVDやムック本を購入。それらを見ながら、自宅でしばらく練習した後、ベリーダンス教室へ通うことにした。
最初に通った教室は生徒がかなり多くて、スタジオは小さく、踊りながら互いの手や腕が頻繁にぶつかるほどだった。ビギナー・クラスなので、思ったより気楽に踊れるものの、生徒数が多いため、講師が動きを見て教えてくれるのは5人ぐらいの1列ずつで、たいてい10列ぐらいある。平日は空(す)いているクラスもあるようだったが、毎週土曜日に行っていたからだった。
半年後、もう少し、のびのびと踊れる教室はないかと探したら、カルチャーセンターの中にあって、そこへ通うことにした。極端から極端で、そこは生徒が私を含めて、たった3人。しかもフィットネス・クラブのスタジオのように広々としていて、3箇所の壁が鏡張り。さらに1時間15分と時間も少し長めで、レッスン料も高め。レッスン時間は、講師によっては、いつも10~15分延長してくれて1時間半になることもあった。
レッスン中はかなり汗をかき、ウェイト・ダウンも実現して目標の標準体重に。鏡を見ながらなので、通ううちにダイエットというよりベリーダンスという踊りに魅力を感じてきた。レッスン着は、お腹をあらわにするチョリというTシャツに、スパッツ(レギンス)をはく。さらに、腰の動きを意識するよう、布にコインやビーズがついたヒップスカーフを腰に巻く。腰が前後左右に動くたび、揺れるヒップスカーフについたコインで軽やかな音を鳴らすのが楽しいのである。また、ジルという指につけて叩くフィンガー・シンバルを鳴らしながら踊ることもあった。オリエンタル音楽のCDは講師の先生が選んで毎回、違うのを持って来る。
ベリーダンスの『ベリー』は、お腹の意味。お腹をうねらせる動きが多いが、腰、肩、腕、脚と全身運動なので、ビギナー・クラスの段階でウェストは細くなるし、ウェイト・ダウンが確実に可能になる。
そのころ、ベリーダンスのことを周囲に話すと、たいてい淫らな感じの踊り、みたいなイメージを持たれたが、それは無知と偏見である。映画に出てくるアメリカの古いキャバレーなどでは男性客向けにアレンジされたセクシーな踊り方だが、ベリーダンスはさまざまな踊り方がある。その講習で教えるベリーダンスはアラブの踊り。腹部・腰・腕をくねらせて自由に踊る即興のソロ・ダンス。
また、周囲の人たちから、
「気が若いわね」
と、冷やかされたりし、
「見かけも若いと言って欲しいわ」
そう答えたりした。趣味で楽しむ、あらゆる踊りに年齢は関係ない。もともと、踊りは見るのも踊るのも好き。
その講習で他の生徒の1人は、私より年下世代、1人は年上世代。年上世代の生徒は私同様、ダイエット目的とわかるが、年下世代の生徒は最初からスリムというより痩せ気味の体型で、
「そんなにスリムなのに、どうしてベリーダンス始めたの?」
ウェイト・ダウンが目的の私たちが聞いたことがある。すると、
「女らしい肉付きの曲線になりたくて」
という答えで、納得した。以前、フィットネス・クラブに通っていた時も、同じことを言っていた痩せ気味体型の女性会員がいたのを思い出した。踊りも有酸素運動も、ダイエット効果だけでなく、シェイプ・アップ効果があるからだった。
講師は、1年の半分をエジプトで、半分を日本で暮らすという生活を長年続けている、色っぽくチャーミングな熟女という感じの女性や、ベリーダンスの他にフラメンコも教えているという長身でスリムな女性。生徒がたった3人では、張り合いがないのではという気もしたが、講師と生徒というより友達のような口調で気軽に話せることが楽しかった。
3人だとグループ・レッスンというより半分個人レッスンみたいなものである。私は毎週、出席したが、時々、生徒が2人という時もあるし、私1人の時もあった。その広々としたスタジオに、色っぽくチャーミングな熟女講師の先生と2人の時など、
「今日は個人レッスンみたい!」
と新鮮な気分に包まれた。
「じゃ、今日はバッチリと、○○さん(私の名前)の好きな踊りのレッスンしましょう」
と、講師の先生。前半では、ヒップシミーとかヒップドロップとかヒップサークルなど基本の動きを一通りレッスン。
「次は何を習いたい?」
そう聞かれて、
「スネークアームがいいわ」
私は答えた。スネークアームというのは、左右に広げた右腕と左腕を交互に上へ下へと、くねらせながら蛇の動きをする。教室に通う前に見ていたムック本で、
──愛らしい蛇のような動きは、古代から続くダンスの深遠な源に出会う機会を手助けしてくれることでしょう。──
というような一文があって、特に惹かれていた動きだった。
「こういうスローなやり方と、こういう感じのやり方もあるけど、どっちが好き?」
他の2人が休みの日の個人レッスンなので、希望をかなえてくれるのが、うれしかった。
「スローなほうが好き」
「じゃ、こっちね」
スネークアームのレッスンをひとしきり。休憩時間に、汗を拭いたり水分補給しながら、お喋りが弾んだ。
「ずっと前、私、蛇ダンサーだったのよ」
と、色っぽい熟女講師の先生。
「ええっ!」
と私は驚き、その話は本当に興味深かった。
「蛇ダンサーって初めて聞いたわ。どんな踊り?」
「蛇の動きに合わせて踊ったり、身体に蛇をまといつかせたり、蛇に変身したみたいな踊りよ」
「ええっ、そんなことできるの? 本物の蛇? オモチャじゃないの?」
「もちろん本物よ」
そう答える色っぽい熟女講師の先生を、心から尊敬した。比較的、大きな蛇らしい。その蛇を、飼っていたのではなく、一緒に暮らしていた、という言い方が、印象に残った。東京からエジプトの家へ行く日に、その蛇を知人に預けて別れる時は、いつも泣いたと言う。その後、ある事情から、他人に譲ることになった時は、別れるのが本当に辛かったらしい。
「号泣したでしょう!」
そう言うと、
「もう、涙が止まらなかったわ」
と、色っぽい熟女講師の先生。その踊りを見られないのが残念だと思った。テレビに出演して、踊りを披露したこともあったらしい。
「名前、つけてた?」
「マイケル」
「蛇って触(さわ)れないけど、映像で見るのは好きだわ」
「私も好き。仕事する前からよ」
気が合って、どんなところに惹かれるかの蛇談義、というほどでもないけれど。
休憩後、後半は即興のソロ・ダンス。
「ステップの時、爪先立ちになると、フワンとなるでしょ」とか、「ターンして、ターンして、ダメ、それデッチリ」とか、「その動きは、ちょっとキャバティックになっちゃうわね」とか指導してくれた後、「基本動作の他は決まりがなくて、自分で楽しいと思うような踊り方でいいの。即興のダンスなのだから」ということで、壁の鏡を見ながら講師の先生の真似したり、自分流にアレンジしたり。
その講習のあったカルチャーセンターの新宿校は、数年後になくなってしまった。ベリーダンス講習もわずか3人の生徒だったが、他の講習も生徒が集まらないためらしかった。
ベリーダンスを習う人たちと、お喋りしていて共通していることは、フラダンスやソシアルダンスには魅力を感じないということ。フラメンコはちょっと習ってみたいけど、あれは難しそう、というのも同じだった。
その後、色っぽい熟女講師の先生から都内の飲食店で踊るからと案内のハガキが来たので、見に行った。メイクも衣装も美しく、講習では見られなかった艶(あで)やかで華麗で官能美に満ちた踊りに、さすがと感心した。
習いに通ったのは約2年半で、その後はDVDを見ながらレッスンを思い出しながら、時々、自宅で踊っていた。今、思い出しても、本当に楽しくて新鮮で有意義なベリーダンス・レッスンだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/98/962bc17e37d14bc6903755455dc3e223.png)
第1部は2011年来日公演のベリーダンス『ボンベイ・ベリーウッド』。第2部はフランスのフラメンコ・フェスティバルの2009年上演『プエンテ・デ・トリアナ』。インドの太鼓の一種である独特な楽器タブラ演奏による、神秘的で官能的リズムのベリーダンスと、セビリアのフラメンコ・ダンサーのラファエル・カンパージョの情熱的で野性的なフラメンコの舞台である。ラファエル・カンパージョによる作品解説とインタビューの映像も見られた。どちらも新作、オリジナル。ベリーダンスはインド舞踊の要素が濃厚な踊りだった。約3時間半、世界のトップ・ダンサーによるベリーダンスとフラメンコの舞台映像は、見応えがあって楽しめたし、感動もした。
5年前、ベリーダンス教室に通っていたことを思い出す。きっかけは、『ベリーダンスでダイエット』というテレビ番組を見たことだった。ダイエットという言葉に弱い私。最初はベリーダンスの楽しさより、ダイエットが目的だった。当時は標準体重より3キロぐらい多かったので、何とか減らしたいと思っていた。テレビで見ると、新鮮で、楽しそうな踊りに感じられた。さっそくネットで調べて、『踊る有酸素運動でウェイト・ダウン』『ベリーダンス・レッスン』『ベリーダンスでダイエット』『ベリーダンスで愛されるカラダになる』など、DVDやムック本を購入。それらを見ながら、自宅でしばらく練習した後、ベリーダンス教室へ通うことにした。
最初に通った教室は生徒がかなり多くて、スタジオは小さく、踊りながら互いの手や腕が頻繁にぶつかるほどだった。ビギナー・クラスなので、思ったより気楽に踊れるものの、生徒数が多いため、講師が動きを見て教えてくれるのは5人ぐらいの1列ずつで、たいてい10列ぐらいある。平日は空(す)いているクラスもあるようだったが、毎週土曜日に行っていたからだった。
半年後、もう少し、のびのびと踊れる教室はないかと探したら、カルチャーセンターの中にあって、そこへ通うことにした。極端から極端で、そこは生徒が私を含めて、たった3人。しかもフィットネス・クラブのスタジオのように広々としていて、3箇所の壁が鏡張り。さらに1時間15分と時間も少し長めで、レッスン料も高め。レッスン時間は、講師によっては、いつも10~15分延長してくれて1時間半になることもあった。
レッスン中はかなり汗をかき、ウェイト・ダウンも実現して目標の標準体重に。鏡を見ながらなので、通ううちにダイエットというよりベリーダンスという踊りに魅力を感じてきた。レッスン着は、お腹をあらわにするチョリというTシャツに、スパッツ(レギンス)をはく。さらに、腰の動きを意識するよう、布にコインやビーズがついたヒップスカーフを腰に巻く。腰が前後左右に動くたび、揺れるヒップスカーフについたコインで軽やかな音を鳴らすのが楽しいのである。また、ジルという指につけて叩くフィンガー・シンバルを鳴らしながら踊ることもあった。オリエンタル音楽のCDは講師の先生が選んで毎回、違うのを持って来る。
ベリーダンスの『ベリー』は、お腹の意味。お腹をうねらせる動きが多いが、腰、肩、腕、脚と全身運動なので、ビギナー・クラスの段階でウェストは細くなるし、ウェイト・ダウンが確実に可能になる。
そのころ、ベリーダンスのことを周囲に話すと、たいてい淫らな感じの踊り、みたいなイメージを持たれたが、それは無知と偏見である。映画に出てくるアメリカの古いキャバレーなどでは男性客向けにアレンジされたセクシーな踊り方だが、ベリーダンスはさまざまな踊り方がある。その講習で教えるベリーダンスはアラブの踊り。腹部・腰・腕をくねらせて自由に踊る即興のソロ・ダンス。
また、周囲の人たちから、
「気が若いわね」
と、冷やかされたりし、
「見かけも若いと言って欲しいわ」
そう答えたりした。趣味で楽しむ、あらゆる踊りに年齢は関係ない。もともと、踊りは見るのも踊るのも好き。
その講習で他の生徒の1人は、私より年下世代、1人は年上世代。年上世代の生徒は私同様、ダイエット目的とわかるが、年下世代の生徒は最初からスリムというより痩せ気味の体型で、
「そんなにスリムなのに、どうしてベリーダンス始めたの?」
ウェイト・ダウンが目的の私たちが聞いたことがある。すると、
「女らしい肉付きの曲線になりたくて」
という答えで、納得した。以前、フィットネス・クラブに通っていた時も、同じことを言っていた痩せ気味体型の女性会員がいたのを思い出した。踊りも有酸素運動も、ダイエット効果だけでなく、シェイプ・アップ効果があるからだった。
講師は、1年の半分をエジプトで、半分を日本で暮らすという生活を長年続けている、色っぽくチャーミングな熟女という感じの女性や、ベリーダンスの他にフラメンコも教えているという長身でスリムな女性。生徒がたった3人では、張り合いがないのではという気もしたが、講師と生徒というより友達のような口調で気軽に話せることが楽しかった。
3人だとグループ・レッスンというより半分個人レッスンみたいなものである。私は毎週、出席したが、時々、生徒が2人という時もあるし、私1人の時もあった。その広々としたスタジオに、色っぽくチャーミングな熟女講師の先生と2人の時など、
「今日は個人レッスンみたい!」
と新鮮な気分に包まれた。
「じゃ、今日はバッチリと、○○さん(私の名前)の好きな踊りのレッスンしましょう」
と、講師の先生。前半では、ヒップシミーとかヒップドロップとかヒップサークルなど基本の動きを一通りレッスン。
「次は何を習いたい?」
そう聞かれて、
「スネークアームがいいわ」
私は答えた。スネークアームというのは、左右に広げた右腕と左腕を交互に上へ下へと、くねらせながら蛇の動きをする。教室に通う前に見ていたムック本で、
──愛らしい蛇のような動きは、古代から続くダンスの深遠な源に出会う機会を手助けしてくれることでしょう。──
というような一文があって、特に惹かれていた動きだった。
「こういうスローなやり方と、こういう感じのやり方もあるけど、どっちが好き?」
他の2人が休みの日の個人レッスンなので、希望をかなえてくれるのが、うれしかった。
「スローなほうが好き」
「じゃ、こっちね」
スネークアームのレッスンをひとしきり。休憩時間に、汗を拭いたり水分補給しながら、お喋りが弾んだ。
「ずっと前、私、蛇ダンサーだったのよ」
と、色っぽい熟女講師の先生。
「ええっ!」
と私は驚き、その話は本当に興味深かった。
「蛇ダンサーって初めて聞いたわ。どんな踊り?」
「蛇の動きに合わせて踊ったり、身体に蛇をまといつかせたり、蛇に変身したみたいな踊りよ」
「ええっ、そんなことできるの? 本物の蛇? オモチャじゃないの?」
「もちろん本物よ」
そう答える色っぽい熟女講師の先生を、心から尊敬した。比較的、大きな蛇らしい。その蛇を、飼っていたのではなく、一緒に暮らしていた、という言い方が、印象に残った。東京からエジプトの家へ行く日に、その蛇を知人に預けて別れる時は、いつも泣いたと言う。その後、ある事情から、他人に譲ることになった時は、別れるのが本当に辛かったらしい。
「号泣したでしょう!」
そう言うと、
「もう、涙が止まらなかったわ」
と、色っぽい熟女講師の先生。その踊りを見られないのが残念だと思った。テレビに出演して、踊りを披露したこともあったらしい。
「名前、つけてた?」
「マイケル」
「蛇って触(さわ)れないけど、映像で見るのは好きだわ」
「私も好き。仕事する前からよ」
気が合って、どんなところに惹かれるかの蛇談義、というほどでもないけれど。
休憩後、後半は即興のソロ・ダンス。
「ステップの時、爪先立ちになると、フワンとなるでしょ」とか、「ターンして、ターンして、ダメ、それデッチリ」とか、「その動きは、ちょっとキャバティックになっちゃうわね」とか指導してくれた後、「基本動作の他は決まりがなくて、自分で楽しいと思うような踊り方でいいの。即興のダンスなのだから」ということで、壁の鏡を見ながら講師の先生の真似したり、自分流にアレンジしたり。
その講習のあったカルチャーセンターの新宿校は、数年後になくなってしまった。ベリーダンス講習もわずか3人の生徒だったが、他の講習も生徒が集まらないためらしかった。
ベリーダンスを習う人たちと、お喋りしていて共通していることは、フラダンスやソシアルダンスには魅力を感じないということ。フラメンコはちょっと習ってみたいけど、あれは難しそう、というのも同じだった。
その後、色っぽい熟女講師の先生から都内の飲食店で踊るからと案内のハガキが来たので、見に行った。メイクも衣装も美しく、講習では見られなかった艶(あで)やかで華麗で官能美に満ちた踊りに、さすがと感心した。
習いに通ったのは約2年半で、その後はDVDを見ながらレッスンを思い出しながら、時々、自宅で踊っていた。今、思い出しても、本当に楽しくて新鮮で有意義なベリーダンス・レッスンだった。
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