地方の総合病院で働く看護師助手のインドネシア青年に取材した、興味深いドキュメンタリーだった。番組を見た後、外国人看護師を検索してネット記事を読んだり、YouTubeで報道番組の特集『外国人看護師の現状』を見たりした。
日本での看護師志望の外国人は滞在期間3年以内に国家試験に合格して正看護師にならないと、帰国しなければいけないらしい。番組で取材していたインドネシア青年看護師助手は、患者との会話は日本語で交わせて問題ない様子だが、試験に出題される漢字を覚えるのがむずかしく、仕事を終えた後の勉強は大変そうだった。給料の半額を母国の実家に仕送りし、仕事は片付けや配膳や患者の身体を洗うことなどのようだった。
日本は看護師不足が続いているらしいから、そのインドネシア青年の志望どおり国家試験に合格して正看護師として働ける人が多くなればいいと思ったが、合格者は年に3人程度で、滞在期間中に諦めて帰国する看護師助手もいるということだった。正看護師の資格を取得した外国人看護師は、どのような病院や施設で働くのだろうかと、ふと思った。
5年前、内科医院で血液検査をした時、採血する女性看護師さんが東南アジア人に似た顔立ちだったが、そうではなかった。日本で働く東南アジア人の看護師のことをテレビ番組の特集で見ていたから、一瞬、そうかしらと思った。比較的若く、やさしそうな雰囲気の看護師さんだったが、採血は、その時が初めてだったのか慣れていなかったのか、とても時間がかかった。もちろん血液検査を受けるのが初めてではなく、人間ドックや健康診断など4回の経験があった。
私を含め、注射嫌いの人は少なくないと思うが、いつか友人と血液検査の話をしたことがある。
「でも、血液検査って、あの注射が痛くて」
あまり気乗りしない私は言った。
「血液検査は注射じゃなく、採血」
「注射針を刺されるじゃないの。あの恐怖の注射器を、腕に突き刺される想像するだけで怖いわ」
単なる痛みだけではない。指示に従って素肌の腕を出し、あの恐怖の注射針が眼に触れた瞬間、
(その注射針、新しくて清潔よね)
内心、そう呟いてしまう癖がある。注射針は使い捨てと聞いたか読んだかしたことがあるけれど、人間にはミスが付きものである。故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針を刺されて感染性の病気に感染したらどうしよう──という恐怖感が、一瞬、よぎるのである。その恐怖感が、注射針を突き刺される痛みを何倍にもさせるのだ。そんなアホらしい理由で注射嫌いだなんてと笑われてしまったが、その一瞬の想像、恐怖、不安感は本能的なものだから仕方がない。
5年前のその時、やさしそうな雰囲気の看護師さんの採血は、私の腕に注射針を突き刺してから、予想以上に時間がかかって、時計を見ていたわけではないから正確ではないけれど実際は10分か15分かかったと思うが、私には30分以上に感じられた。もちろん、私の腕のあちこちにではなく、注射針は1箇所に突き刺さったままである。まるで輸血用の血液まで採られているのではと推測したくなるほど長く感じられた。
(仕方ないわ。きっと初めての仕事なんだわ。看護師さんの役に立っていることになるんだから、きっと神様が私にご褒美をくれるわ)
そう呟きながら耐えた。もちろん、その看護師さんが国家試験に合格して実習もしていることをみじんも疑わないし、信用していた。
けれど、ついに私は、質問しないではいられなくなった。
「あのう、血液、何CC取るんですか? 500CCぐらい?」
500CCは冗談のつもりだったが、血液を採るというより、取るという感じを意識した口調で言った。
すると、やさしそうな雰囲気のその看護師さんは、
「そ~んなに採りませんよう」
と、驚いたような呆れたような口調で答えた。
「じゃ、何CCぐらい?」
何CCかなんて興味はなかったが、さらに聞くと、
「○○CCです」
看護師さんが答えた。
「ええッ、本当に○○CC? そ~んなに少し?」
5年前のことなので何CCと看護師さんが答えたか忘れたが、予想よりはるかに少量なので、
(そんな少しなら、さっさと取ってよ)
そう叫びたくなった。
すると、まるで、その叫びが聞こえたみたいに、
「痛いですか?」
と、看護師さんが、やさしく聞いた。
「痛いです」
私は答えた。大人げないと言われようが思われようが、その15分間、故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針で感染性の病気に感染したらどうしようという恐怖感が、何度も、よぎるのである。
ところが、そのやさしそうな看護師さんは、「痛いです」と答えた私に、
「痛いですよねえ」
と、同情するような口調で言ったのである! 聞かなきゃ良かった! その「痛いですよねえ」という言葉を聞いたために、それまでの痛みが、さらに倍増して、中止して下さいと言いそうになった。
10数年前、子宮ガン検診を受けたことがある。大学病院だから検査する人が研修生かどうかわからなかったが、検査器具使用直前に、
「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」
やさしくそう言われて、暗示にかかったように、チクリとした痛みはあったが、耐え難いほどではなかった。
その時、カーテンを隔てた隣で、女性医師の声が、
「痛いですけど、我慢して下さい」
素っ気ない口調で、受診者にそう言うのが聞こえた。私と同じ検査か別の検査か不明だったが、そこは検査室だから、多分、同じ検査だと思った。
(こちらの男性担当医師で運が良かった)
安堵した。別にイケメン医師だからなどという意味ではない。医療従事者から、「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」と言われるのと、「痛いですけど、我慢して下さい」と言われるのと、どちらが痛みを感じないですむかは、患者や受診者の性格によって違うと思うが、私は前者。「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」そう言われたからこそ、それほどの痛みでもないと感じられたのである。
そのことを、5年前の血液検査の採血の時、ふと思い出した。注射針を腕に刺されて5分経ち、10分経ち、もしかしたら1時間も突き刺されるのではと思うほどの注射針の痛みに耐えながら、やさしそうな雰囲気のその看護師さんから「痛いですか?」と聞かれて、「痛いです」と答え、「痛いですよねえ」と言われたら、それまで感じていた痛みが、さらに倍増するのは無理もないことである。看護師さんは、同情し慰めるつもりで口にした言葉なのだと理解できるから、責められないし、仕方のないこと。とは言え、その言葉以降、心身共に強まった痛みにストレス・ホルモン全開にあふれほとばしり続けている自覚があった。今思えば、大半の病気はストレスが原因ということだから、よく言われる〈病院へ行くと病気になる〉とは、まさに、このことである。
ようやく、拷問にも似た恐怖の採血が終了した時、解放感に包まれながら、
「500CCじゃなくても300CCぐらい取られたみたいな気分」
さすがの私も、冗談に受け取られるような言葉を呟いたら、その看護師さんは苦笑していた。
検査の結果は異常なしだったから、全く無駄だったのに、その翌年、またしても同じ内科医院へ行き、健康診断で血液検査をした。採血するのは、ベテランの中高年看護師さん。いつものように注射針から顔をそむけて覚悟していたら、驚くべきことに、あまり痛みもなく、数秒間に感じられるほど、すぐ終わった。実際は数分だと思うが、本当に早く採血が終了し、
「えっ、終わったの?」
驚きながら、看護師さんの顔を見て聞いた。
「終わりました」
無表情に近い顔つきで看護師さんが答えた。覚悟していたほどの痛みもなく、注射針を刺して抜くまでのその速さと言ったら、まさに神業(かみわざ)と言いたくなるほどだった。採血という同じ行為なのに、極端から極端。謎である。人生は本当に謎だらけ。
(看護師さんがベテランだから?)
(注射針が最新式の極細に変わったから、あまり痛くなかったのかも)
(採血が苦手な受診者ってカルテに書かれていて、規定の量より少しの血液しか採らなかったのかも)
(採血の技能が、特別優れている看護師さんなのかも)
(医療の進歩で、最速採血が可能になったのかもしれない)
もう私の頭の中はクェスチョン・マークでいっぱいだった。
ともあれ、看護師志望の外国人の滞在期間が特例で延長になるらしいし、やさしくて有能な看護師が増えて、看護師不足が早く解決すればいいと思う。
日本での看護師志望の外国人は滞在期間3年以内に国家試験に合格して正看護師にならないと、帰国しなければいけないらしい。番組で取材していたインドネシア青年看護師助手は、患者との会話は日本語で交わせて問題ない様子だが、試験に出題される漢字を覚えるのがむずかしく、仕事を終えた後の勉強は大変そうだった。給料の半額を母国の実家に仕送りし、仕事は片付けや配膳や患者の身体を洗うことなどのようだった。
日本は看護師不足が続いているらしいから、そのインドネシア青年の志望どおり国家試験に合格して正看護師として働ける人が多くなればいいと思ったが、合格者は年に3人程度で、滞在期間中に諦めて帰国する看護師助手もいるということだった。正看護師の資格を取得した外国人看護師は、どのような病院や施設で働くのだろうかと、ふと思った。
5年前、内科医院で血液検査をした時、採血する女性看護師さんが東南アジア人に似た顔立ちだったが、そうではなかった。日本で働く東南アジア人の看護師のことをテレビ番組の特集で見ていたから、一瞬、そうかしらと思った。比較的若く、やさしそうな雰囲気の看護師さんだったが、採血は、その時が初めてだったのか慣れていなかったのか、とても時間がかかった。もちろん血液検査を受けるのが初めてではなく、人間ドックや健康診断など4回の経験があった。
私を含め、注射嫌いの人は少なくないと思うが、いつか友人と血液検査の話をしたことがある。
「でも、血液検査って、あの注射が痛くて」
あまり気乗りしない私は言った。
「血液検査は注射じゃなく、採血」
「注射針を刺されるじゃないの。あの恐怖の注射器を、腕に突き刺される想像するだけで怖いわ」
単なる痛みだけではない。指示に従って素肌の腕を出し、あの恐怖の注射針が眼に触れた瞬間、
(その注射針、新しくて清潔よね)
内心、そう呟いてしまう癖がある。注射針は使い捨てと聞いたか読んだかしたことがあるけれど、人間にはミスが付きものである。故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針を刺されて感染性の病気に感染したらどうしよう──という恐怖感が、一瞬、よぎるのである。その恐怖感が、注射針を突き刺される痛みを何倍にもさせるのだ。そんなアホらしい理由で注射嫌いだなんてと笑われてしまったが、その一瞬の想像、恐怖、不安感は本能的なものだから仕方がない。
5年前のその時、やさしそうな雰囲気の看護師さんの採血は、私の腕に注射針を突き刺してから、予想以上に時間がかかって、時計を見ていたわけではないから正確ではないけれど実際は10分か15分かかったと思うが、私には30分以上に感じられた。もちろん、私の腕のあちこちにではなく、注射針は1箇所に突き刺さったままである。まるで輸血用の血液まで採られているのではと推測したくなるほど長く感じられた。
(仕方ないわ。きっと初めての仕事なんだわ。看護師さんの役に立っていることになるんだから、きっと神様が私にご褒美をくれるわ)
そう呟きながら耐えた。もちろん、その看護師さんが国家試験に合格して実習もしていることをみじんも疑わないし、信用していた。
けれど、ついに私は、質問しないではいられなくなった。
「あのう、血液、何CC取るんですか? 500CCぐらい?」
500CCは冗談のつもりだったが、血液を採るというより、取るという感じを意識した口調で言った。
すると、やさしそうな雰囲気のその看護師さんは、
「そ~んなに採りませんよう」
と、驚いたような呆れたような口調で答えた。
「じゃ、何CCぐらい?」
何CCかなんて興味はなかったが、さらに聞くと、
「○○CCです」
看護師さんが答えた。
「ええッ、本当に○○CC? そ~んなに少し?」
5年前のことなので何CCと看護師さんが答えたか忘れたが、予想よりはるかに少量なので、
(そんな少しなら、さっさと取ってよ)
そう叫びたくなった。
すると、まるで、その叫びが聞こえたみたいに、
「痛いですか?」
と、看護師さんが、やさしく聞いた。
「痛いです」
私は答えた。大人げないと言われようが思われようが、その15分間、故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針で感染性の病気に感染したらどうしようという恐怖感が、何度も、よぎるのである。
ところが、そのやさしそうな看護師さんは、「痛いです」と答えた私に、
「痛いですよねえ」
と、同情するような口調で言ったのである! 聞かなきゃ良かった! その「痛いですよねえ」という言葉を聞いたために、それまでの痛みが、さらに倍増して、中止して下さいと言いそうになった。
10数年前、子宮ガン検診を受けたことがある。大学病院だから検査する人が研修生かどうかわからなかったが、検査器具使用直前に、
「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」
やさしくそう言われて、暗示にかかったように、チクリとした痛みはあったが、耐え難いほどではなかった。
その時、カーテンを隔てた隣で、女性医師の声が、
「痛いですけど、我慢して下さい」
素っ気ない口調で、受診者にそう言うのが聞こえた。私と同じ検査か別の検査か不明だったが、そこは検査室だから、多分、同じ検査だと思った。
(こちらの男性担当医師で運が良かった)
安堵した。別にイケメン医師だからなどという意味ではない。医療従事者から、「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」と言われるのと、「痛いですけど、我慢して下さい」と言われるのと、どちらが痛みを感じないですむかは、患者や受診者の性格によって違うと思うが、私は前者。「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」そう言われたからこそ、それほどの痛みでもないと感じられたのである。
そのことを、5年前の血液検査の採血の時、ふと思い出した。注射針を腕に刺されて5分経ち、10分経ち、もしかしたら1時間も突き刺されるのではと思うほどの注射針の痛みに耐えながら、やさしそうな雰囲気のその看護師さんから「痛いですか?」と聞かれて、「痛いです」と答え、「痛いですよねえ」と言われたら、それまで感じていた痛みが、さらに倍増するのは無理もないことである。看護師さんは、同情し慰めるつもりで口にした言葉なのだと理解できるから、責められないし、仕方のないこと。とは言え、その言葉以降、心身共に強まった痛みにストレス・ホルモン全開にあふれほとばしり続けている自覚があった。今思えば、大半の病気はストレスが原因ということだから、よく言われる〈病院へ行くと病気になる〉とは、まさに、このことである。
ようやく、拷問にも似た恐怖の採血が終了した時、解放感に包まれながら、
「500CCじゃなくても300CCぐらい取られたみたいな気分」
さすがの私も、冗談に受け取られるような言葉を呟いたら、その看護師さんは苦笑していた。
検査の結果は異常なしだったから、全く無駄だったのに、その翌年、またしても同じ内科医院へ行き、健康診断で血液検査をした。採血するのは、ベテランの中高年看護師さん。いつものように注射針から顔をそむけて覚悟していたら、驚くべきことに、あまり痛みもなく、数秒間に感じられるほど、すぐ終わった。実際は数分だと思うが、本当に早く採血が終了し、
「えっ、終わったの?」
驚きながら、看護師さんの顔を見て聞いた。
「終わりました」
無表情に近い顔つきで看護師さんが答えた。覚悟していたほどの痛みもなく、注射針を刺して抜くまでのその速さと言ったら、まさに神業(かみわざ)と言いたくなるほどだった。採血という同じ行為なのに、極端から極端。謎である。人生は本当に謎だらけ。
(看護師さんがベテランだから?)
(注射針が最新式の極細に変わったから、あまり痛くなかったのかも)
(採血が苦手な受診者ってカルテに書かれていて、規定の量より少しの血液しか採らなかったのかも)
(採血の技能が、特別優れている看護師さんなのかも)
(医療の進歩で、最速採血が可能になったのかもしれない)
もう私の頭の中はクェスチョン・マークでいっぱいだった。
ともあれ、看護師志望の外国人の滞在期間が特例で延長になるらしいし、やさしくて有能な看護師が増えて、看護師不足が早く解決すればいいと思う。