味オンチ、という言葉を初めて聞いた。味覚が鈍い、料理の味がわからない、ということだろうか。
以前、知人が、自分で釣った魚を、その日に自宅で刺身にして食べた話をした。
「その美味しさと言ったら、もう、たまんないですよ」
と言うのだが、私には想像つかない。捕れたての新鮮な魚を料理して食べる美味しさを、観念的には理解できる。けれど私には、海から釣り上げたばかりの魚を、もちろん洗って、さばいて、ナマで口に入れることに生理的拒絶感が起きてしまう。捕れたてのナマだからこそ、美味しいということを彼が強調することが、まるで皮肉のようにである。
その話は、私が魚の刺身を好きではないということに彼が驚き、呆れ、信じられないような顔つきをした後に語ったのだった。
「魚の刺身の美味しさが、わからないなんて」
そう言いたげな彼にとっては、私は魚に関して〈味オンチ〉ということになるだろうか。
といっても、アレルギーというわけではなく、全く食べないということもない。パーティや会合や法事の時など、大勢が集う席で、寿司や刺身を少な目にだが食べる。会食とか食事が目的ではないから、人と話しながら、つられたように食べるという感じである。
けれど、思い起こしてみると、二十代までは、寿司を好きだった。家に親戚が来て出前を取ると決まって寿司であり、大きな桶に盛りつけられたさまざまな具の彩りは食欲をそそったし、皆ではしゃいで食べる楽しさがあった。また、OLをしていた時、上司が夕食をごちそうしてくれるのは寿司が多かった。結婚していたころも、土産の折り詰め寿司や、来客にふるまう出前の寿司など、美味しく食べられた。
若いころは肉と同じぐらい好きだった寿司や刺身を、三十代から苦手になったのは、体質が変わったのかもしれないし、海の汚染とか考えて神経質になったせいかもしれない。汚染は肉だって野菜だって同じだけれど。
加熱してあれば食べる気になるが、煮魚も焼き魚も、ほとんど食べることがない。天ぷらは食べる。イカの炒め物やタコの酢の物は作るし、好きである。イクラや白子など魚の卵は好き。
たまにだが、フグ料理店に案内されることがあり、
「こんな高級料理の味がわからないなんて」
と、私が少量しか食べないフグ刺しを、相手は美味しそうに食べながら言ったりするのだ。まさか、そんな場所で、
「毒に当たらないでしょうね」
なんて言わないけれど、決してフグの毒を心配して箸をあまりつけないわけではない。
概して魚好きの人は、フグとか寿司とかは最高の食べ物で、それらを嫌いな人間など、この世にいるわけがない──と、固く信じ込んでいるふうなのが、面白い。
最近は魚の栄養成分のDHなんとかが、テレビの健康番組などで強調されている。
親しい知人からも、
「肉料理や揚げ物ばかり食べてると、コレステロールや中性脂肪が高くなって病気に……」
と、脅されて不安になり、健康診断を受けると、コレステロールも中性脂肪も正常値の結果が出て、魚好きの知人のほうが要注意の数値だったりするのは何故だろう。
美味しいとか、不味(まず)いとか、味がわかるとか、わからないとかいうのは、その人の好みであり、万人に通じる絶対の味覚なんてないと思う。だから、
「この料理の味が、わからないなんて」
と言わんばかりの、自分の好みを押しつけるというか、グルメや食通を自慢するような人とは、一緒に食事をしたくないものである。そうではなく、
「これ、美味しいよ、ちょっと食べてごらん」
と、思いやりから、すすめられると、本当に美味しいと味わって食べてしまう時が多い。
※ミニコミ誌『あじくりげ』 2001年9月21日掲載
以前、知人が、自分で釣った魚を、その日に自宅で刺身にして食べた話をした。
「その美味しさと言ったら、もう、たまんないですよ」
と言うのだが、私には想像つかない。捕れたての新鮮な魚を料理して食べる美味しさを、観念的には理解できる。けれど私には、海から釣り上げたばかりの魚を、もちろん洗って、さばいて、ナマで口に入れることに生理的拒絶感が起きてしまう。捕れたてのナマだからこそ、美味しいということを彼が強調することが、まるで皮肉のようにである。
その話は、私が魚の刺身を好きではないということに彼が驚き、呆れ、信じられないような顔つきをした後に語ったのだった。
「魚の刺身の美味しさが、わからないなんて」
そう言いたげな彼にとっては、私は魚に関して〈味オンチ〉ということになるだろうか。
といっても、アレルギーというわけではなく、全く食べないということもない。パーティや会合や法事の時など、大勢が集う席で、寿司や刺身を少な目にだが食べる。会食とか食事が目的ではないから、人と話しながら、つられたように食べるという感じである。
けれど、思い起こしてみると、二十代までは、寿司を好きだった。家に親戚が来て出前を取ると決まって寿司であり、大きな桶に盛りつけられたさまざまな具の彩りは食欲をそそったし、皆ではしゃいで食べる楽しさがあった。また、OLをしていた時、上司が夕食をごちそうしてくれるのは寿司が多かった。結婚していたころも、土産の折り詰め寿司や、来客にふるまう出前の寿司など、美味しく食べられた。
若いころは肉と同じぐらい好きだった寿司や刺身を、三十代から苦手になったのは、体質が変わったのかもしれないし、海の汚染とか考えて神経質になったせいかもしれない。汚染は肉だって野菜だって同じだけれど。
加熱してあれば食べる気になるが、煮魚も焼き魚も、ほとんど食べることがない。天ぷらは食べる。イカの炒め物やタコの酢の物は作るし、好きである。イクラや白子など魚の卵は好き。
たまにだが、フグ料理店に案内されることがあり、
「こんな高級料理の味がわからないなんて」
と、私が少量しか食べないフグ刺しを、相手は美味しそうに食べながら言ったりするのだ。まさか、そんな場所で、
「毒に当たらないでしょうね」
なんて言わないけれど、決してフグの毒を心配して箸をあまりつけないわけではない。
概して魚好きの人は、フグとか寿司とかは最高の食べ物で、それらを嫌いな人間など、この世にいるわけがない──と、固く信じ込んでいるふうなのが、面白い。
最近は魚の栄養成分のDHなんとかが、テレビの健康番組などで強調されている。
親しい知人からも、
「肉料理や揚げ物ばかり食べてると、コレステロールや中性脂肪が高くなって病気に……」
と、脅されて不安になり、健康診断を受けると、コレステロールも中性脂肪も正常値の結果が出て、魚好きの知人のほうが要注意の数値だったりするのは何故だろう。
美味しいとか、不味(まず)いとか、味がわかるとか、わからないとかいうのは、その人の好みであり、万人に通じる絶対の味覚なんてないと思う。だから、
「この料理の味が、わからないなんて」
と言わんばかりの、自分の好みを押しつけるというか、グルメや食通を自慢するような人とは、一緒に食事をしたくないものである。そうではなく、
「これ、美味しいよ、ちょっと食べてごらん」
と、思いやりから、すすめられると、本当に美味しいと味わって食べてしまう時が多い。
※ミニコミ誌『あじくりげ』 2001年9月21日掲載