切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《自民党の総裁選は結果が見えている》

2020-09-08 23:17:00 | 社会




 安倍内閣が終わって正直やれやれと思っていたが、次の総裁選に予想通り石破氏が登場し、岸田氏も出てきた。そしてこれも予想通り菅前官房長官が出場。と言うわけで3人による自民党内での選挙と言うことになった。

 自民党は基本的に日本で最大の国会議員数を有する大政党であり、そのトップが総理大臣として選ばれるので、国民生活にも様々な意味で大きな影響を及ぼすことになる。当然そういったところから新聞やテレビなどの各メディアは大きく連日取り上げているし、国民の関心もそれなりに高いと言えるだろう。

 私個人としてはこの3名を見て、方針や政策あるいは性格なども含めて、それぞれのちょっとした違いはあるだろうが、自民党全体からすると今までと大きく変わるような政策の大転換等は考えられないと思っている。そしてさらに菅房長官は「私は出ない」と言っていたのに、周りからどうしても出てくれと言うことで、それに応えるために出ることになったと言う言い訳をしながら出馬。はっきり言って、これもこうなると思っていた。

 大昔は自民党は派閥解消などと言っていたが、そんなことできるわけもなく相変わらずの派閥オンパレードで、多くの派閥が菅氏に乗っかることになった。その数から一定、自民党内の総裁選結果は明らかだ。前官房長官の菅氏の圧勝以外には考えられない。各マスコミも当然のことながら同じ予想だ。まぁそれはそれで良いだろう。しかし問題点が既にはっきり見えている。

 菅氏はこの総裁選を通して明確に、「安倍政権の継承」を明言している。と言う事は「アベノミクス」から「スガノミクス」になるんだろう。

 アベノミクスは3本の矢なんて言い方をして、

第一の矢が「金融政策」

第二の矢が「財政政策」

そして第3の矢が「成長戦略」とした。

 私自身はこういう分野の専門的な勉強をしたことないので、上辺、しかもその1部しか知らないが、メディアなどの報道では全体としてアベノミクスは「失敗。」あるいは「現在進行中の途中段階」などといった評価がなされている。

 金融政策ではデフレ状態からの脱却と称してインフレを作り出し、経済の活性化を目指したものの、決して目指した通りにはなっているとは言えないと思える。

 財政政策においては国土強靭化などの取り組みを中心に、公共事業のために巨額の財政出動を継続しているが、国債頼みなども含めて、国全体の財政のあり方が極めていびつな状態のままになっているのではないか。

 そして3つ目の成長戦略。ここには経済を含む日本の成長において、重要な役割を果たす若者の創出、女性の活躍などを挙げているが、どうにもこうにもこれは掛け声だけに終わっている感が強い。

 しかもこれらの政策は約8年間にもわたる長きにわたって進められてきたはずのものだが、一向にこれといった成果らしいものがないどころか、1部の大企業においては法人税減税の恩恵に預かったり、政府保証付の財政援助(もちろんこれは国民の血税)、あるいは1部の投資家などには大儲けの恩恵がやってくる。おまけに2回にわたる消費税増税で、金持ちは痛くも痒くもないが、一般庶民にとってみればあるいは低所得層にとってみれば、生活の苦しさに直結するばかりで良いことなど何一つない。

 そして大胆な金融改革によって銀行の預金利子は0.02%?などと言うほとんど意味のないような金利。しかも銀行は預かっている分のいわゆる「預かり料」をを預金者から取ろうとまで考えているようだ。銀行に預けて何の意味があるのか、というのが一般国民の思いになるだろう。

 人口少子化に歯止めがかからず、昨年度はとうとう近年史上最低の出生数に終わり、さらに今後も日本の人口は減り続け高齢者の増加とともに、世界一の超高齢化社会になっていく。ここにかかる国のお金ももちろん税金だが、大変な額となる。

 そしてこれからの日本を前進させるべき若者はと言えば、大学の乱立の中でとにかく大学を卒業すればいい、そしてどこかの企業に入れれば良い、と言う目先の個人的な利益追求に終わりがちで、世界に留学して国を国際社会の中で大きな存在感を示されるように、活躍するような兆候は見られない。どころか減少中と言う有様だ。

 そして第一次産業の惨憺たる状況に対して、技能実習生と言う名前で一時的に外国人に来てもらって働いてもらう。終わったら切り捨て、と言う冷たい政策が繰り返される。これは二次産業の中小零細企業においても同じような構造だ。

 その中で富を独占するのが大企業であり、1部の先端企業であり、うまく立ち回った投資家と言う極めていびつな状態となり、一般国民の多くは収入が増えて生活に余裕ができた、なんて全く言えないような状況に陥っているのが現状だ。こういう変則的な状況の中で、国内においては外国向けの「おもてなし」の上辺だけの薄っぺらな精神論だけが強調され、内実はそれとは全く逆の、弱い者いじめ。これは家庭内でも学校でも職場でも全く同じような風潮が見られ、自殺に追い込まれるような人々も多い。いびつな形でのいじめ、そしてコロナ問題に乗じた自粛警察等と言う、思い上がりも甚だしい利己主義的な行動と無責任さ。これらが相まって日本社会そのものは極めて困難な状況に陥っている、と言うのが実情ではないだろうか。


 菅氏はさらにこれからの日本においては「自助・公助・共助」が・・・何のスローガンかよくわからんが、とにかく彼が言いたい主張のほぼ100%は「自助」という点だろう。要するに「自分の生活については、豊かになろうが貧しくなろうが追い詰められようが、自己責任であり、自分でなんとかせよ」と言うのが本音だとしか思えない。

「公助」については今までも充分やってきた。誰に対してやってきたのか。政権の目は国民には全く向いていない。あくまでも大企業に対してとのことだ。1時日本航空が破綻の危機にあったときに、何百億円と言う巨額な資金が補助の形で与えられた。もちろん国民の血税だ。今も同じようなことをしようとしている。経営危機にある日産自動車。その負債はとんでもない巨額で1000億円を遥かに超えると言う。ここも援助すると言う事だ。

 もちろん返済が前提ではあるが、返済不可となった場合には援助した額の7割位は返済放棄と言うことらしい。この12つ見ても、あくまでも大企業に親切で優しい政権になるのは目に見えている。地方の中小企業、都会の中の零細企業はコロナのこともあって、次々に破綻している。一応補助制度があるがその恩恵に預かれないケースも非常に多い。

 先進諸国では日本の民間会社経営の実態について、非効率的であると批判している。中小零細企業を整理統合し、大企業の下に集めてしまえば生産効率が上がると言うのだ。中小零細企業にとってみれば吸収合併され、同時に示される合理化の中で、中小零細の経営者や労働者は即切り捨てとなるのは目に見えている。こういったことも省庁の中では議題に上がっているのは間違いない。

 こうして効率を優先し、貧しいまま切り捨てられる者は「自助」でなんとかしろと言うわけだ。何と言う冷たくて人情味も何もない哀れな国であることか。そして「自助」で難しいところは「共助」の仕組みを使えば何とかなるだろう。公的機関は知らん顔して、国民同士が傷口を舐め合いながら何とか助け合いと言うわけだ。

 一体我々は何のために「税金」を払っていると言うのだ。納税は国民の義務である、と言うのは憲法に記載されている。だからこそ支払わない、脱税行為と言うのは重い罪なのだ。タレントでも、忘れてたなどと白々しい言い訳をして、何年間も脱税していた人物がいる。最近芸能活動を再開するのではないかと言われているが、そんなものを許してはならない。

 いずれにしろ菅政権が誕生した暁には、旧安倍政権と同様に、政権の目はあくまでも大企業とアメリカと政権のお友達を見ているのであって、日本国民全体を見るつもりなんて最初からないだろう。安倍政権が政治及び政権の私物化をしたのと同様、あくまでも菅氏が「安倍政権の継承」と言う限りにおいては、最初から信頼するに足らない政権でしかないと言うことだ。要するに菅氏の独自色、大胆な改革、そして国民の方をしっかり見つめた政治なんてものは元からしないんだろう。

 今回の立候補に当たって、秋田の田舎に生まれて集団就職で東京に出てきて、などと辛い辛い物語を述べることによって国民の同情を買おうとしているのか何か知らんが、そんな話はどうでもいいのであって、総理大臣になったら国民のために何をするのか、と言うことをはっきりしてもらいたい。

 このブログを書いているこの瞬間にもニュース情報番組で、立候補した3者が集まってあれこれ口で言っているが、私自身は口だけで言うことには全く信用していない。実績で示してもらわねば何の評価もできないし、評価する値打ちもないだろう。菅氏も含めて3人とも「国民の皆さん・・・」と言う言い方をよくするが、本心なのかどうかもわからない。今までの例から見て、自民党政権のほとんど全てと言っていいほどが「大企業様のために、アメリカ合衆国様のために」と言う姿勢が常に付きまとってきた。それは今後も変わらないだろう。

 もう50年ほど前になるが、故田中角栄氏が成り上がって総理になったときには、いい意味でも悪い意味でも、というかほとんどが悪い意味だったが、大胆な日本改造計画を立てて、バンバン金を使って国土の大改造を本当にやり始めた。そのかわり悪いこともいっぱいあって、最後は逮捕、起訴、有罪判決となった。この真似をせよとは言わないが、やはり大胆に政治改革のできる人物が、あるいはそのような政党が、国民の大きな支持を得て政治を進めるべきではないかと思うこの頃だ。

 ただしあくまでも「首相個人の手柄」といった評価がなされるようなものであってはならない。菅首相の地元である秋田県では駅前に早くも、全身の立像が計画されている。なんともまぁ馬鹿らしい話。こんなこと言うと地方の方々に失礼かもしれないが、やはり地方にはいろんなボスがいて、言う。「おらが町から出た立派な英雄に報いるために、銅像が必要だ」なんていうのが、全国各地にあると言うこのみっともなさ。旅先でそのような総理経験者等の銅像などを見ると、心の中で唾を吐くことにしている。まるでその個人が、この日本のために活躍したと言うことを必死になって訴えていると言うことを、あまりにも薄っぺらいとしか思えないのだ。

 まぁ菅氏が新首相になることを前提に書いてみたが、多分あたらずとも遠からず、といったところになるのかもしれないな。

コメント
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