切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

和氣神社~橋本新石稲荷神社 京都府八幡市・・・和気清麻呂

2020-09-15 23:19:02 | 撮影


和氣神社



『和氣神社の御由緒等
   鎮座地 京都府八幡市西山和気一番地の四
【御祭神】
 和氣神社 (向かって右側の社殿)… 護王明神 (和氣清麻呂公)
 八幡社  (向かって左側の社殿) ...八幡大神

【御由緒】
 創立年代不能詳。但し、『男山考古録』巻十二「足立寺」の項に以下の記載がある。 「男山の西尾崎、往昔の所今小社二宇在之、村名に残れり、爾勒堂近来退転、小社一宇は八幅宮を祭る、南の小社は和氣清麿を勧請と云伝ふ、...(中略)... 社は皆西面 也、…(中略)...清麿神威をたふとび申して、河内國に寺を立て、神願寺といふ、後に高尾の山にうつし立、今の神護寺是なり、... (中略)... 孝謙天皇、弓削法皇に、譲位給ふ時、和氣清麿を使として令申宇佐宮給ふ之時来て奏許之由、... (中略)… 清磨、道鏡法師のはからひとして、 彼二つの足を斬てうつほ舟に乗せて流さる、此舟宇佐濱による云々、宝殿の内より五色の小蛇這出て、清磨が脛をねふりけるに、元の如く二つの足生出にけり、清磨帰依の余りに、一ツの伽藍を立て、法味を備へ奉らんと云願を起す処に、御託宣に、汝男山に建立すべしと告給ひしかば、 八幡山の奥に伽藍を立て、爾勒菩薩を安置し奉り、足立寺と名附たり、和氣氏寺として今に在るとなん云々」

【鎮座地及び社殿】
 かつては百反山と呼ばれる鬱蒼とした山林に囲まれた小祠で、 「京都府八幡市橋本東百反六番地」を鎮座地としていたが、昭和五十年前後に進められた宅地開発に伴う 地形及び行政区画の大幅な改変等により、新たに整備された史跡公園の一角を分けて境内地とし、そこに当社の社殿を移築、附属の建物等を併設し今日に到っている。
 平成二十九年夏、地元の 篤志家により浄財が寄せられ社殿の小修理が施された。』
    (説明書きより)

 和気神社は八幡市の男山団地のほぼ中央に位置する。
 元は別の場所にあったが、土地の区画整理や宅地造成等の事情によりこの地に移転した。同時にここには足立寺廃寺の跡が史跡公園として整備されている。近くには石清水八幡宮があるが和気神社は一切関係ない。
 上記のような由書があってそのまま掲載したが、文章自体が非常にわかりにくい。和気神社の創建は不詳とあるが、元々の前身は奈良時代末期、河内国に神願寺という寺が建てられ、それが後に京都の高雄の方へ移され、神護寺となった。
 当時、和気清麻呂は幅広い知識と才能を持ち、人々から大きな尊敬を集めていた。しかし権力を持っていた僧・道教の下で弓削法皇から宇佐八幡へ使わされる。そこで受けた命をそのまま法皇に伝えた。それを聞いた道教法師は清麿の足を切断。そして流刑とされる。しかし彼は宇佐八幡で猪に助けられ、足が治る。そしてその後出世の道を歩む。
 そして男山の地に伽藍を建て、弥勒菩薩を安置して足立寺と名付けた。そのことから後に建てられた和気清麻呂を勧請した和気神社は、平安初期に創建されたと言われる。ご利益として足の病に効く、足が良くなると言われ、大きな信仰を受けるようになる。
 猪に助けられた逸話から、和気神社の狛犬であるべきところが駒猪になっている。同様に和気清麻呂を祀る神社としては、御所の西側にある護王神社がある。そしてここも猪を祀っていることでよく知られている。昨年度の亥年新年には大勢の人が参拝に訪れていた。私も行った。
  
 神社そのものは比較的小さく、全体的に新しさが目立つ。そういった意味では長い歴史的な由緒があるようには思えなかったほどだ。そして隣接する史跡公園には足立寺廃寺の跡が一部保存されている。また平安時代と思しき瓦などを焼いた窯跡も保存されている。地味ではあるが一見の価値はあると思う。
    


橋本新石稲荷神社



『由緒
 稲荷神社の創建について、詳しいとこはわかっていませんが、往古は荒神社・辨天社とあわせ四人山の守り神として、この地にお鎮まりになられたもので、古図にも見えている事により、かなりしっかりしたお社であったようです。荒神社と辨天社は現在なくなってしまいましたが、この地は、山上の方にあるために毎年日照りが続くと米が稔らず、村人がこの地に集まって毎夜雨乞いの祈りをしたのです。その祈願が終わる日の夜、白髪の老人が現れ、「私は御食津神(みけつかみ)と言います。私は食物を支配する神ですから、この地に私を大切に祀れば、百年の間は水に悩まされることはなくなるでしょう」と申され、姿を消してしまわれました。
 これを聞いた村人達は、この白髪の神の申された通りに、祠を作り、稲のなる社として「稲荷神社」と名付け、この地の氏神として大切にまつり、現在に至っているのです。』
  (本殿貼り紙より)

 和気神社から北へ数百m。やはり男山団地のの中にある。男山団地自体がかなり古く、今となっては高齢者が多いものの、中央の幹線道路以外は比較的静かな環境にあり、和気神社とともにこちらも非常に閑静な場所となる。のぼり旗があるのですぐにわかる。
 本殿の柱に由緒書きが貼り付けてあった。風雨にさらされてかなり読みにくかったが、なんとか写真に撮って文字を拾う。本殿の建物は小ぶりのもので特にこれといった特徴はあまり感じられなかった。いわば地域の守護神としての神社だろうと思われる。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする