切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

早尾神社 京都市西京区・・・まさか、古墳時代以前からか?

2021-04-13 22:04:41 | 撮影
早尾神社

  

『早尾神社

祭神 国常立命 猿田彦命 応神天皇
この地周辺は小塩山の麓にあり王朝時代に貴族の狩場として桓武天皇もしばしば足を運ばれた処であった。古くは石作鄉と呼ばれ石作大連を祀った石作神社と菩提寺である石作寺があった。石作氏は天火明命を祖とし、第十一代垂仁天皇の皇后日葉酢媛命がお隐れになった時石棺を献上し「石作大連公」の姓を賜った。更には貞観元年、従五位の下の神階位に昇格している。現在はこの石作神は大歳神社相殿に祀られている。
また鳥居は、平成の御代初の鳥居として 再建奉納されたものである。』
  (説明書きより)

      

  早尾神社は大原野の丘陵地帯にある。この辺り一帯はかなり古くから人々が住み着き、農業の他、良質な石が取れるので石切作業の一族も定住していたと言う。上記説明書きの中にあるように、垂仁天皇の皇后が亡くなった際、石切を仕事としていた石作氏が石棺を用意し、そのことから石作大連公の姓をいただいたとある。しかし垂仁天皇そのものは、日本書紀に登場する天皇の名前であり、その実在性についてはかなり疑問視されている。仮に実在していたとしても古墳時代以前の話であり、この辺りの実態については全く定かではない。
 石作氏はその後一定栄え、その一族を祀る祠が建てられ、それが石作神社と呼ばれるようになった。近くには石作寺がありその菩提寺として存在していたようだ。平安時代の「延喜式神名帳」に山城国乙訓郡石作神社とあり、その意味では式内社とされている。しかしその後石作氏は衰退し、後年石作神社はその東の方にある大原野灰方の大歳神社に祀られることになったと言う。その辺りの事情については定かになっていないようだ。
 こうして石作神社の後に今の早尾神社ができたのではないかと言われている。したがって今も実在している早尾神社そのものが、式内社ではないかとも言われており、確定的ではないので、いわゆる論社扱いとなっている。石作神社の論社としては他に、大歳神社に祀られたということでそこが候補の一つであり、いまひとつやはりこの近くにある、八幡宮社も論社として考えられている。
 もちろん本殿等については長い年月の中で 何度か再建を繰り返していると思われるものの、極めて長い歴史を持つ神社であることには変わりない。今現在この地は大原野石作町となっている。古代からの伝統が未だに地名として残っているというのも、ある意味すごいものだと思われる。なお石作神社の菩提寺として石作寺があったが、いつの頃からか廃寺になったものと思われているようだ。
 大歳神社については何年か前に訪れて、このブログにも紹介している。また八幡宮社についてはまだ訪れていないので、改めてこの三社について調べてみる必要があると思う。三社は相互に比較的近い場所にあるので、地名の石作とともに灰方についても、これが神社の関係が深いと考えられており、その関係も改めて見て見たいと思う。
 現在の早尾神社そのものは道路から少し山の中に入ったところにあり、小さな祠がひっそり立っている。式内社の論社であるという雰囲気ではないが、歴史的な流れの中では相応の大きな意味を持った神社であったんだろうといえる。

   
コメント (1)
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