与えられた生命  Gifted life

あなたの人生は、神よりあなたへの 贈り物です。
生まれてきた魂の本質を思い出しましょう

時の流れを楽しみなさい!

2014-12-18 22:49:45 | 

 

さて、一年間の学びのおさらいをしましょう。結論から言うと、「今日一日、神に生かされて霊と共に生きる事」です。

そして、愛するもう一人の御本体と同行二人(どうこうふたり)で、すぐに過ぎ去るこの一瞬のこの時を、家族と命あるものを大切にして、丁寧に優しく生きる事です。そして、あなたの愛の祈りの光で、この世を照らしなさい。

《神に生かされて霊と共に生きる事》の意味が分かり、日々それを実践しているという事は、『真実の自分』の、ある一定の基準の認識になっているという事です。

この意味を尋ねる者あれば、誠に簡単に教えてあげていますから、アタマで知るのは簡単ですが、そのように心からの感動と感謝を持って、生き生きとして、この一瞬を優しく丁寧に生きている者は少ない。

『神に生かされて霊と共に生きる』事を言い換えると、『生かされて生きる』という事であり、『神霊と共に生きる』という事です。略して『神と共に生きる』という事です。神とは、大神です。具体的に誰か分かりますね。

また、略して『霊と共に生きる』という事です。同行二人の事ですね。このあたりの理解と具体的な実践が日々できて、熱く燃えて生きている事が大切なんです。

当然、あなたのいる場所が、いつでも、どこでも、『全ての中心にいる』という不動の実感になっていなければなりません。また、神聖図形が、潜在意識まで叩き込まれている事です。ここまで正しくキチンと理解でき日々実践しているならば、そのまま自信を持って進みなさい!

これによって、あなたの『本当の天国』が、この世に実現され、同時にあの世に於いても、天国にいる事が担保される事になるからです。

今、あなたが「私達とこの時空間の場に共にいる」という事が、『奇跡の現実』だとハッキリと分かってきて、実感してきます。ですから、私達と共に、時の流れを楽しみなさい!

ごきげんよう!




カミツキ❗️

2014-12-16 08:57:51 | 

「永遠の生命」があるとは、「永遠でない生命」があるという事です。

ナンモノヒカリの認識する世界では、相対するものが同時存在します。

「永遠でない」という事は、「命は期限つき」という事です。

期限つきの命を「寿命」といい、残りの命を「余命」といいます。

また、命が終わるとか、命が無くなるとか、命が尽き果てるとか、命の火が消えるとか言います。

命がなくなるから、肉体が無くり、死ぬ事ができます。ありがたい事でもあります。

肉体から魂が抜け、魂が霊と一体化して、肉体から霊体離脱した瞬間、

肉体が機能停止します。「死」です。

またその瞬間あの世の命がチャージされます。

ここがナンモノヒカリの独創的説明になります。

「命のチャージ」です!

つまり、この世の命とあの世の命の二つの命があったのです。

死の瞬間、生命はハイブリッドでチャージされます❗️

あの世で、上の世界向きの命か、下の世界向きの命が霊意識に付与されます。

下の世界の命は、悪い意識が完全に削除されるまでに持たされる仮の命です。

この世とあの世の死の線をまたぐものが意識です。

ですから、あなたの今の意識がとても大事です。

何事も、この世の今の「意識次第」という意味が理解されましたか。

正しい導師につく事がいかに大切かという事ですね。

「意識は停止条件つき、生命は期限つき」です。

分かった人に聞くと三分間で分かり、

分からない者に聞くと一生涯分かりません。三生かけても分かりませんね。

いいチャンスに巡り会えたら、しっかりカミ・ツキ離さない事です!

私達は、宇宙で一番美しく光り輝く愛に満ちた、たった一つのかけがえのない命の

素敵なあなたを、いつも愛しています!

さぁ!今日明るく元気でスタートです!


創造の原点

2014-12-16 04:07:34 | 

「原点」とは、物事の根拠・根源になる出発点です。

「私は過去世は~だった」と言う方がいますが、

その誰がしの肉体を構成した元素だったに過ぎない場合があります。

「全ては一つです」から、元素がその御霊だったと勘違いする。

つまり、勘違いするのは霊格が、まだ到らないからです。

そんな方をリーダーにしている群れがあります。教材ですね。

ナンモノヒカリは、過去世の元の「御霊の原点」を教えています。

それが、「宇宙創造と同じ原点」の意識だと、

何人かはハッキリと思い出す事でしょう。

その意識次元になれば、宇宙意識・宇宙即我・永遠の生命になっていますから、

その説明がいらない状態です。

日常のくだらない悪口や愚痴るよりも、

「偉大なる自覚」を目指して、果敢に挑戦した方がいいのです。

何でも自分の意識レベルまで落として、

分からなくなっています。

「人間の思考の延長線上に無いですよ」と、最初から教えてあるのに、

おのれの寸足らずの曲がり尺で測るから分からない、

分からないから続けようとしない。そして地獄(ニラヤ)に堕ちます。

ですから、正しい意識の方向性と、真摯な求道心(ぐどうしん)の継続が必要なのです!

私達は、いつも宇宙一素敵なあなたを愛しています!


デカルトさんの我思うゆえに…

2014-12-13 02:58:42 | 

「我思う、ゆえに我あり」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis、羅: Cogito ergo sum)は、デカルトがフランス語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題です。

 
一般的な解釈。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)とする命題である。コギト命題といわれることもあります。
 
私は、「私に物事の認識ができるということは、意識があるということである」と解釈して、認識のもとが意識であるという、認識と意識の関連性を示唆したとします。
 
ゆえに、物事が存在するもしないのも、意識した結果の認識次第です。ですから、あなたが今いるこの時空間の場の認識が、「あなたの全て」であると主張します。
 
あなたの自己存在の証明が、宇宙一の自己尊在の自覚で創造主(大神)の尊在を証明することであって欲しいと思います。常に大神と共にあって頂きたいと願います。
 
意識が認識したモノ、それがあなたが創出し創造したものです。それが、錯覚・妄想・幻想でなく、真実であることを祈ります。(魔の本質は、錯覚・妄想・幻想です)
 
もう一つ、「我思う、ゆえに我あり」とは、「我思う、ゆえにもう一人の我あり」といえます。

錯覚・妄想・幻想とは

2014-12-11 05:07:06 | 

「錯覚」とは、感覚器に異常がないのにもかかわらず、実際とは 異なる知覚を得てしまう現象のこと。対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚。

「妄想」とは、仏教用語で真実でない事を真実だと思ってしまうこと。日常的 に妄想と言った場合は、根拠もなくあれこれと想像すること。 

「幻想」とは、現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。

「想像」とは実際には経験をしていない事柄などを 推し量ること。

「実際」とは、物事のあるがままの状態。

「現実」とは、いま目の前に事実として現れている事柄や状態。

「事実」とは実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。

「真実」とは根本的な本当の事実。

「現象」とは、人間が知覚することのできるすべての物事。 

「経験」とは、実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知 識や技能など。

「ビジョン」とは、将来のあるべき姿を描いたもの。将来の見通し。構想。 未来図。未来像 。幻想。幻影。まぼろし。視覚。視力。 視野 。 見えるもの。光景。ありさま。 

「幻覚」とは、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう

一応、以上の言葉を理解して使いましょう!

さぁ!今日も明るく楽しく元気でスタートです!