2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

生後134日目、辛い出来事

2008年09月26日 21時50分13秒 | 生後4ヶ月~
9月26日(金)生後134日目、修正2m4d

体重 2506g(+56g
今日はミルク後に体重測定&沐浴だったから…ちょっとあてにならない数字…

ミルク 1回45cc×1日8回(全注入)

今日はとっても悲しい事がありました。

寛太朗が入院してる病棟のNICUの赤ちゃんが天国に旅立ちました。

今まで4ヶ月入院していて、同じ病棟で…というのが初めてで…ショックで今も心が痛いです。
どうしても我が子と結びつけてしまって…もし…と、考えたくない事まで考えてしまいます。
今日に限って、パパは出張で…一人ぼっちの夜です…。
(夜まで病院にいました。)

寛太朗の事、このブログではあまり詳しく書いていませんでしたが、生まれてから今までたくさんの壁を乗り越えてきてくれました。
そして、これからもたくさんの壁を乗り越えなくてはいけません。

7月15日に書いたmixiの日記をコピーして載せます。

『祝☆生後2ヶ月、絶望のどん底体験』

今日で寛ちゃんは生後2ヶ月を迎えました

この2ヶ月、長かったような…あっという間だったような…
とにかく私の人生でとても内容の濃い2ヶ月でした。。

寛ちゃんの成長

出生時:身長35.0cm、体重1008g、頭囲26cm、胸囲20cm
 
生後1週間:身長34.2cm(?)、体重850g、頭囲26cm、胸囲20cm

生後1ヶ月:身長36.8cm、体重1098g、頭囲29cm、胸囲21cm

生後2ヶ月:身長39.0cm、体重1508g、頭囲32cm、胸囲24cm

今だからお話出来るのですが、寛ちゃんが病院を転院になった理由は先天性の疾患ではなく、腎臓機能の低下が理由でした。

生後5日目の昼食後、一人NICUの主治医の先生に呼ばれました。
腎臓の機能が低下してきている…と言われました。

この病院での治療は難しいので早急に専門的に見てもらえる病院に転院する必要があると…。
腎不全の疑いがあり、一生透析が必要になる、完治には移植しかないと…。
寛ちゃんの先天性疾患を持ち、腎不全の場合、遺伝子異常の可能性が高く、もしそうならば、幼児期までに確実に小児ガンになってしまうと…。
この遺伝子異常はすごく難しい病気だと…。

(この頃、寛ちゃんは腎臓の機能が悪化するという理由で、ミルクをストップされ、3日間絶飲で、空腹で意識がもうろうとしていました。)

絶望のドン底でした…
涙が止まらず…頭がおかしくなりそうでした…
どうして我が子が…と胸が苦しくて、心が痛くて…
神様に祈る気持ちにすらなれず、神様を責めたい気持ちでした。

未熟児特有の数々の病気、先天性疾患…それだけでも試練が多すぎるくらいなのに…
寛ちゃんはこんなにも頑張ってるのに…どうして…

パパは仕事を切り上げてすぐに病院に駆けつけてくれました。

夕方17時半、パパが病院に到着し、夫婦揃って再度主治医の先生の説明を聞きました。

『例え難しい病気だったとしても、治る可能性はゼロじゃないし、絶望的って訳ちゃうねんで!転院だって、前に進む一歩やねんで!』
泣きつぶれる私に、パパはそう言ってくれました。

そんなパパが、夜の寛ちゃんの面会の時、空腹でグッタリする寛ちゃんの手を握り、ポロっと涙を流しました。
先生の説明も、私をなだめる時も、涙を流さず冷静を装ってたけど…
ホントはパパも、私と同じように、心がつぶれそうに苦しかったんだな…

その日の夜は遅くまで、パパと色々と話し合いました。
悲観的になる私に、パパは前向きな事をずっと話してくれました。

名前を『寛太朗』と決めました。
パパの名前は『寛人』。
『人』に2画足すと『太』の字になります。
『寛太朗』の中には『寛人』が入っています。
寛太朗にはパパがいつも付いている!
パパのような素敵な人になって欲しい!
パパよりも一つも二つも大きく、そして朗らかに明るい子に!!

その後、生後6日目に転院先決定。
生後7日目に転院。

生後27日目の事。
主治医の先生から話があり、転院後毎日してる採血の結果、腎臓の数値がほぼ正常になってきているので、腎不全の疑い及び、前の病院で言われた遺伝子異常の可能性は、ないでしょうと。
もう腎臓の心配はしなくて大丈夫ですよ!と言われ、涙が出るほど嬉しかったです。

と、こんな感じに日記には書けなかったけど、絶望のドン底を経験してました。。。

寛ちゃんは、1歳、1歳半の2回、先天性疾患の手術をします。
まだまだ乗り越えなきゃいけない壁はたくさんあるけど、ケセラセラ

END(写真や絵文字は省いています。)

寛太朗が今、元気なのは、あの頃の私から見ると、奇跡が起きたとしか思えません。
あの時に、移植をする事になっても、一生透析でも、小児ガンになっても…とにかく生きててさえくれればいい!と心からそう思いました。

今もその気持ちは変わりません。
温かい寛太朗を抱けるだけ、それだけで幸せなんです。

でもでも…人間って欲深いもので…
いつになったら笑うかな?いつになったら首が据わるかな?いつのなったら声を出すかな?
なんて、思ってしまってるのも事実ですが(笑)

寛太朗の先天性疾患の内容は理解してもらうのが、なかなか難しいのでmixiの方でも伏せさせてもらってます。

500人に1人の子が持って生まれる病気だけど…
寛太朗はその中でも、最も重度なタイプなんです。
ネットで同じ病気(重度)の人をいくら探しても、いません…。
それくらいにひどいです。

今日、辛い現実を目の当たりにして、生後5日目の主治医からの話で、寛太朗は長くは生きられないかも…もしかしたら死んじゃうかも…と荒れ狂って泣いた事が蘇ってきました。

今日天国に旅立った赤ちゃんが、天国で幸せに暮らせますように、心からそう願います。
そしていつの日にか、またパパ&ママのところに赤ちゃんとしてやってこれたらいいなぁ、って思います。

絵本

2008年09月26日 08時23分26秒 | 生後4ヶ月~
寛太朗にしてあげたい事はたっくさんあるんだけど、その中の一つが『絵本』をたくさん読んであげたいって思います。

寛太朗は極低出生体重児(1000~1500gで産まれた未熟児)なので、これからの成長ものんびりペースになるでしょう、と言われています。

体の成長だけでなく発達も。。。

小学校に入るくらいには、他の子に追いつくくらいかな?って感じで、きっと幼稚園とかでは、飛びぬけておチビちゃんだったり、幼かったり、他の子が出来る事が出来なかったりすると思います。
(幼稚園で働いていた時、実際にそういう子はいました。)

寛太朗が生まれてから、従姉妹が絵本をたくさん読んであげる事で、言葉の発達が早くなるよ!とメールしてきてくれました

絵本は、言葉の発達以外にも、想像力が身に付いたり、読み聞かせする事で集中力が身に付いたりします。

昔、我が家には大きな本棚があって、その中には絵本・図鑑などがギッシリありました。
それ以外にも、母親によく図書館に連れて行ってもらっていました。

だから思い出の絵本とかがいっぱいあって、今でも絵本が大好きです
『せんたくかあちゃん』『どうながのプレッツェル』とかは好きで何度も何度も繰り返し読んでたなぁ。。。

寛太朗にもそういう環境を与えてあげたいなぁ…って思います。

で、少しずつ絵本を買い集めています

幼稚園教諭をしていた時に、子ども達に人気があった絵本や、ママの好きな絵本…なので、赤ちゃん絵本が少ないけど(笑)



ママが一番~大好きな絵本は『どんなにきみがすきだかあててごらん』です。

チビうさぎと、デカうさぎが、お互いをどれだけ好きかを競い合うんだけど、とにかく内容が可愛いです

この絵本は19歳の誕生日に短大で仲良しだったアッチャンからプレゼントしてもらって出会いました。
それ以来、この絵本が大好きで何度も何度も読んで心が癒されてきました。

左のベビーブッグは妊娠していた時の誕生日にパパに買ってもらいました

幼稚園で働いていた時には、必ず毎年父親参観日の日にこれを読んで、子ども達にパパやママの事どれくらい好き?ってカラダで表現させて、次にパパやママにも、子どもをどれぐらい好きかカラダで表現してもらって

両手いっぱい広げて『これくら~い』って言う子。
何度も何度もジャンプして『これくら~い』って言う子。
教室中を走り回って『こんなに~』って言う子。
色々。。。

それを見つめるパパやママの嬉しそうな顔を見るのも楽しみの一つでした。

そして、パパやママの表現してもらうのがもっと楽しかった。

照れながら様々な表現をしてくれました。
子どもと同じ表現や、子どもを抱っこして高く持ち上げたり

自分の事どれくらい好きかカラダで表現してくれるパパやママを見つめる、子どものキラキラした瞳これがたまらなく好きだったなぁ。。。

いつか寛太朗とどれだけ好きか比べあうのが、楽しみです