泥より出でて泥に染まらず

人生を引き寄せ、好転させるには?自身が何十年も苦しみ抜いた経験と、様々な文献から日々考察していきたいと思います。

【78】書き手はいつも憂うつだ!?

2023-06-15 08:05:00 | 引き寄せ
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最近また脚の痛みがひどく、痛み止めを飲んでも2時間も眠れない日が続いています。起きようとするときも、やはり激痛で身動きが取れない。

寝っ転がっても、座っても右脚の付け根の痛みがひどい。さらに季節の変わり目に来るアレルギーの鼻炎と喘息も併発。咳き込むごとに全身に痛みという痛みが来ていて、朝からメンランコリンなわけです。

痛み止めは、食後に飲まなければいけないとされていますが、もはやそんなことを言ってもいられず、いつも「痛い時」が服用のタイミングです。

そして薬が効くまでの2〜4時間、耐え難い苦痛と闘います。こういう時こそ「感情をニュートラルに」と思いますが、その力よりも痛みが圧倒的で、例えるなら竹ひご一本でライオンに挑むみたいなもので、本当に毎日が苦行です。

仕方ないので気分を変えるため、今日は思い切って、早朝からひとっ風呂浴びることにしました。明るいうちからというのが私にとっては「非日常」であり、「いつもの」入浴とは全く違うわけです。
何ならいつもは子供たちの身体を洗ってあげて、ろくにゆっくりできず完全に作業になってますので、無理にでもこのような時間は創る必要があります。

朝日を浴びなら入る湯船は、さながら露天風呂のよう。目を閉じて意識を遠くへ飛ばすと軽い瞑想状態へ入ります。そうこうしているうち痛み止めが効いてきて、ようやく「正常起動」できました。

早朝から突然家中に鳴り響く『人形の夢と目覚め』に「お風呂のシステムがバグったか」と驚く家人たちでしたが……


このように精神のコントロールとは本当に難しく、特に体調不良時には顕著で、本当に精神と一心同体であると自覚させられます。


全身の筋肉という筋肉が常に緊張状態で全く弛まないために、神経が過敏になり痛みを出していると主治医には言われていますので、治すには精神的な解放が必要になるということです。

しかし、そもそも幼少期から心が晴れたことなど一度もないわけで、晴れている状態というものを想像できていないのかもしれません。そんな時に、ふといつも思い浮かべる作品があります。

それが今日の一枚。アルブレヒト・デューラー作『メランコリア』1514年








私がこの絵と出会い、共感したのは大学の芸術学の講義でした。翼を持った天使がペンを持って何やら書いているが、頬杖をついて浮かない表情をしている。メランコリア(憂鬱気質)という題名ですが、その意味をWikipediaから引用します。


メランコリーは抑うつを示す状態でも特に重症のものを指してきた。四体液説における黒胆汁質のことを指し、「黒胆汁」という体液の多い人は憂鬱な気質になるとされた。メランコリーは、哲学用語として、憂鬱な精神状態と、それを引き起こす性格ないし身体的規定や存在論的規定を指す。


憂うつになりやすい体質や性格ということで、気をつけなければならないでしょう。一方でこの絵は霊感の訪れを待つ状態を描いているそうです。つまり書き手であれば必ず体験したことがあるであろう「降りてくる」状態を待っているわけです。

実際にメランコリーは肯定的に捉えられています。

『XXX, 1』と題された文章の断片には、憂うつ気質について、「聖なる狂気」(マニア)の出現の必須条件であるとし、哲学者・政治家・詩人・芸術家など偉大な人物の多くがなぜ憂鬱質であったかを説明している。

ルネサンス以後の中世ヨーロッパにおいては、憂鬱質(メランコリア)は芸術・創造の能力の根源をなす気質と位置づけし直され、芸術家や学者の肖像画や寓意画において盛んに描かれた。

つまり、作品を降ろしてくるような霊感を持つ者はメランコリーである、ということです。

このあたりは、大学の講義でも同じことを言っていた記憶があります。作家はそもそも憂うつ気質で、自分の置かれている世界に対して言いようのない不満や不安を抱えている。この不満や不安こそが、正に対するアンチテーゼとしての作品を生み出していく原動力になります。

現状に満足している、もしくは文句のない納得している状態では、物は書けない、というよりそもそも書こうと思わないでしょう。

いやいや、この感動体験を作品にしたい、作品を見てもらってカタルシスを感じてもらいたい、というポジティブな想いもあるんですが……とも思います。

しかし、何でそんな必要があるのかと突き詰めてみると、日々現実社会で疲れているので、感動することで明日への活力を見出したい、日常の喧騒から離れて非日常の世界に逃げ込みたい。普段から何か言いたい、聞いてもらいたいことがあるのに、こんなことまともに聞いてくれる人が周りにいない。

悪い言い方をすれば、いずれも現実世界からの逃避をしたいという想いから来ています。

「なぜディズニーランド(魔法の国)へ行くのか」
「なぜ人は旅に出るのか」

当然、現実から離れ「非日常」へ逃避したいからです。

「なぜこんな世界なんだろうか」と世界に疑問を持った時に初めて作品が生まれるわけで、世界に対してある程度憂うつである必要があるのでしょう。

つまり、物書きの方の多くがこのような性質を抱えている可能性が高いのです。逆に言えば、「憂うつ気質」というのはある種、作家にとっては武器でもあるわけです。

ビジネスを興そうという方々も、現実社会に対して「こんなサービスがあればもっと世の中が良くなるはず」という想いでやってこられているわけですから、これはやはり憂うつ気質をお持ちである可能性が高いでしょう。
物をゼロから生み出す者としては、この「諸刃の剣」とも言うべき気質は外せないのかもしれません。

さて、毒にも薬にもなるこのめんどくさい性質を抱えながら、引き寄せをどう活用していけるか。また新たな課題が見つかったような気がします。
ということでしばらくは引き寄せ習慣を維持しつつも、一旦離れて「マインドフルネス」について掘り下げて行った方が良いかもしれません。まずは心の勉強を重ねていきます。


それにしても、私にとっての引き寄せの法則は本当に回りくどくいですね。遠回りしていることは重々承知していますが、ここは憂うつ気質であると言う自覚を持って挑む他しかなさそうです。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。若干ネガティブな内容になったことをお詫び申し上げます🙇

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【77】腹は立てども寝かせておけばよい

2023-06-14 07:30:00 | 引き寄せ
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私たちはどうしてもネガティブになりがちです。雨の日一つとっても、意識することなしでは、すぐにテンションが下がってしまいます。

しかし、お天気に戦いを挑むこと自体無意味です。気分が悪くなったところで、自分の1日もしくは未来が台無しになるだけです。

引き寄せの法則を実践する中で、「今、現在の感情が未来を創る」ということがわかってきました。
ネガティブな状態をそのまま放置していては、不快さはやがて怒りに、迷いは悩みに変わります。痛みはどんどん深くなるばかりです。

かといって、例えば怒っている状態から、笑顔になれといってもこれは無理なことです。そのまま無理に実行すれば、こんな感じになります。










もはやネタ状態です😆

従って、ネガティブな思考を見つけたら、まずはニュートラルの状態に戻す必要があります。

まずは深呼吸をして、ネガティブな感情を揺り動かしている原因を冷静に見ます。目の前で起こっている現象をただの事実として観察する。
雨が降っているのであれば、それは「雨が降っている」という事実だけであり、これ自体は良い悪いは関係ありません。

この後出かけるとすれば、濡れる可能性があるからイライラするのでしょう。しかし、傘をさせば濡れないし、屋内へ入ったら畳むだけ。
ただ一つ手が塞がるということがネックかもしれませんが、それもただ手が塞がっているという事実だけ。

現象に対して、いちいち感情を挟むことによって、そこに気分が良い悪いの判断が発生します。
感情を置いておいて、気分が下がるような要因を一つ一つ見ていき、その都度「現象」として処理していくと怒りの発生を最小限にとどめることができます。


ノートルダム清心学園の理事長を長年務められた渡辺和子さんは、著書『置かれた場所で咲きなさい(幻冬舎文庫)』の中で、こうおっしゃっています。





「自分は何を言われても、怒ったり根に持ったりするような人間ではない」といい人ぶることではありません。
理不尽な目に遭えば、私も腹が立ちます。でも、腹を立てても物事がよくなるわけではないから、腹を寝かせておくわけです。
それを可能にするのは、自分との対話であり、自分との闘いでしかないのです。


聖職者として長年多くの生徒たちを導き、マザーテレサの通訳もしながら、傍らでその教えを聞いてこられた方ですらこのようにおっしゃています。

凡人たる自分がネガティブな感情が出てこないはずはなく、無かったことにするわけにはいきません。

発生する自分のネガティブな感情に意識を向け、注意深く観察する。
その後ネガティブな感情を増幅させたり、振り撒こうととする自分を諌めて、その都度ニュートラルへ戻していく。

これまで行ってきた潜在意識の書き換えや感謝習慣は、ネガティブな感情の発生率を下げることができるでしょう。
それでも発生する感情に意識を向けていくことでかなりの時間をニュートラルな状態でいられるはずです。

この状態で少しでもポジティブな気持ちになれるようなこと、例えばおいしいものを食べることであるとか、美しいものを見るであるとか、楽しいと思えることをするなどしてみる。
するとスムーズにポジティブな状態へ持っていけるでしょう。


ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました😊
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【76】自戒 ー 何でもかんでも人のせいにしないために

2023-06-13 07:15:00 | 引き寄せ
いつもご訪問くださり誠にありがとうございます。
本日は自分の現在の心境を記録しておくため、若干重めの記事となっております。何卒ご容赦くださいませ。
 
 
 
大石洋子先生のワークを実践していく中で、次のようなことをずっと考えさせられました。
 
 
ネガティブな思考のクセは、親から受けた愛情を勘違いして受け取ってしまっていることから来る。
 
 
つまり、「親のせいでこうなった」「親にあんなこと言われた」「こんなことされた」「家庭環境が機能不全だった」といったような負の記憶が、ネガティブなことばかり考える思考のクセを作り、それに準じた現実を引き寄せているというのです。
 
 
私も父親に対して、「この人からは全く愛情を感じない」と思っていました。たとえいい思い出があったとしても、それは打算的なものなんだろうと思っていましたので、「あの父親の愛を勘違いしている?いやいや、そもそも愛なんかあったか?」というところからスタートしました。
 
 
掘り下げていくと父親の口癖は以下のようなものでした。
 
「子供は投資だ」
 
「子供は話が通じないから嫌い」
 
「女子供は何もわかっとらん」
 
「何も知らないくせに生意気なことを言うな」
 
 
常に不愉快そうに家の中でタバコを吸っているのも嫌で、おかげで立派な「嫌煙家」になりました。
私や弟が何か失敗や失態を犯す度に、母親に「お前の教育が悪いんだ」と怒鳴りつけるのも、子供心にダメージを受けました。
また、父親が転勤族であったために、1~2年ごとに転校せざるを得ず、時に「よそ者」としていじめられたこともあり、極端な都会への憧れと後のジプシー精神を助長させる原因ともなりました。
 
 
「親ガチャ」という言葉は既に市民権を得ましたが、これは「自分で親を選べない」という前提でしょう。何なら「勝手に産んだんじゃないか。こっちはそんなの頼んでない」などという意見も含まれています。
 
私が「親ガチャ」に外れたとまで思わなかったのは、それでも大学まで出してもらったという恩義があるからでしょう。また、小学校5年生の頃から、父が単身赴任でほぼ家にいなかったこと。手前味噌になりますが、母が人格者であったということも救いでした。もし父がずっと家にいて、母親もいわゆる毒親だったらと思うとゾッとすることはあります。
 
 
以前の記事で「父親がトラウマの大本命」と申し上げたのはこのようなところにあります。
 
 
当然「父親のせいでこうなった」と思っていました。何なら、「俺の言う通りにしていればいいんだ!」と常に言われていたので、「それなら最期の最期まで俺の人生面倒みろよ!」とまで思っていました。
 
また、就職氷河期にもぶち当たり、私は「親ガチャ」というよりは、むしろ産まれた「時代ガチャ」に外れたと思っていました。
高度経済成長期とバブル期の膿を押し付けられたという完全なる被害者意識でもう頭はいっぱいでした。
 
こういったものをこじらせた結果、ネガティブな状態がニュートラルの位置に固定されるような精神状態となっていました。
このままではいけないと、引き寄せの法則にかじりつき、ポジティブに考えようとしましたが、気持ちがポジティブに傾こうとすると、自分自身で全否定してネガティブ状態へと戻すのです。「こんなポジティブ状態にだまされるな、幻だぞ」と言うのです。
 
当然ですが、手を動かさない引き寄せでは、この大否定の前には全くの無力で、長年この状態で生きてきました。
ネガティブな状態はネガティブなことしか生み出さず、ポジティブな状態はむしろ不快とすら感じていた記憶があります。
ついにそれが祟って心身共に壊れた時、ようやく自分の愚かさに気づいたのでした。
 
何を読んでも聞いても、ポジティブな心の片鱗すら見えないので、やはり手を動かすしかないと、まずはアファメーションを始めます。思考の仕方に一種の選択肢のようなものを構築するところから始めました。悪い言葉を封印し、ポジティブな考え方や行動を無理やりにでも心身に叩き込むことで、ネガティブへ引っ張られる謎の力に対抗してきました。
最近はようやくネガティブでもポジティブでもないニュートラルなプラスマイナスゼロの心持ちというものを軸に置けるようになってきました。これも休まず手を動かしてきた結果です。
 
 
引き寄せの法則を学習する中で、次のようなことを常に自問自答してきました。
 
「親ガチャ」や「時代ガチャ」に外れた。こう言っておけば「自分のせいじゃない。だから仕方ないじゃないか」と自己否定する自分を一時的には納得させることはできる。しかし、自分の本当の願いが叶うことは絶対にあり得ない。
たとえ、今日すぐに10億円の宝くじが当たったとしても幸せにはなれない。
 
「親ガチャに外れた」という言葉の裏には「何でこんな人生なんだ。不公平じゃないないか。自分だって幸せになりたいよ!」という悲痛な願いがあるからである。自分の人生を諦めたくないからこそこんなことを言うのだ。
 
そもそも自分が産まれてくるときに、この世で果たさなければならないことを実現させるために、自分で最適な器を選んできたという。だとすれば、他人や親のせいでもなく、全て自分のせいということだ。
 
百歩譲って「そんな胡散臭い話信じるか」と言ったとして、それで何か変わるのか。
「親ガチャ」、「時代ガチャ」に外れたかもしれない。しかし、このまま他人のせいにして「自分は不幸だ不幸だ」と幸せそうな人を妬んで、引きずり下ろすことに人生を捧げるのか。それが嫌なら、胡散臭かろうが何だろうができることをやるしかないだろう。
 
 
大石洋子先生のワークを通して、ついにこの世で一番嫌いであろう父親について向き合った時、それがどんなに間違いであったかと思い知らされたわけです。
 
「あの父親は高度経済成長期、バブル期でいい思いをしてきたじゃないか」
→ この時代は確かに高い給料をもらえて、ウハウハだったように見えます。しかし、その一方で会社のモラルが低く、がむしゃらにやるしかなく、今のように従業員は守られていなかったと聞きます。
 現代で言うところのあらゆる「ハラスメント」が横行し、就業時間もあってないようなもの。文字通り会社の歯車として「24時間働けますか」を地で行く状態。父は常々「こんな仕事やりたくなかった」と言っていましたので、それは今の私と変わらなかったでしょう。実際に父の同僚や知人には自ら命を断ったり過労死する方も多かったようです。そんな無法地帯とも呼べる社会でドロップアウトせず、必死の思いでやってきたのは、「家庭を守らなければならない」という気持ちに他ならなかったでしょう。
 

「あの父親は何でもかんでも祖母優先。母も私達子供は後回しだ。私達はそれに巻き込まれている」
→ 祖父が酒で暴れてDVもひどかったと聞きます。祖母は父を連れて何度も外へ逃げたそうです。そんな機能不全の家庭で育ちながらも、子供の私や弟に暴力を振るったことはありませんでした。通常親にやられたことは子供にもやってしまうところを、父はぐっと抑えていたということになります。また、「子供は母親を助けるために産まれてくる」とも言いますので、子供として母親を守ろうとするのは至極当然のことです。
 
 
このように深掘りをしていった結果、私の父に対する感情はかなり軟化されてきていると言えます。
何でもかんでも「父のせい」「時代のせい」と思うこともやがて消えていくことでしょう。
自分の人生は自分で創っている、全て引き寄せているのだと納得できました。
 
 
ネガティブがニュートラルな状態の初期段階では、アファメーションなどでニュートラルの正しい位置を再確認することがまず必要だと感じます。とにかくネガティブな言葉を封印し、無心でもいいから波動の高い言葉を口に出すこと。挨拶をする、感謝をするなど目に見えるものから変えていかなければまず思考が変わらない。
 そのままにしておけば、自己嫌悪や自己否定の「いつもの」日常に戻っていきます。世界を拒否してネガティブな感情しか生まれないような危機的な状況に陥った場合、立ち返るべきはまずこの段階でしょう。
 
 
以上、万が一にも揺り戻しが起こり、再びネガティブな闇に囚われた時に、自分が戻ってこれるように強めに書いてきました。
それほどに私の心はすぐに元に戻ろうとするからです。従ってこれは「自戒」です。
 
 
皆様におかれましては、こんなやつもいるのだと生暖かい目で見て頂ければ幸いです。
また、同じように苦しんでいる方がいらっしゃれば、何かのヒントとしてもらえれば、これほど嬉しいことはありません。
 
 
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
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【75】神様に好かれて、応援される人になるためには?

2023-06-12 07:52:00 | 引き寄せ
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今日は、こういう方は「神様に好かれる」というお話です。それはどういった人か。


神様に好かれる人とは?





「これをやると」宣言し、その通りやりきる「有言実行」する人です。



神様(内なる自分かもしれませんが)は、それをよく聞かれていて、その通りに実行した人を応援してくれるそうです。


逆に、「〜しなきゃな」とか「〜するつもり」などと言っておきながら、後回しにしていつまでも経っても実行しないと神様に嫌われるそうです。


私は、自身の手帳に「今月の目標」と称して課題をいくつか月初に書き、その通り実行するようにしています。

実行できたらチェックマークをつけていくのですが、今月終わってないことで大きいことがありました!


新作の小説に着手する!


先日小説と昔書いた戯曲をコンテストに応募して一息ついておりました。
※よろしければご覧くださいませ


向日葵畑の向こう側


「創作大賞2023」ファンタジー小説部門応募作品です。全編約50000字程度の短編小説となっております。何卒応援よろしくお願い致します。



【創作大賞2023】 向日葵畑の向こう側 全⑥巻|kisousai|note

【創作大賞2023】 向日葵畑の向こう側 全⑥巻|kisousai|note

創作大賞2023 応募作品です。完成致しました。全⑥巻 全10場(プロローグ、エピローグ含む)構成です。総文字数:約50000字純粋で綺麗な世界が描けたと思っております。...

note(ノート)

 


劇作一覧(マガジン)


過去に私が書いて、実際に上演された演劇の台本集です。実際に涙して帰られたお客様多数いらっしゃった作品たちです。

一部有料設定になっておりますが、全て無料で読めます。



劇作一覧|kisousai|note

劇作一覧|kisousai|note

私が脚本と演出、舞台監督を手掛け、実際に舞台で公演したことのある戯曲の一覧です。ほとんど当て書きしたり、舞台環境を考慮して制限された中で書いています。ある程...

note(ノート)

 



ところがこの「一仕事終えたタイミング」こそ危ないのです。すぐに次に着手しないと、腰を下ろしてしまうクセが昔からあります。
腰を下ろして根が生えたら最後、次のインスピレーションが浮かぶまで全く動けなくなります。


こうなっては今までと変わらない!とばかりに目標を立てているわけですが、5月頭から「副業の」ITエンジニアの仕事が忙しく、全く手がつけられていない、という危機的状況。


既に頭には構想はあるので、まずはプロットだけでも!手を動かさないと有言実行にならない!神様に嫌われる😭とばかりに気だけが焦っているのです。

もっとも、こういう状況も折り込み済みで目標を立てているのです。生来怠け者なので、こうして自身のお尻に火をつけています。


​有言実行は簡単にできます!





ストイックにやる必要は全くありません。
Youtuberの櫻庭露木さんもおっしゃっておりましたが、有言実行は何も大きなことをやらなきゃいけないということではありません。例えば、こういったものも立派な有言実行です。


これから食器を洗うという時に
「これから食器を洗って片付けます」
と言ってから、食器洗いを始める。


これから学校や職場に行く時に
「これから学校/会社に行ってきます」
と言って、その通り学校や職場に行く


これから本を読もうとする時に
「これから本を読んで学びます」
と言って、その通り本を開く


これから記事を書こうとする時に
「これから記事を書かせて頂きます」
と言って書き出す。


つまり、何か事を起こす直前に、これからやろうとしていることを宣言してからそのまま実行するだけで立派な有言実行となります。


これを続けると宇宙から見て光り輝いて見えるようになるそうです。そうすると神様から見つけてもらえやすくなり、「自分で決めた事をきちんとやる人」という高評価を頂けるというのです。


信じる信じないはその方にお任せ致しますが、別にこれは神様に限ったことではないでしょう。


私たち人間同志でも、自分で言った事をちゃんとやる人とやらない人、どちらが信用できるか。

そう考えると有言実行のクセをつけることは決して損はないはずですね。


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【74】潜在意識を書き換える ー 自分で自分の人生の主導権を握る!

2023-06-11 07:31:00 | 引き寄せ
ご訪問頂き誠にありがとうございます😊
 
本日は、大石洋子先生のテキストの最終7日目のワークとなります。
7日間のワークとなっておりますが、途中戻ったりもしたので、意外に時間がかかりましたが、最終日のワークは本当にワクワクするものとなっております。
 
  



被害者意識をなくす

  
 
うまくいかない時には、自分の中に「被害者意識」が隠されているといいます。
誰かに自分の主導権を握られているという感覚を生み出す被害者意識とは何か
 
 
~のせいで、嫌な気分にさせられている
 
~のせいで、お金がない
 
~のせいで、毎日が苦しい
 
 
といった考えのことです。これらの裏には「私には変えられない」という思考がつきまとっており、これをこじらせるとその恨みは親へと向けられていくそうです。
 
これまでのワークでは再三に亘り「親の愛を思い出すことがいかに大切か」が書かれております。

自分の思い通りに動いてくれなかったということが、「親は自分を愛してくれなかった」という勘違いになっているというのです。
 

この思考が自分の目の前に、嫌な人やもの、理不尽な現象を顕在化させてくるということです。
その結果、世間はひどいものだと思ったり、人間不信になったりしてしまうのです。
 
これらは自身の成長のために何度も何度も現れては、その痛みを知ることで例えば心が強くなったり、他人に優しくなれるという魂の成長も含んでいます。
 
私自身も、歩けなくって入院したからこそ、己の心の有り様というものを見直すことになりました。

現在も痛み止めを飲まなければ痛みで一睡もできません。痛みが軽くてももともと常に眠りは浅く、何年間もぐっすり眠れた記憶がありません。


それでもこう思っています。


入院して高齢者用の杖をつきながら家中を這って歩くような惨めで辛い経験がなかったとしたら、去年と同じく、自堕落で不平不満を言いまくり、何も行動せず、ストレスを周りに撒き散らす「いつもの生活」をしていたでしょう。


 
「自分がこんなに不幸なのはどうしてだ?あ、そうか。あいつが自分にこういうことをしてきたからだ。学校が、社会が、会社が、時代が悪かったんだ。あの時自分がこの道を選んだからだ」

 
荒んだ掲示板に入り浸ったり、飲み会で愚痴大会を開いて、納得の行く犯人探しを続けていたことでしょう。
その先に待っていたのはおそらく歩けない今よりも酷い地獄だったに違いありません。


「自分がこんなに不幸なのはどうしてだ?」

 

 

この答えは「完全に自分である」と認めた時、ようやくネガティブな思考や現実を受け入れ、「これは自分のこれまでの思考が生み出しているから仕方のないことだ。じゃあこれから考え方や見方を変えるしかない!」と決心することができました。

ここから始まりました。
 
心について勉強し、ネガティブと向き合い、これまで無意識でやってきた行動を一つ一つ見直すうち、私の中でくすぶっていた父親への「憎悪」とも言うべき感情と向き合うことができました。
 

「親から愛してもらっていない」という勘違いが引き金になっているとすると、これを何とかせねばなりません。
 

思い起こせば、全ての不足感やコンプレックスもここから来ていました。


「どうやったらあの父親が自分を認めるか。自分に足りないものは何か。あの父親ができなかったことをやってやる」


そんなことを考え、自分を厳しく断罪し、足りないものに意識を集中してきました。

結果、この完璧主義者には為すすべもなく惨敗しました。やがて、戦うことを諦め、自分で思考することもなく、人生はもはや敗戦処理し続けて生きていくしかないと勝手に思い込んできました。
 

大石先生によると、親に愛されていたことを確信することで、「自分が自分の人生の創造主であることに気づく」そうです。
そして、「理不尽なことを引き起こすような自身の思考を変える選択をする」という決意につながるのです。
 
ネガティブな思考を受け入れ、優しく自分へ声掛けしていくと、周囲が変わってきます。この点は引き寄せの法則が同じ波動のものを引き寄せるという原理に基づきます。


次の最後のワークは、この波動の良い状態、「心地良い毎日が当たり前」と思えるようにするためのものとのことです。しっかり噛み締めてやっていきます。
 
 
 
 大好きワーク

 

1. 自分が大好きなこと、ものなどあらゆる大好きを全て書き出す
 

2. 書き出したときの大好きという感情(ワクワク感、楽しさ、嬉しさ、元気、優しさなど)をしっかり意識する。
 この時、書き出したものを声に出して読むというのも良いとのこと
 
このワークは寝る前が効果が高いそうですので、毎日の習慣にしたいですね。
いつでも大好きなものを思い浮かべては気分を上げられるようになるそうですので、ルーティンのひとつに加えることにします。


実際に試したところ、自分の手元にあるものや実現可能なものの中から、「大好き」なものを探していく方が感情のイメージもしやすく、またそれを体験したことがあるので簡単でした。
 
 
最終的に、「両親を愛している」という感情が葛藤なく湧き上がればこのワークは完成のようです。
「葛藤なく」というところがポイントですが、まだ引っかかるところがあるので、今一度ワークを続けることにします。
 
 
さて、「7日間で」というタイトルがついておりますが、「潜在意識を書き換えるにはもっとかかりそう」です。

ただ、ネガティブな思考のクセが「親からの愛情の勘違い」からくると分かったことが大きな収穫でした。
このワークをうまく習慣化できれば、それが思考のクセの是正となり、常に「気分良く」いられることができそうです。
そしてこの気分の良い状態が気分の良い未来を引っ張ってくるはずですね。
 
 
 
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました😊
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