精たんのブログ

思ったことを文字に上げるって難しいよね。
飾らず、前向きに。

アメリカ大陸冒険記4

2007-05-25 10:36:00 | 日記
5月5日。 日本ではこどもの日にあたる。
この日に、厳かに、いやど派手に卒業式が催された。 息子の卒業式に合わせ友達のデビット君が駆けつけてくれた。彼はかつてのルームメイトで彼に日本語を教える代わりに彼から英語を教わっていた、という間柄。それで自分たちはそのおぼつかない日本語の案内で卒業式に出席、大勢のファミリーの中で席も確保できたし、会場にも迷わずに行けたって訳。とてつもなく大きなアリーナが超満員。
卒業生1人1人が名前を読み上げられステージで卒業証書を受け取る、そのたびに歓声、ラッパ、拍手が湧き起こり、まるでバスケットボールの試合のようだった。
最上階の自分たちの席からは、もちろん息子の場所や顔などは全く確認できない。後からの話だが息子も我々が何処に居るのか見当すら付かなかったようだ。携帯、もちろん用意してたが周りの雑音に着信音がかき消され使い物にならなかったのは言うまでもない・・・。
この卒業式、前の日に午前。午後の二回。本日、午前、午後の二回。まぁたくさんの人が巣立っていったようだ。その中にあって日本人が25名ほど卒業した。息子は午後の部、終わってからはあちこちで記念撮影、思い出をいっぱい写真に収めるべく、あちこちで卒業式の衣装を身にまとい撮りまくった。後で思えば重複した写真が多く現像代が跳ね上がったのもこの写真のおかげだ・・・(^-^;A
そのノリで息子は、「卒業式で割引してくれるお店があるかもしれない、この格好で行こう」我々もギャラリーとして食事に付き合った。「今日は食べるぞ」でバイキング形式のお店へ・・・安い・・・取り放題、食べ放題、アルコール以外飲み放題。アルコールは無かったけどね。それで1人7ドル。さすがアメリカ・・・・?
この日は疲れた、けど息子はテンションが高かった。その帰り大型スーパーで買出し、朝食にトースト、刻み野菜、生ハム、タマゴ、ドレッシング、ノンカフェインのインスタントコーヒー、果物。アイスクリーム、ジュース、ミルク、ビール、これだけあれば後3日は大丈夫。  
店内をぐるっと1周、平然と置かれているしかも実弾と一緒にライフルが。。あとどれもビッグサイズの衣装類、食品類。レジでビックリ!アメリカは京都議定書にサインしなかった訳がわかった。一つ一つにビニール袋が、ビニールがゴミの山になる。今や日本ではそのようなことが考えられない。マイバッグまで作ってゴミ減らしに悪戦苦闘なのに・・。ナイスミィーチュユー、気軽に声をかけてくる。笑顔で返す、とっさには声が出にくいものだ。
ようやく帰宅 シャワーを浴びて、買ってきたビールを飲んで(思へば日本をたってからはじめてのアルコール)天気予報をチェック「凄まじいトルネードが近づいています」トルネードで壊滅した町が映し出され 不安が一気に込み上げてきた。(無事でありますように)そう思いつつ眠りに落ちた。。。。。・・・・・つづく

アメリカ大陸冒険記3

2007-05-21 22:16:00 | 日記
やっとのことで息子のアパートへ
胃が重たい 機内で3食 付いてから油もの シャワーなど浴びて 寝るとしよう・・・  「湯が限られてるから 最後は水かも」 「ひえぇ~~~~」シャワーもゆっくり浴びれない  仕方が無い
そこへもってエアーベッドがテープで補修してある「皆が来るから急遽穴ふさいだ」
朝になったらぺっしゃんこ・・・・?
寝るのもままならないのか!まぁそれでも横になれるところがあるだけでもありがたい・・・現地時間4日0時  さすがに疲れた・・。
そう眠れるはずも無く4日7時半起床  それには訳がある  実は今回の旅行(冒険)に次男は不参加 日本でお留守番  それが気にかかって 日本時間4日21時30分 メッセンジャーで次男の様子をチェック (大丈夫 )の文字に胸をなでおろす。 2日目 お世話になった大学を見学 綺麗 広い 感 こういう環境だと自然に学問に没頭できるよ・・。全くゴチャゴチャしてないし全てが一流ホテルのようだ。この日は天気がよく あちこちで卒業の衣装で記念写真を写しているのを目にし
我々も負けじと記念撮影をやった。実質1日早い卒業衣装だ。長男の頭の中では我々のスケジュールが完璧に帰るまでインプットされているようだ。 夕方 卒業生を送るセレモニーが学生会館のような所で開かれた。もちろん日本からの留学生の後輩が催しを主催  のこのこそんな場に息子の付いて出席。  この大学わりと日本からの留学生の数が少ない州だ。親はもう一軒北海道からいらっしゃった父兄だけだった。  親御さんから一言・・・スピーチを頼まれ、それでも日本の方が主なのでそこは母国語でスピーチ。 和やかにパーテェーはお開き。食事も回りしてくれてあったがほとんど冷めていたし 日本の親が珍しいのか とっかけ引っ掛け 大学側の偉いサンたちが挨拶、おしゃべりにみえて息子も同時通訳 わがファミリーは食事もままならなかった。この日は息子が4年間お世話になった大学構内を探索 冒険した。
リスが普通にあちこちで見かけ緑豊かな壮大な大学を堪能した。 気象専門チャンネルで大学周辺のお天気をテレビでチェック。 ところがトルネードで壊滅した町のレポートや、今後のこの周辺の気象に関してトルネード注意報が出っぱなし  すこし不安がよぎる。
5月5日息子の卒業式
このセレモニーに出席する為に遠路はるばるやってきたのだから、心が騒いだ。 式場は当大学のアリーナ めっちゃ広いドーム  それでも自分たちの席は 最上階 息子の顔さえ把握困難な場所 携帯でどの辺りかチェックするのだが、息子も自分に似てこういう時でも形態OFF・・全くどこにいるか把握できなかった。 一人ひとり賞状が渡そのたびに大きな歓声  息子の名前が告げられた 拍手と歓声でもそれは息子に届くはずも無かった。 で、どうして自分たちは、アリーナに行けたのか、満員のアリーナで最上階とはいえ席を確保できたのか? そこには息子の驚くべき繋がりがモノをいった  ・・・・・・つづく

アメリカ大陸冒険記2

2007-05-20 22:33:00 | 日記
5月3日 朝5時起床
関空から羽田を乗り継いで 成田に
16時一路ヒューストンへ
泊まる所は息子のアパート 最終空港までの出迎え 携帯も現地で使えるものにスイッチ これで息子に頼る事完璧
その前に 入国審査 1人ずつだと どうしても言葉の壁が・・飛行時間を利用して英会話レッスン・・・もうドキドキ
12時間 飛行を終えて ヒューストンへ でかい 異国の一歩をかみ締めるまもなく 審査へ 予習がモノをいった。家族三人で審査してもらえる事が、前列の何人かを見てそう確信した。  審査を出ればもうそこはアメリカやっと来たんだという実感がわいてきた。早速息子に連絡を取る。
「審査 早かったやん。何も問題なく通過できたなぁ。よかったよかった。」彼も心配してたようだ・・。国内線搭乗ロビーは、航空チケットを出して乗り継ぎの場所を聞いたら 親切に教えてくれた。
ところが サンダーストームで出発が4時間近く遅れた。 息子に「すこし遅れるようだ」と連絡をいれると「多分2時間以上は覚悟しといた方がいいよ」とあっさり言われた。実際その倍遅れた。
雨の中小さい国内線飛行機離陸した あたりはもう夜の泊りがおりて淋しげだった2時間近いフライト でもその飛行機でもハプニング。アメリカは何でもでかいビッグだ。1人の客がトイレへ中折れ式の扉。自分たちの席は一番後ろ。トイレも一番後ろ で なにやらトイレの中からざわざわ、近くにいた客がいきなり立ち上がるや否やトイレの扉をたたき始めた。その光景に何が起こったのか・・青ざめる自分たち・・
でもその出来事が危険な行為でない事が徐々に把握できた。トイレの中と外の会話に他の乗客から笑が・・・ ・・そうあの大男が事もあろうにトイレに閉じ込められてしまったのだ。どうしても扉が開かず外のお客に助けを求め それで扉をたたいてたと言うわけ。わかってしまえば中の大男が気の毒に思えた。空港に着くまで扉は開かず客がめいめいにジョークを飛ばし降りていった。すこし前まで青ざめていた自分たちも笑い飛ばせるほどこっけいな光景を目撃したのだ。最初からコンなんだから1週間何が起こることやら。我が家を出てから26時間、空港へ迎えに来てくれていた息子にご対面(ホォ!) ココからは言葉の壁がなくなると思へばなにやらいっぺんに疲れが・・・そしてその足でアメリカンカントリーなお店へ。雰囲気はまさに映画で見る西部カントリー。心が弾むが体が付いてこん。 食べ物が口に合わない チーズのベースで辛い揚げ物 それにコーラ ワニにナマズ これは痩せるぞ・・・第一印象はそう感じた・・ 現地時間3日の22時       つづく

アメリカ大陸冒険記

2007-05-16 19:08:00 | 日記
思い起こせば 息子からの一本の電話から
それは始まった。
以前は 「オクラホマに行こか?」の問いに 「来たかって 何もないから」の切ない答え  いや別にそんな所にわざわざ行く事もないし それだったら 日本のどこかの温泉地でゆっくりした方がよっぽどマシ 電話がかかってくるまではそう思っていた
3月の末 「卒業式に来る?そっちから友達が来るから 一緒に来たらええやん」
まぁ 息子が来て欲しいと言うなら 行かんでもないが・・・・
それが 冒険の始まりだった

その電話で 早速日取りも決め 友達のアドレスも聞き もう気分はアメリカだった

 航空券や宿泊日程は全て友達と息子に任
せて 便りの来るのを待った。
引率者がいるというのは 自分たちにとってこの上なくありがたいことだ。英語なんて喋る必要もない。 パスポートを取り、スーツケースを買い、どんな服装にするか悩み、準備万全。
4月中旬、待ちに待った便りが 息子からあった。
「実は、一緒に来るはずだった友達が 一身上の都合により だめになった・・・」「・・・・・・・・」言葉も出ない
「それって自力でオクラホマまで来いってこと?」息子を攻める気もないが口をついて出た言葉はあまりにも不可能に近かった。「仮に航空券は押さえて有るけど明日がタイムリミット イエスかノーしかないどうする??」 またまた唐突 友達が行けないだけでもショックなのに 考える時間も無い そして自分たちが出した答えはイエス。
冒険1週間前 航空券が届いた。
自分、妻、娘の三人分
5月3日が出発日 自分はその1週間興奮と心配で眠れない日が続いた。
こうして冒険が現実のものとなった。  ・・つづく・・・
 
 

人生最大のイベント

2007-05-02 09:22:00 | 日記
とんだ冒険をするはめになった。
経過を話せば長くなるが
息子の卒業式に出ることになった。
場所はオクラホマ
明日3日出発・・・・(^-^;A
3月初め頃から話は持ち上がった
息子が卒業式に来ないかとのお誘い
でもそう英語も話せないし 自力で行くのは困難 オクラホマのツアーなんてあるわけないし・・・どう考えても無理  無理
ところが 息子の友達が一緒に卒業式に出る為日本から駆けつけるとの情報。。。
それに乗るしかない・・・他力本願

で その友達にスケジュールを合わし 全てのものを用意して 後は航空チケットだけとなった  ・・・いっこうに送ってこない4月中旬 友達のアドレスにメール
今安いチケットを検索中とのこと  OK
で 出発10日前 今度はオクラホマの息子から電話・・・・「友達が来れんようになった お父さんどうする??」即断できない 頭が真っ白 でもチケット本日最終振込み 間に合わない 考えてもしょうがない 「よし!行く!」 その日のうちに航空チケットゲット
で 個人でいく羽目になった と言っても妻・娘が同伴 すこしは気が楽  でもお互いがお互いに任せたから頼んだ  と この期に及んでも 他力本願
明日から1週間どうなる事やら・・・・
頼みの綱は 現地で使える携帯電話だけかも・・・・・トホホ