<前回から続く>
水産科学館を40分ほどの駆け足で見学して次のバスで宮古駅に戻ります。
徒歩数分の最寄りバス停、「浄土ヶ浜パークホテル入口」で16時12分発のバスを待ちます。10分強前に科学館を出たら思ったよりもバス停が近くてこれならあと5分ぐらい科学館に入れたのに(๑´ㅂ`๑)
この宮古駅~浄土ヶ浜のバスは行きと帰りで結構経路が違うようで、行きはパークホテルの辺りは経由していないし、鍬ケ崎の街中のロータリーの辺りは帰りは通らなかったです。
バスは電気バスでした。車内に蓄電や発電状況を表示するモニターがついていて音も静かなような・・写真を見返したら行きは気づかなかったものの、行きに乗ったのも電気バスでしたね。
バスは一度パークホテルの前まで入ります。地形の関係かホテルの建物がよく見えないですね。
小学生ぐらいの頃、高速バス創世期に京急が夜行高速バスを次々に開通させていた時に品川~宮古の路線が出来て終点が浄土ヶ浜パークホテルだった覚えが。当時チラシで見ただけですが、県庁所在地のような街でもないのに夜行高速バスが出来て終点が駅でないのに驚いたような。
夜行バスで来てその足で浄土ヶ浜巡りをする人が結構いたのでしょうか??
道の駅があるふ頭地区の入口で巨大な防潮堤の門をくぐります。三国志のゲームに出てくる城郭の門みたいな。綺麗なので東北震災後に作り直しているんでしょうね。
立派な防潮堤があるから津波の際も安心・・ではなく、東北震災の際も「防潮堤があるから大丈夫」と油断して避難せずに津波に呑まれて亡くなった人も多いと聞きます。といっても宮古市のWebサイトによれば防潮堤が無駄だったわけではなく、津波の到達を遅らせ避難のための時間を稼いだり防潮堤の内側がプールのようなったことで建物の2階に避難した人が助かった効果などもあるようです。
さて16時35分頃に宮古駅に到着。まずは宮古駅の窓口に行き「電話した者ですが・・」と伝えて山田線に忘れたスマートフォンを受け取ります。
電話で「診察券とか名前を確認できるものを持参して欲しい」と言われていたので免許証を提示します。電話で「免許証がある」と伝えたら「免許証なら一番ありがたい」とのことで。
しかし、この辺りでは運転免許を持っている人は列車には乗らない(乗っても忘れ物をしない)のかと・・考えてしまいます。私は免許持ってても運転好きじゃないですが。
駅員さんに「バスに乗る時に放送に気がついた」と話したら「もう少し早く放送を入れればよかったですね」と。なんとも親切に対応していただいて無事にスマートフォンも受け取れて一安心です。
折角なので駅に併設されている「さんてつや」という三陸鉄道の土産物ショップでお土産を少々買います。普通のお土産の他に三陸鉄道グッズが色々と展開されていました。
さて盛岡に戻る山田線は18時7分発。まだ1時間以上あるので、宮古でもう一か所訪問。一応家で調べておいたものの、念のために観光案内所で確認して17時ちょうど発の八木沢循環というバスに乗ります。
宮古駅付近の繁華街は道が狭いようで上下で別の経路を通るよう。
色々バスの時刻を調べていたら、宮古市街は地方の小都市としては結構バスが元気な街のようで意外に本数、路線が多いように感じます。
閉伊川の橋を渡ります。この写真は進行左側の河口側。右側には震災で流された姿がテレビ等でも映された旧山田線の鉄橋が見えました。
宮古駅から10分ほど乗って市民会館前バス停で下車。
ここから三陸鉄道(旧山田線)の磯鶏駅まで徒歩5分弱ほど。磯鶏駅の裏側に保存されているSLを見てから磯鶏駅から列車に乗って山田線に乗る作戦です。
市民会館前から磯鶏駅まで歩く途中の夕暮れ時に遠くに山田線からも見えたラサ工業の高い煙突が見えてなかなか風情がある光景です。
お父さんが夕食になるものを買っておきたいというので磯鶏駅前のストアーヨコタという小さいスーパーに入ります。お弁当は売ってなかったものの、帰りの山田線で食べるように総菜とのり巻きやおにぎりなどを買います。お父さんは山田線の車内で飲む用の酒も買ってましたね。
市民会館前のバス停から徒歩10分弱ほど。踏切を渡って駅の反対側にあるSL公園に到着。大きくて立派な屋根の下にSL9625が保存されています。
屋根があるのが強いのか整備が行き届いているのか状態もよさそうです。津波に耐えてよく残ったものです。
ただ高い金網があるので見ずらいです。この写真は金網の間にカメラを入れて撮りました。
お父さんは三陸の辺り(山田線や釜石線など)には9600はいなかったはずだけど・・??と首をかしげていましたが、この機関車は青森から来たみたいですね。
SL公園にはSLをイメージしたような新しい公衆トイレも建っています。SLというよりも蒸気動車風かな??
旅行前に折角だから短区間でも三陸鉄道に乗れないかな?と調べていて、三陸鉄道は本数が少ないので列車で行って戻ってくるのは難しいものの、バスで駅の近くまで行き列車で戻るのは可能そう・・地図を見ているときに磯鶏駅の横にS公園があることを発見しました。
さて磯鶏駅17時44分の宮古行に乗るために10分前ぐらいに駅に戻ります。このSL公園は磯鶏駅の真横ですが駅の入口は反対側なので、300mほどぐるっと回ることになります。
磯鶏駅の駅舎(右)の建物に較べて随分立派なトイレが目立ってます。
先ほどのSL公園といいこの辺りはトイレが整備されているので、急に行きたくなっても安心??
ここに限らずですが改札が不要な無人駅なのに駅の出入口が1か所しかなくて遠回りして回り込まなければいけない駅はあるあるです。踏切を新設出来ないなど色々事情があるにしても、駅へのアクセスが楽になればそれだけで利用促進につながるだろうに勿体ないものです。
時間通りに宮古行が来ました。ここからの乗車は私たちも含めて5人ほど。
ある程度の遅れなら山田線が接続待ちをすると思いますが、山田線に乗換えが出来ないと盛岡に帰れなくなるので少々心配。一応宮古駅を出る前にスマートフォンで運行状況は確認しておきました。
車両は36-716号車、イベント対応車なのかボックスシートにテーブルがあって、山田線のキハ110よりも快適ですね。(この写真は宮古駅に到着後に撮影)
宮古駅までは3~4分。すっかり暗くなって景色は見えず閉伊川の橋を渡ったのが分かった程度。
宮古駅に到着して見ていると、有人駅ながら車内で運賃を支払うシステムのようで200円を支払い。バスは160円だったので列車の方が高いですね。
2番線に到着して隣の3番線にはポケモンデザインの列車がいます。
帰りの山田線は普通列車(各駅停車)
宮古駅の窓口で先ほど忘れたスマートフォンを受け取った駅員さんから盛岡までのきっぷを買います。1980円
宮古→盛岡の距離で100km超えて2日間有効になるので同じ値段で田沢湖線の新駅の前潟まで買ってみました。
それにしても行きはダイナミックレールパックで盛岡までと同じ値段で乗車券を宮古までに出来たのに・・(泊りが盛岡だからか帰りは上手く設定できなかったです)
盛岡~宮古間には山田線の他に106急行バスという高速バスのようなもの(一般道経由なので高速バスではなく)があって平日12往復、土休日10往復運転
バスは急行2000円・特急2100円で2回回数券などもあり値段は山田線と同じぐらい。106急行と山田線はライバルでバスの方が圧勝・・と言われますが、こちらも全盛期(wipikediaには20往復と)から本数を減らし、クロネコヤマトの宅急便を運ぶ貨客混載をおこなったり安泰とは言えない状況のようで地方輸送の厳しさを感じます。
ちなみに山田線はいわてホリデーパスを使えば、土休日は往復2500円と破格値に。今回は金曜日で山田線は行きも帰りも空いていましたが、ホリデーパスが使える土休日や青春18きっぷ期間はもっと乗客が増えるのか気になりますね・・。
さて余談が長くなりましたが帰りの18時7分発の山田線盛岡行。帰りも1両
宮古駅は3番線発。このホーム、さっきは三陸鉄道の列車がいたのに不思議な。宮古駅自体三陸鉄道で管理しているようだし三陸鉄道とJRでホームが決まっていなくて柔軟に使っているようですね。
この18時7分発が宮古から盛岡への最終。山田線としては19時28分の川内行が最終のよう。ちなみに106急行の宮古発盛岡行の最終は18時5分。
なんで列車とバスで盛岡行きの最終が同じような時間に出るのか。山田線は盛岡で東京行の最終新幹線の接続があるにしてもバスは19時台ぐらいに最終でもいいのに。宮古と盛岡で同じ県内とは思えないような・・
ともかく宮古から盛岡に戻る際は乗り遅れに要注意です。
宮古駅を十数人ぐらいで発車。行きの快速で通過した駅も含めて各駅で少しずつ降りていきます。茂市駅では駅前にマイクロバスの岩泉線代替バスが待っていたり、途中駅に迎えの車が来ていたり宮古から帰宅する住民の足になっているのを感じます。
それにしても高校生風の若者が駅に着く直前まで寝ていて起きて降りていくのは凄い。この本数、駅間距離で寝過ごしたら大変そうなのに。
宮古から1時間強で19時11分に川内駅に。ここで行き違い待ちで4分+1分遅れで約5分停車。
ホームに降りてみようと思うも乗り遅れるのが怖くて降りれない。信号が赤なので発車しないのは分かるんだけど・・車掌が来て降りた人が開けたドアを閉めていきました。
1分遅れで反対列車が来て信号が変わって発車します。信号システムの関係か御殿場線よりも信号が変わるのが遅いような気が・・。川内から先は乗客4人で盛岡まで。
途中で少し寝て区界を過ぎて目を覚ますと、トンネルの中で結構速度が出てる!後部の運転台に見に行くとトンネルの中では70㎞/h近く出ています。トンネルの中では鹿と衝突する心配がないから??
帰りも警笛を鳴らして停止や徐行が数回ありましたね。行きの車掌は後部の運転台にいたものの、帰りのこの列車は車掌はずっと最前部で運転士の隣にいます。夜間なので二人で動物や支障物を確認する意味合いがあるのか運転士と車掌の相性のようなものなのか・・。
夜汽車の旅のサメ
人家どころかまともな平行道路もない山の中を延々と走ります。宮沢賢治もこの夜の闇の中を走る夜汽車の旅から「銀河鉄道の夜」の着想を得たのかも。
上米内駅で隣のホームに上米内終着の車両の姿みえます。
上米内駅で一人乗車したと思ったら隣の山岸駅で下車してしまいます。こういう不思議な流動があるのもまた地域に密着している鉄道ゆえ、といっても今の山田線の特に盛岡口の状況は盛岡の都市圏という利を生かせてないようで残念さを感じますね。バスが元気といっても路線バスの運転士不足の問題もあります。
車窓を見ていると御殿場線のように赤道(歴史的経緯で黙認されているいわゆる勝手踏切)あるのがわかります。盛岡の中心部近くなのに赤道があるなんてビックり??山田線は本数が少ないので・・といっても油断は危険ですね。
そしていよいよ終着盛岡駅に到着。乗換案内の放送が入り、「新幹線上りはやぶさこまち50号東京行20時50分発」と・・この時間にまだ東京に帰れるのも凄いですが、新幹線連絡という山田線が生き残っている理由の一つを感じます。
地方の路線で大きな駅に着く時に長い乗換え案内放送は旅情を感じるものの一つ、待ち時間が結構長かったりで「乗換える人は大変そうだな」と思ったり・・。
20時40分に盛岡駅に到着。帰りは途中少し寝てたからか結構早かった。
お父さんは乗換え放送の「田沢湖線雫石行は21時8分発」というのを聞いて「橋場線雫石行きが21時まであるのが驚いた、以前は最終が19時30分頃だったのに」と・・
(橋場線は田沢湖線全通前の名前、お父さんは今でも橋場線と呼んでます)
「以前・・・」「以前っていつ頃??」と聞いたら「高校生の頃(昭和30年代後半頃)」と・・。
高齢者は時制が曖昧になるから要注意・・というのはともかく「最終が19時30分頃になった時は『便利になった』と驚いた」「それまでは17時30分頃が最終だった」と・・。
「17時30分じゃ学校終わってちょっと遊んでたらすぐ最終じゃん」と言ったら、学校帰りに盛岡で映画を見ていたら最終に乗れなくて小岩井の家に帰れなくなったこともあったとか・・。(当時は時計を持っていなくてよくわからなかったとか)
田沢湖線雫石までの今の最終は22時34分。「地方ローカル線は昭和30~40年代ぐらいの全盛期は今よりももっと便利だったはずだ」と思いがちですが、田沢湖線は全通→秋田連絡で電化→ミニ新幹線化と当時に較べて進化しているとはいえ、都市近郊輸送に活路を見出している今の方が案外便利だったりするのも鉄道を考えるうえで重要なポイントかも。
御殿場線も東海道線時代よりも今の方が旅客列車の本数は多いですから。といっても全国的に当時全盛だった貨物輸送がコンテナ列車への集約化の中で消えてしまったのも昭和末期時代以降のローカル線の苦境の一因になっているのも確かでしょう。
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<次回に続く>
2023/10> 21:51(JST)