時間は、ずばり「命」そのものだと思う。
自分の時間の使い方
=残りの命の使い方
なのだ。
だから、僕が誰かにできる最高の敬意とは、自分の命という大切な時間を割く事だと思う。
逆も当然しかりだ。
相手の命と自分の命の時間を共有させてもらっているのだ。
そう考えたら、全力で楽しい時間にしたいと思って当然だと思うのだ。
でも、一般的に20代から30代前半くらいの人間はまだその認識が薄い人がほとんどだ。
当然だが、こういう感覚というのは、身近にいる大切な人を失くして初めて気づかされるものだと思うのだ。
人に言われたからとて、そこに実感が伴わなければ、本当の意味で理解できないし、行動が変容する事もないだろう。
偉大な先人たちの死を意識した時、その上にのらりくらりとした毎日を過ごすのは罪悪感がすごくなるものだ。
この意味合いを実感しなくても、最低限、理解してもらえる人と一緒の時間を過ごしたいと僕は想う。
腹水は盆にかえらないのだけども。
時間は命で、無駄にはできないから。
その瞬間その瞬間に最高の輝きを放てる様に。
月から見守っていてもらいたいなぁ〜などと時々考えたりする。