⚫どうでもいい話(昨日〜今日)
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昨日〜今日にかけて、爺にはどうしても理解出来ないことが起こっています。
それは...
安倍元総理をココロから悼む人々の発言です。
テレビだけではなく、ブログでもたくさんの記事が書かれています。
皆さん、本当に安倍元総理を悼む気持ちでいっぱいなのでしょうか?
爺は正直...
悼んではいません。
ショックな出来事だったのは間違いないですし、あってはいけないことだとも感じていますが...
皆さんは、安倍元総理をココロから愛していたのでしょうか?
「死を嘆き悲しむ」というのが悼むの意味ですが...
本当に安倍元総理を悼む気持ちでいっぱいなのでしょうか?
爺にはそんな気持ちはありません。
最初に書いたとおり、あってはいけないショックなこととは感じていますが、安倍元総理の死を嘆き悲しんではいません。
これって、爺がおかしいのでしょうか?
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あんな形で生涯を終わらされた安倍さんがお気の毒に思います。個人的に、夫と同い年なので、少しは親近感があったことは否めませんが。
一報を聞いて奈良に向かう夫人の胸中を思うだけで、同じ女として妻として、胸が苦しくなります。
子どもの居ない奥さんが、ある場所に「子どもがいなくても夫婦仲が良さそうで微笑ましかった」と書き込んでおられました。
あと、奈良県警の無能さに腹は立ちます。市民を守る気持ちがあるのか。警察も信用出来なくなりました。
何が起こったかも分からず、冷たいコンクリートの上に倒れた安倍さんが、そして突然夫婦の仲を裂かれた夫人が、同世代として不憫に思います。
政治家としての安倍さんがどうだったかは関係なく。
貴重なご意見ありがとうございます。
奥様の気持ちやあのような形で亡くなられたことを、お気の毒だというご意見...
それは同情であって、嘆き悲しむという悼むとは、少し違うのではないでしょうか?
やっぱり爺がおかしいのかな...
私とおそらく同じなんですね。
こちらのコメントは認証制でしょうか。
そうであるなら詳しく書きたいですが。
あってはならないことが起きた。
コメントに既に記されている様に、「愛していたかとか好き嫌いの問題ではありません」
ある意味安倍氏は我が国を守る大きな壁に成って下さっていたことが、各国の動きで理解できます。
誰が何とお応えになってらっしゃるかなどどうでもいいではありませんか。
「今何が起き、このことによって我が国がどうなるか」のほうが心配ですよ。
安倍氏のニュース報道は当たり前のことだと私は想いますけどね。
こちらのコメントは認証性ではありません。
内緒話をしたい皆様には、過去記事にコメントを書いてもらい、ご希望に応じて削除もしています。
若干名、アクセスブロックをしている程度です。
結構、削除して下さいというお願い付きのコメントが入ります。
あってはならないことが起きた。
というのは、爺も良く分かります。
ioriさんも
愛していたとか、好き嫌いの問題ではありません。
と書かれていますが、正にそれが悼むという意味です。
そこを無しにしてしまうと、悼むという言葉自体が成立しないと思って、爺がおかしいのかな?という記事を書きました。
印象的だったのは、現総理が、安倍元総理の死についてコメントした際の言葉、
残念で悲しむべきことです。
という言葉でした。
政治家なら
遺憾に思います。
という言葉を使うのが普通ですが、あえてそれを使わなかったのは、安倍元総理への悼む想いの表れではないかなと思います。
himesijimiさんのおっしゃるとおり、安倍元総理は外交が強かったので、日本の行く末に影響が出るかもしれませんね。
ただ、総理が変わったにも関わらず、外交に今も暗躍していたことを考えると、現総理の対外的な存在感を示すというきっかけにもなるのかなと思う爺です。
もちろん、安倍元総理の死を悲しんでいますけど...
himesijimiさんへのコメントを書きながら...
引っかかった言葉がまとまったので、追記します。
奈良県警の無能さにご立腹されておられましたが...
奈良県警はベストとは言いませんが、できる限りのことをしていたと思う爺です。
選挙は、投票者一人一人にお願いをする場です。
今はコロナ禍なのでグータッチですが、一人一人と握手をして投票のお願いをする場で、警察やSPの存在が邪魔になるのです。
演説も、たくさんの人に顔を見てもらいたいので、周りを固めることは出来ません。
「安倍元総理が来ていますよ。」
「安倍元総理が応援していますよ。」
これを演説に集まった一人一人に知らせる場なのです。
過去に、安倍元総理の政権下で、デモ隊を警察が鎮圧して裁判になったことがあります。
結果は警察の敗北。
言論の自由が勝利しました。
これも、警察の守備体制を弱めざるを得なくなった理由のひとつになっています。
それらの理由が重なった結果であって、県警が無能だとは思えない爺です。
安倍元総理が地面に倒れた瞬間は、警察でも「???」だったと思います。
事件に遭遇した人のインタビューでも「花火みたいな音だった」とおっしゃる方が多かったことが、銃声を気付かなかったことの現れだと思います。
思い込みの怖さでもありますが...
その場で犯人を逃がすことなく逮捕をしましたし、担当していた警察や病院は、救えなかったことや守れなかったことを悔やむ意見が出るでしょうが、皆さん最善を尽くしていたと思います。
特に、今回の事件は、宗教や思想が理由の団体の犯行ではなく、個人の思い込みによる犯行だったようですから、事前予測も難しかったと思います。
一連のニュース報道は当たり前だと思います。
ただ、あまり関心の無い爺は、観たい番組が消えたことをショックに思う記事を書きましたが。
爺が不思議に思っているのは、報道は立場的にしょうがないと思いますが、悼んでいるブログがあまりにも多すぎることが疑問だということです。
「重箱の隅をつつかない!」
と叱られたらそれまでなのですが...
悼む...安倍元総理の死を嘆き悲しむ人が本当はどのくらいいるのだろう...
死を嘆き悲しむって、かなりの熱量の感情だと思うのですが...
という疑問なのです。
やっぱり
「重箱の隅をつつかない!」
と言われるような、無意識に使った言葉なのかな...
前日に、安倍さんの予定が急遽変更になって奈良入りが決定したため、警備計画を練る時間がなく、人員も揃わなかったと県警は会見しています。
それなら、何故素人でも危ないと分かる360度スカスカのあの場所での演説を許可したのでしょう。
「人が揃わなくて危険なので」と、せめて壁を背にするような、少人数でも警備出来る場所を提供するべきだったと思います。
犯人は、その前の岡山では、警備が厳重で近づけなかったと言っています。それは奇しくも、奈良だったから可能だったという結論にはなりませんか?
私がニュースで何度か聞いた爆音は、花火のようではなく、異様な爆発音に近いものでした。1発目の時、安倍さんを伏せさせるか台から引きずり下ろせば、最悪のことは避けられたと思うし、アメリカのSPの方も、レーガン大統領狙撃の件を例にあげ、警備のお粗末さを指摘しています。
夕方のニュースで、老若男女たくさんの方が現場に献花に訪れているところを見ました。
あれは間違いなく、市民の安倍さんに対する哀悼の意に他ならないと改めて感じました。
なるほど...とても勉強になるお話です。
ご絶命も分かりやすくて、とても嬉しく思っています。
で、奈良県警の落ち度のお話ですが...
いくつか思うことがあります。
もちろん、爺は警察が偉くて素晴らしくて、信用出来る組織であるとは思いません。
どちらかといえば...
交通違反の切符を何度か着られているので嫌いかもしれません。
爺が悪いのですが( ̄▽ ̄;)
その上での発言だと思って下さい。
今回の件、奈良で起こらなくても、どこで起きても、その都道府県警の記者会見では、都道府県警の落ち度ですと話しています。
これは何故か?
警備対象者が亡くなったからです。
どんな理由があれ、警察がミッションに失敗した場合は、警察の落ち度であると言わざるを得ないということを頭に置く必要があると思います。
次に、国会議員の選挙中のスケジュールはコロコロ変わるという事実です。
安倍元総理が前日に急遽奈良に来ることになり、警備が間に合わなかったということですが、こんなことは、選挙中は日常茶飯事の出来事です。
旗色の悪い選挙区に、急遽カリスマ議員と投入して、得票数アップを求める。
選挙の後半戦には普通にあることです。
安倍元総理や小泉氏などは、この時期、スケジュールに翻弄され、謀殺されるのです。
だから、前日の連絡は、今回の事件が起きたから理由として県警は発表しましたが、特別なことではありません。
そして、選挙陣営の気持ちも絡んできます。
1票1票を大切にする激戦の選挙区であるならば、片側を壁にするなんて票につながらないことはしません。
360度支援者に囲まれることが、票につながると考えます。
180度を票に結びつけるか?
360度を票に結びつけるか?
単純な話です。
これも、事件があったから、県警の落ち度として発表されたに過ぎません。
選挙人、応援者の立場なら、このシチュエーションを選びますし、それで日本は今まで大きな事件は起こらなかっただけだと思う爺です。
そして、犯人の視点という問題があります。
今回の犯人は、思想や宗教に染まった人間ではないということです。
思想や宗教に染まった人間なら、警察はある程度のブラックリストを頭に入れて警備をします。
しかし、今回の犯人は、思い込みから母親の染まった宗教に安倍元総理が絡んでいるという全くの思い違いをして犯行に及んでいます。
しかも、元自衛隊員で、訓練も受けていますし、ブラックリストには上がっていない人間です。
元自衛隊員だからこそ...
狙える場面、狙えない場面を冷静に判断できて、たまたま護衛が手薄になってしまったあの時に、試験が起きただけだと思います。
先にも述べましたが、選挙の応援のため、カリスマ性のある議員や人気の高い議員は、投票前日まで東奔西走します。
スケジュールは分刻みで、
1ヶ所でも...
1票でも...
と考えて、スケジュールをコロコロ変えながらギリギリの応援演説をして回ります。
それを、県警の責任として追求するのは、重箱の隅をつついてあらを探して報道合戦をするテレビの報道と同じ感覚に思えてなりません。
肝心なことがあまり論議されていないと思うのですが...
あの事件の環境が危険と判断されていたら、県警以前にSPが止めていました。
それもなかったのですから、選挙でよくある普通の光景なのです。
県警や警護体制を語る前に、選挙の真っ最中の当たり前の光景であることを考えるのが、大切なのではないでしょうか?
なんか、選挙を後回しにして、たまたまのあのシチュエーションと、たまたまの大物政治家である安倍元総理が事実と違う思い込みの理由で狙撃されたということで、詰将棋やチェスをテレビ番組が行っている感じが強いのです。
長くなりましたので、この話は簡潔に書きたいと思います。
国民の献花は、哀悼の意ではなく、追悼の意だと思う爺です。
最近は、哀悼と追悼の意味に違いがなくなってきたと言われますが、厳密に言えば少し違います。
報道で、献花をした方へのインタビューをしていましたが、親子連れの子供に話を聞いているインタビュアーもハカじゃないの?と思いましたし、可哀想だと思いますという言葉を放送したテレビ番組もバカじゃないの?と思いました。
子供が悪いわけではありません。
動物園のニュースなら子供の声は大切ですが、こんな凄惨な現場のインタビューで子供に声をかけて報道する姿勢を疑う爺です。