⚫ココロの風邪(過去)
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震災後…
爺は1年間就職活動を先送りしました。
震度7直撃の地域なのに…
自転車で15分走ると地上にSOSと書かれた隣町があるのに…
被災者地域はごく一部。
ボランティアの募集もしていないし、遠くから駆けつけたボランティアの方は、何も知らないから、ニュースで取り上げられている地域に向かいます。
家を片付けた後…
1年くらい地元の人達の手伝いをしようと決めました。
幸いなことに、仕事を休職し始めてから、世の中全てが怖くなってしまったので、少しずつ貯金が増えていました。
今の職場の給料より、昔の職場の収入が比較にならないほど高かったので、傷病手当金が大きかったのです。
それを使いながら、1年ボランティアをしていました。
ある日は…
困ったおじいさんが、車でウロウロしながら、あちこちの家に声をかけていました。
話を聞くと、
家の電気が来たけど、電話が使えなくてタバコの発注が出来ない…
と。
電気屋、大工、配管屋、建設会社等、家の修復に必要な職業の人は、皆さん手一杯で誰も助けてくれません。
我が家の完全復旧も、早い方でしたが1年弱かかりました。
早速おじいさんのお店に行き…
電気系の確認を家中しました。
不用意にブレーカーを上げると、断然等で火事になりかねません。
全てのコンセントを外してブレーカーを入れ、家の様子を見ましたが、問題ありません。
ひとつずつ、コンセントを刺しながら動作チェックをしました。
もちろん、電話機は最優先。
電話が生き返ったことで、おじいさんは喜んでいましたが、一日かけて丁寧に家電製品をチェックしました。
終わると…
笑顔のおじいさんが、ありがとうの言葉と共に、缶ビールを1ケース渡して来ました。
酒が飲めない体質だからと丁寧にお返しすると、タバコをワンカートン下さいました。
また、ある日のこと…
一人暮らしのおばあさん。
病院へ行きたいけど足がないという話を聞いて、お宅に伺いました。
おばあさんを病院まで送って待機…
病院が終わったおばあさんを車に乗せ、買い物や銀行は大丈夫?
と聞くと、銀行も行きたいけど、家に通帳があると…
一度家に戻り、通帳を持ってきてもらい、銀行へ。
その後、スーパーに寄り、爺が重いものを持てるから、何でも買い物をして下さい。
そしてご自宅へ。
そんな日々を過ごしていました。
一部悲しかった手伝いは、同級生の全壊判定の家の取り壊しの手伝いでした。
火災でも、水害でもないので、瓦礫の中に全てがあります。
それを確認しながらの解体…
当たり前なのですが…
同級生、泣くのです。
半壊でも…家が北と南に1センチ程度傾いても…
言えが残った喜びをかみしめ…
子供の頃に遊びに来た友達の家の最後のお別れを、悲しみながら手伝いました。
震災後からひと月ちょっと…
崩落して通れなかったトンネルが復旧しました。
爺の生活圏はそちらの方角でした。
嬉しくなって、ドライブに向かうと…
トンネルの先にある駅周辺の地域には、道という道の全て…
どんなに細い道にも警察官が立っていました。
そして…
全国の県の名前が入ったパトカーが…
地域全体が避難をしていたのです。
警察官は24時間見張りで立ち、入ろうとする車の確認をしていました。
我が家周辺もお願いしたいのに…
という気持ちでいっぱいになりました。
いつも通っていたスーパーはぐちゃぐちゃでした。
いつも通っていた美容室もぐちゃぐちゃで営業していません。
全てがぐちゃぐちゃ…
ふさぎ込んで帰宅しました。
そうそう、我が家の動かなくなった玄関の扉…
父の同級生が街の電気屋で、電線がつながった時に我が家を心配して来てくれました。
電気屋給湯器(水だけで60リットル入っている鉄製)を爺と二人で起こし…
これはダメだな…
家の家電製品を爺と手分けしてチェックし…
ブレーカーON。
ついでに玄関を見て…
応急処置をしてくれました。
水道とガスはまだでしたが、我が家に電気という文明が復活した日…
我が家の玄関も復活しました。
実家には、古い石油ストーブがあります。
石油は200リットルの大きなタンクに半分以上入っています。
今の我が家のトイレも生きています。
ガスは止まっていましたが、水のシャワーは浴びられます。
めちゃめちゃ寒かったけど、背に腹は変えられません。
そして…
一度赤鬼を経験した爺は、薬の飲み忘れのない生活を続けました。
あれから一度も不調になることはありませんでした。
というか、不調になる暇すら無かったというのが正解かも。
それ以降…
爺は、大きな地震が起きる度に…
震災に対する疑問を見かける度に…
爺の体験を書き込むようになりました。
その話はまた明日(*'-'*)ノ"
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