防衛省は7日、存在しないとしてきた自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)について、昨年2月に探索を求めた当時の稲田朋美防衛相の「指示」は口頭で、「本当にないのか」と疑問を投げかけるものだったことを明らかにした。統合幕僚監部の幹部は指示を防衛省・自衛隊全体に伝達しておらず、統幕は不適切だったと認めた。

 陸上自衛隊が日報を把握しながら1年にわたり隠蔽(いんぺい)したとされる問題が、大臣の指示内容と統幕が適切に伝達したかという問題にも発展した形だ。防衛省・自衛隊内の文民統制に対する認識も厳しく問われる。

 防衛省によると、昨年2月22日に防衛省大臣室で、稲田氏が辰己昌良・統幕総括官(現・大臣官房審議官)に対し、「イラクの『日報』は本当にないのか」と口頭で探索を「指示」した。同日、辰己氏の部下である統幕参事官付が「RE:イラクの日報」との件名で統幕、陸空の幕僚監部の一部の部署の担当者あてにメールを送った。

 メールの内容はあいまいで、探索の指示を直接的に表現した文言はなく、質問調の文面。稲田氏の発言を「指摘」とし、「探索いただき無いことを確認いただいた組織・部署名を本メールに返信する形でご教示いただけますでしょうか」と記すにとどまっていた。メールを受け取った部署は、新たな探索結果ではなく、稲田氏の国会答弁以前に「ない」とした部署名などを答える内容を返信したという。その後の3月10日には、陸幕からも不存在の回答があった。

 辰己氏は「背広組」の文官で、統幕内では「制服組」の統幕長に次ぐ「ナンバー2」の一人。国会答弁にも立つほか、大臣の指示を自衛隊に伝える立場だった。辰己氏もメールを出した参事官付も、稲田氏の発言を「探索指示」と認識していた、と省内の調査には答えているという。

 防衛省では、昨年2月、野党議員の資料要求を受け、限られた部署で探索。稲田氏は同20日の国会で「見つけることはできなかった」と答弁し、その2日後に辰己氏に「指示」をした。統幕はこの点について、稲田氏が「日報がないのか疑問に感じられたためではないか」としている。

 一方、防衛省は省内・自衛隊に対し、今月20日までに日報が保管されていないか回答を求めている。(藤原慎一、古城博隆)。。。

 

当時の稲田朋美防衛相から明確な「指示」なし 電子メールで判明

https://www.sankei.com/politics/news/180408/plt1804080004-n1.html

自衛隊イラク派遣部隊の日報問題で、昨年2月22日に当時の稲田朋美防衛相が出した「日報再探索の指示」が、実際には明示的な指示ではなかったことが7日、分かった。稲田氏から「本当にないのか」と問われた統合幕僚監部参事官室の幹部は「探索指示」と受け止めたが、参事官室は陸自などに「指摘」として伝えただけで、具体的な再探索の指示もしていなかった。

 統幕参事官室が7日、記者団の求めで開示した当時の電子メールなどで判明した。参事官室は「伝達が適切でなかった」としている。同室によると、稲田氏は昨年2月22日、国会答弁の打ち合わせで統幕総括官(当時)に対し「イラクの日報は本当にないのか」とただした。これを再探索の指示と受け止めた統幕総括官の指示に基づき、参事官室の職員が陸自などの関係部署にメールを送信した。

 メールは稲田氏の発言を「ご指摘」として紹介した上で、日報について「探索いただき無いことを確認いただいた組織・部署名を(中略)ご教示いただけますでしょうか」と記していた。この時点で各自衛隊は探索をいったん実施済みで、メール文面は対象部署名の報告を求めただけと読める。実際、各自衛隊は同22日中に部署名を回答したが、再探索を実施する旨は返信していないという。

 この問題では、日報を昨年3月に発見したが、報告しなかった陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)の職員が「防衛相の指示で捜索している意識はなかった」と説明しているとされる。