裕子はかと先生より先に受付の部屋に入って行った。電気が付いて裕子は少し眩しかった。そして、
「いつも先生が一番最後にお帰りになるんですか?」
と聞いた。
「最後は私と彼女だけですからね」
ああそうだ。3年も前のことだけど裕子はよく覚えていた。裕子が名前やら住所など質問に答えて彼女に渡すと彼女は奥にいたかと先生を大声で呼んだ。
「かと先生、かと先生」
呼ばれたかと先生は奥からやって来て裕子にお辞儀して質問表を手にして奥に戻った。
裕子はずいぶん偉そうな女性だなと思ったけどそれより「かと先生」が気になって聞いてみた。
「かと先生のかとはどんな漢字ですか?」
「ただの加藤ですよ」
「ただ!?」
「この階には他にもクリニックたくさんあるからみんなの先生にそれぞれ名前呼ばないとね」せ
「なるほど」
「でも加藤先生じゃ長いからかと先生。一度かと先にしたんだけど」
「もっと短く」
「そうなんですよ、だけど加トちゃんになっちゃって」
彼女のマスクの先でベロっと舌が出たのがわかった。
ははーん、トイレで会っては先生の悪口を言うのかもしれない。でもかと先生は嫌なところはないと思うけど、まぁ人それぞれだからねと裕子は思った。
「片山さんソファにお座りください」
とかと先生の声が聞こえた。かと先生は裕子のカルテを探すところだった。
裕子はソファに座らずかと先生に少し近づいて言った。
「3年も前にお会いしてそれっきりなのにわたくしのことを覚えていただいてありがたいです」
裕子は大事な方と会話を交わすときは必ず「わたし」ではなく「わたくし」と言った。このことで一番嫌な思い出は天敵とのこと。裕子はパパはもちろんだけど舅も大好きだった。だけど姑さんだけは大の苦手。初めて会って裕子が「わたくし」と言ったら姑は「はぁ」と小馬鹿にしてたっけ。わかってないわね!? と思ったけどにっこり笑ってやった。
かと先生は裕子を振り向いた。
「片山さん、裕子さん、ずっと裕子さんのことを考えてました」
「えっ」
もしかしてわたくしのことア・イ・シ・テ・ルの? マサカね〜
「ご主人は裕さん、裕という同じ漢字で亡くなって半分になってしまったようで夜眠れなくてと言ってらした」
「ああ」
「医者がこんなことを言ってはいけないんですがあの薬が効かなかったのかと」
「いえいえ、先生が私の話をよく聞いて下さって、それで満足しちゃって飲んでいないんです」
「そういうことならわかります」
「ただまた眠れなくてなってしまって、息子や娘に話してもウソでしょう!って冷たいんです」
「わかりますわかります」
「前の薬また飲んでいいんですか?」
「大丈夫ですよ、でも薬はどんどん新しくなるんです」
「そういうものなんですか!?」
薬も新しくなるといいもの。裕子は薬が新しくなったキレイなケーキをもらう
ような楽しい気になって来た。