今回も、前回、取り持ってくれた友人を通じての招請であったが、何か月か前に残した『MEMO』(今の日本に足りない事 / 『とことん やる』)や、この続きの『『とことん・・』の続き』を、かなり詳しく読んでいただいていたようで、ここで触れた『次のノーベル賞の可能性はどうすれば』や、今年の受賞対象となった『AI』の将来。このための『とことん・・』という事を話してみたい・・と、予めの、宿題を頂いての『勉強会』となり、今回は友人を含めた3名が、色々な切り口で、この『超難題』の『解』となるようなお話をお聞きした。
いつもの仲間との『WAIGAYA』とは、少し雰囲気が異なり、コーヒーの心地よい香りの中で、先生よりいくつかの『切口』が提示され、このご講釈から話は展開する事になったが・・・『裏メモ』に残しきれないほどの、多岐に渡るお話だったこともあり、後先逆転しているかもしれないが・・記憶の範囲で纏めてみる事にした。(後日・・たぶん、先生からのご指摘があると思うが・・)
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まず最初に出てきたのは・・最初にお目にかかった時にも、話されていた事の中で・・『食糧問題』が、いま世界では、最も気にすべき事態ではあるが・・何か、このあたり、世界の動き。日本としても、取り組みが見えず・・もっと真剣に考えるべき課題では・・とのお話から始まり・・、この前提として、今、生活の中で『必要』とする物を、考える事すら失われている事が・・最も『心配事』との事であった。
今、先進国は、まだ『貧困差』はあるが、『飽食の世界』となりつつあり、あまり『不自由』を感じない世界となったが、逆に、新しい物が生まれてこない。このための『先進技術』が出てこない。
『「必要」は発明の母』と言われる通り、今の全世界には『必要』と感じる事。もう少し言えば『欲望』(Wants、Needs)が失われており、新しい物が生まれないにしても『欲求を感じる』事が『停滞』し始めており、これが進むと『次世代』は危うく感じる・・との事を話された。
例えとして・・『必要』が大きく時代を変えたものとして、『物を運ぶ』という事から『内燃機関』は生まれ、『遠くへ伝える』という事では『通信』が発展し、今や『スマホ』の世界となったが、これを超す、次の『必要』な事は、いまだ出ていない。
生きていく上での『必要』が、失われたのもしれない・・・
この、個々人が生きていくうえでの『必要性』というものが、何なのか・・『人間』としての『要望』『欲望』が、無くなりつつあり・・この『必要』という事が、あまりにも、時間軸が縮まった『高速社会』では、考える事すら出来なくなって来ているように思え・・
『人間は考える葦』とも、言われているが、この、小さな『考え』をする事すら、怠り『AIに委ねる』事も、心配である・・とも話されていた。
そして、『移動を早く・遠くへ』という事では、人間の『究極目標』であった、『空を飛ぶ』事が実現し、この部分では『必要』な事ではあったかもしれないが、今や『宇宙船』で、地球の外へも行けるようになったが、これは、本当に、人間にとって『必要』な事なのか・・この事以上に、生きていくうえで『必要』な事はないのだろうか・・
さらには、『欲望』という事では『隣国侵攻』などもあるが・・議論が、正しくはないかもしれないが・・日本が戦争を始めた時の様な、次の成長の中での『物資不足』という中での『必要』『必然性』とは、なにか・・少し異なってきたようにも思える・・とも。
ただ、これが『自国拡大』だけであればいいのであるが・・『国内貧困』『物資不足』。そして『食糧飢餓』という負のスパイラルを辿る事で、『侵略』という事になれば・・大変な事態となるが、このための『必要』とは何なのか・・『発明の母』は、もつと色々な事を考える必要があるのでは・・と、少し『禅問答』のような、展開もされた。
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こんな中、『とことん・・』『次のノーベル賞』を受けてか、日本の『危うさ』についても、冗談交じりに『「必要」は「工夫」の母』という、事で切り替えられた。
日本は、これまで、生活に係るような「電化製品」でも、『必要』から『発明』へ結びつけた物は少ないが、『必要』を探り、ここから、先行品をモデルに『工夫』する事で、成長を遂げ、これが日本の『高度成長』に繋がっている。
この『MEMO帳』でも、何度か書いている『マネをする』『よりいい物』『かっこいい物』から、『簡単・便利』『軽薄短小』などの、さらなる『工夫』が、『必要』をあたりまえへ変えたが・・・確かに、この次が無い。日本の『家電』も、いまや『シンプル・特化』『機能集中』と『価格戦略』で、海外市場は奪われ、衰退してしまった。唯一、残ったのは、『米文化』の『必要性』から、『炊飯器』だけなのかもしれないが、これは『井の中の蛙』でしかない。
先生のご見解では・・この、日本人独特の『工夫文化』は、はるか昔の平安時代や、近年では室町、江戸、明治と進む中で、『大陸・先進技術』を学ぶ中から培われた物であり、感性の高い『物を見る目』が、人々の『必要性』から、もう少し高い『欲求』をまで探し出せる能力であり、これが『日本文化』を生み出せていたが・・何か、ここ何年かで、こんな事も失われたような気もしている・・とのお言葉も
あまりにも、今の世の中は『急ぎすぎ・・』『急がれすぎ・・』。そして、この『悪流』が、どんどんひどくなり、目先の物だけを追いかける事になっているのではないか・・
もう少し『葦』のように、しっかり、地に生え・・独り立ちして考える事が必要なのでは・・と、つぶやいておられたのが、印象的であった。
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話しが、今年の『ノーベル賞』へ展開していき・・昨年、お会いした時も、『AI』というものが、人類にとってどうなのかと、話されていたが、・・今日も、『人間は考える葦』であり、ユラユラ揺れ動くが、突き進む方向は、『人間』しか判断できないのでは・・と
持論を展開されていた。
そして、もう一つ『AI判断』以上に、『何も考えないで動く事』『同調で動く事』が、この『AI伸長』という事で、気になるとの事も話された。
お話の途中で、時々、ブラックジョークも挟まれるが、近い将来『ノーベル賞、AIが決定』・・・受賞のための『文献読込』も、『AIが選別』なんてならなければいいのだが・・とも、冗談で済まないような事も・・
『同調』という事では・・これも、先の『国家ビジョン』の中でも触れられていたが・・あまりにも『政府』『産学』共に、『世界に乗り遅れたくない・・』という思いからなのか、『最先端へ、一足飛びに行こうとする、悪い癖』『基礎を捨てて(失ったままで)、土台無しに、見せかけだけ、躍り出ようとする‥』小生が残した『MEMO』を、元にされたお言葉では、『我も我もSDGs』と言うような事が多い。・・もっと日本は、『基本』『基礎』に立ち返るべきでは・・との、コメントも頂いた。どこかで残した、日本産業の『マザー技術』というものを覚えておられ、『「必要」は、発明の「母」』と言うように、『母体』が無ければ、『人間』は生まれず、『母乳』が無ければ、育つことも出来ない・・との、ご専門の『生命論』へ結びつく話も、されていた。
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そして、かなりの時間、貴重なお話をお伺いしたが・・こんな中で、『「必要」は発明(工夫)の母』という事を考える時・・・今の、子供達へ。そして、先進国から発展途上国への展開として・・『必要』という事の、押しつけの危なさに、言及された。
これは、今、日本人が、安全安心な社内の中で、『必要な物』を感じない事の逆として、例えば、子供たちに、便利な道具を与え、あたりまえの。安全で、快適な環境を与えてしまうと・・『必要』という『感性』が芽生えなくなる可能性があるのでは・・
同じように、『発展途上国(低開発国)』でも、『ODA援助』などで『支援』をすると、『自らの工夫』が無くなり、次の展開ができにくくなる。『工夫しない国』となってしまう。
幸いに、日本は、敗戦後、『飢餓環境』があり、『立ち上がろう』『世界で一番に』を国民で共通認識として持てたので、今の発展があったと思うが、・・もっと潤沢な支援が入っていれば・・どうだったのだろうか・・とのお言葉も
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この先生は、時々『100均』で買い物をされるらしいが、まだまだ、このお店は、商品が『かゆい物へ手が届く』努力をされており、『必要』ではないが、この感覚を『Needs』から『Wants』へ励起させる何かを持っており、こんな事がない事には、次の日本の成長は危うい。車も、『やれ、EV』と言えば、『右向け右』となってしまっているが、一人ぐらいは『スポーツカー』を望んでいるかもしれず、たぶん『AI』では得られない『Wants』を探り出せないと、『JAPAN as No1』『 世界の工場』の復活は程遠いかもしれない・・・と感じた。
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最後に、もう一つ、次の展開のための重要な事を話された。
それは・・『種をまく』・・と言う事。
『種』をまかない限り、芽は出ず、育てる事も出来ず、収穫はない。
『種』をまけば、ほったらかしに出来ず、水をやり、色々と観察し、
途中、生育の手助けを行い、栄養の補給や、色々な『工夫』をする
『必要』は、自らの意思で始まる事であり、この第一歩が『種をまく』
これが無ければ、『成果を得る』という‥究極の『Needs』『Wants』はない
『ノーベル賞』も、多く蒔かれた『種』を育てる中で、『Why・What 力』が優れた、研究者が『特異点』を見つけ出し、『人類の幸せになるもの』として成果が得られたものへ授与されると思うが、この、先生の『種を蒔く』は、自ら、能動的に広げる必要があり、この場では話しきれなかった、『とことん・・』という事も必要なのではと、改めて思い起こされた。
色々と、話が出てきたが・・究極の『必要』とは、何なのか
『平和』という漠然としたものではなく、今日の話題にも出ていた・・
目の前の『食料危機』の方が『先決問題』なのでは・・
『SDGs』も『持続可能な開発目標』とは提唱しており・・
『水資源確保』や『貧困抑止』なども、行動計画としてあげられているが
今回の話の中で出た、真の『種まき』とはを、考える必要がありそうである
『鶏ー卵』の議論ではないが・・・『種もみをまく』『発芽する』
この時『水不足』であれば・・ 『水を引く』事を考えるであろう
『休耕田』の議論より、『種を蒔く』
もっとさかのぼれば・・この『蒔く』ための『種籾』をどうすべきか
明日『Black Day』とならないとは限らない・・『米不足』騒ぎどころではない
『必要』『Wants』『Needs』という『感性』が、この先生の様に、途切れず、研ぎ澄まされる事の重要性を、感じさせられた午後であった。
途中で、これも冗談で出されていた、2025年4月1日・・『日本全停電』。『エープリル・フール』の悪戯ではないが、これくらいの『イベント』が起こらないと『ボ~とした日本』には『危機感』が伝わらず・・・『必要』な事を考えだせないかもしれない・・とのご発言も、たしかに昨今の大地震や、異常気象を考えると、重要なことなのかもしれない。次回は、この先生と、もう少し『風やー桶屋』で突っ込んだ話をしてみたい。
未推敲のまま・・