日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

製造業/『データー改竄問題』の整理

2018-11-09 15:33:28 | 品質管理
ここまでのブログで(日本の品質問題『物を見る力の養成が急務』2018-11-06)で、昨年から発生の『データー改ざん問題』等の物作りの現場が起こした問題につき、色々と勝手な私見を書いてきたが、これまでに頂いたメールなどをもう一度整理してみる事とした。

[1]TPMでの品質管理はどうなのか
この項については小生の少し偏見での見方を押し付けたようであるが、今、大手から中小まで、特に製造現場を抱える会社での安全管理や品質に対する社内教育を含めた活動が、時間的な制約もあり、少しトップマネージメントが強い運営になっているのではとの感からである。

本来の『TPM』は長年生産ラインの維持、管理(PM)からマネジメントの要素も織り込みながら進められて来たかと思うが、昨今では、『見える化』などでの数値管理が厳格となり『ゼロ・ロス』だけでの経済効果が中心となっているような気がしている。
このため、この『TPM』を推進する『TPM活動』は、年度初めの活動目標を設定する場合でも、『ムダ・ムリ』の洗い出し、これを削減するスケジュールを立案する所からスタートさせる事が多く、本質の議論より対策が先行する場合が多くなり、この歪からか、今回の様な『異常データー隠し』『データー改竄』で、何がなんでも『ゼロ』という結果を残すことが要求された事が想像される。

ここで『TPM』活動のいくつかの柱の中の『計画保全/品質保全』の項の記憶を紐解いてみると
<品質保全> には 
 ・ねらいの品質(設計)
 ・つくりの品質(製造)
 ・サービスの品質   という項目があるが
TPMで究極求められるのは、要求に対して100%の良品(要求品質)であり、上記の中で製造工程の『作りの品質』が重要視されてくる。
当然この良品管理では、品質検査⇒異常解析⇒対策という事が行われるが、モニタリングでの予防保全に軸足を置いた管理であり、顧客を向いた『マーケットイン』ではなく、供給側目線の『プロダクトアウト』的な考え方となり、各社が答弁しているような顧客無視になっているような気がする。

又、ある方からのメールでは『TPM』は継続的に動いているプラントなどからの管理手法であり、変動に対するデーター管理は行えるが、設備条件変更や原料変更など4M変更での解析が行いにくいとの指摘もあり、何がおかしくなって『データーが逸脱したか』を見つけ出す点では、この『TPM活動』の推進は問題があるのではとの意見もあった。
この点、次の項で『品質』とはを、もう少し掘り下げて考えて見た。

[2]『品質』とは
ISO9001の品質(quality)の定義を見てみると、
 『対象に本来備わっている特性の集まりが要求を満たす程度』と
書かれている。
つまり、品質とは顧客が満足しないと、品質は保たれていない事となる。
よく品質は締結された『規格値』だけの保証(コミット)と勘違いされるが、この受け取った物をそのままか、さらには次へ加工されて手渡されるかは別として、『信頼のおけるものでなければならない』。

昔、品質管理の勉強で『品質優先』という事で『後工程(次工程)はお客様』という事を常に考える事をを叩きこまれたが、今一度思い起こすことになった。
逆にこの時、『次工程は自工程で守る、責任を持つ』との事も聞かされていたが、今回の様な不祥事は『データー隠し』と共に『次工程への甘え』。顧客目線に立った考え方の欠如。『マーケットイン』という事への軽視が大きな問題である。
どの部門での『データー隠し』『データー隠蔽』かは判らないが、どこかで『誰かが気がつくかもしれないが』との安易な考えが起こっていれば、『会社幹部の隠蔽隠し』よりさらに悪質な『生産現場を揺るがす』問題かもしれない。

品質管理は、ボトムアップのQC活動での『気づき』『問題提起』『改善』から、TQCという全体での管理手法へ発展し、さらにはマネジメントまで入ったTQM(総合的品質管理)が主流となっているが、これらを支えるのは、生産や管理を務めるメンバー一人一人の感性であり、ここでの『物を見る目』と『厳格な行動力』、これらを支える『コンプライアンス遵守精神』が次工程へ安心な物を届ける原動力となっている事は否めない。
ただ、これを何らかの理由(軽薄な営利主義、トップへの忖度、自己保身・・)で捻じ曲げていれば、なおさら問題である。

もう一度『品質』とはを考えて見る。
出来たものを受け取る(購入する側)の『品質』の考え方、見方は
 例えば電気製品であれば
  ・デザイン (見た目)
  ・規格値が規定通りか(ばらつきは無いか)
  ・信頼性(故障、動作不良はないか)
  ・安全性
  ・保守性(使い勝手)
などがあり、これらを含めて品質として購入する。
次工程の顧客へは、この内、規格値が検査成績書として、耐久性などが副次的な『品質』として、保証書として製造した側から提示される。

工業製品を原料として販売する場合も、次工程側の加工メーカーはさらなる次工程で問題が起きないような事を求める『品質』を希望し、問題が発生しないよう、最大限の規格項目を設定し、メーカーと協議の上、コミットされた事項で管理された製品(原料)を得る。
例えば、電子部品に使われる材料であれば、原料購入後、次工程でさらに別のものと反応させ最終品となる場合でも、最終特性から、反応に係わる規格項目に加え、RoHSや塩素成分の管理も入れ込み、さらには特性に直接関与しない外観など、顧客要望を入れ込んだ規格値となる。

今回、この製品の基盤となる、数値で明確となる『規格値』の数値が改竄されているとの事で、電気製品であれば
リコールで済むが、いくつかの工程を経るものであれば最終製品の特性の信頼性を揺るがすことになる。
『原理原則』を逸脱するだけでなく、顧客の立場に立った『マーケットイン』となった品質保証となっていない。

『品質管理』と『品質保証』をよく混同されるが、前項の『品質管理』はTPMな考えでも構築できるが、『品質保証』となると、トップの厳格なる意思での『マーケットイン』の考え方が浸透しないと、経営上の損得だけで安易に判断する可能性が出て来るのではと思われる。

先に書いたが4M変更や、分析方法の変更、さらには顧客からの規格値変更要望など、手前勝手ではなく、顧客目線でのすり合わせが必要であり、十分な議論も重要になってくる。

[3] ISO9001-2015 移行での混乱
今回メールをいただいた中で、改竄問題が掲題のISO⁻9001が2015年から改訂作業が始まり、2018年の審査まで時に移行させる作業があり、品質管理部門の忙しさの中で問題を引き起こしたのではとの指摘もあった。

丁度小生も会社を去る2016年頃、ISO改訂での説明を受けたが、トップマネジメント、リスク管理、分析などの知識(固有技術)に加え、外部への(製品)の引渡し等が2008年版から大きく追加される見込みで、このあたりどうしていくかが課題となっており、たしかに品質管理部門は忙殺される事が見えていた。

ただ、営業を経験したものとしては、顧客からのニーズやそれに対する開発ステップなども規格の中では手順化が求められており、「マーケットイン」の考え方に沿った動きとしては素晴らしいと思ったが、どう咀嚼して取り入れるかが課題とも感じていた。
前項の『品質』を代表する「規格値」を決めるまでのステップとそれをどう維持し、管理するか。
これが出来、トップコミットもあれば100点万点であるが、如何にせん支えるのは社員である。
どう教育し、遵守させるのかがポイントとも言えるが、当事者ではなくなり見えていない。

[4]今後どうしたら
いくつかのメールをまだ解析できないでいるが、問題点は、TPMにしろQCでも社内教育が出来なくなっているようである。
この対策として、QCであれば自己啓発、TPMであればコンサルタント導入などもされているが、色々と問題があるとの指摘も頂いている。

例えば、実質生業とされている方には申し訳ないが、QCだけであれば、少し古い時代の活動展開であり、TPMであれば、『ゼロ・ロス』手法だけでの指導で、TPM、TQCとからめたような説明が出来ていない。さらにISOの監査では、マニュアル通りの監査指摘しか出てこない。  など、受ける側に立った内容に乏しいいとの事。

今、大学の教育でもQCや改善活動、安全活動などの基本要素の科目はほとんどなく、会社へ入っても時間的、人的な余裕、ゆとりがないため教育をうける場も少なく、基礎がないままでTPMとなるなど、ギャップが大きいとも聞かされた。経験のあるリーダーが作った目標、時間軸に従う事になっている可能性もあるとの事。

こうなれば、何も考えない『物を見る目』を失う社員も多くなり、一部トップの『改竄』の見逃しや、ましてあたらしい物への挑戦。開発も望めないのでは・・・ との暴論を投げた意見に賛同も多数いただいた。

もう少し時間をかけて・・頂いたメールを整理をしてみたい。


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日本の品質問題 『物を見る力の養成が急務』

2018-11-06 15:30:42 | 品質管理
旅行前のブログで、品質問題に端を発し、どうすれば日本の製造力が再び強く出来るかとの事で記していたが、ブランクの間に多数のメールなどでいろいろな助言や苦言を頂いていた。
この中で、品質問題については、つい最近も日立化成やKYB等でのデーター偽装問題が起こっていたとの報道があり悩ましい限りである。

前メールで小生がちょっと厳しい見方で書いていた『TPM活動は忖度しかありえない』との記述に対しても、『まさしくその通り』『経営者のTPM活動の理解不足』『思い違いが品質問題の衰退化(活動をしている事での慢心)』や『ゼロロスの考え方が危険』とのコメントもたくさんいただいた。
さらに『データーのトレンド解析の重要性』については、紙に出さない限り画面の中では『見えていて見えない』のではとの指摘もなされている。

5ヶ月のブランクがあり、もう一度ネジを巻いて考え方の整理をする必要はあるが、今日の日経電子版にトヨタで、現場の作業員から副社長まで昇り詰められた方の、『物作りに対する思い』を書かれたインタビュー記事が出ていた。
<記事抜粋(2018-11-6)>
センサーは本質を見えにくくする
「私はセンサーを付けたと聞くと、まずは『それ、いつ取り外すんだ?』と尋ねることにしています。課題を解決するという目的を持って、原因究明のためにセンサーを付けたというなら納得です。熱を持たないようにするにはどう改善したらよいのかを考えるために、材質が悪いのか強度がないのかという原因を見つける目的があるセンサーだからです。つまり、改善できたら不要になるはずです」

「何でもかんでもセンサーで収集し、それに頼り切ってしまうと、本質がかえって見えなくなってしまいます。人間のセンサー、つまり感性が失われていってしまうからです。だからこそ、センサーを付けっぱなしにするのはご法度です。・・・・

:;:;:

この記事から、人間の五感を補強するにはセンサーでの測定や、これを基にしたデーター管理は重要であるが、異常かどうか。さらには改善はと言う解は人間でしか出せない。AIでも過去の蓄積がないと判断はできないであろう。・・・

**
しかし、今回のデーター改竄は、得られたデーターを意図的に数値書き換えや追記などがされており、『過去の実績から問題が無かったので』
との釈明もあるが、これが例えば次工程の製品での信頼性を自社で十分に検証した上であれば、まだ多少安心出来る所もあるが、『ゼロロス』だけで何も考えず改竄したのであれば悪質・危険極まりない。

この原因として、このブログでも取り上げていた、暴論ではあるが、『TPM活動と品質管理活動との違いである』
今日本の製造業、各社が進めているTPM活動は過去のQC活動、品質管理活動の進化版との思いもあるが、今までの自主活動からトップダウンの活動となっていることが多い。ややもすると成績にも響きかねない活動でもあり、『ゼロロス』推進は、製品の品質不良での『ロス』だけではなく、管理部門の、例えば、昨今の人事管理で厳格化されてきている残業時間『ゼロ』まで活動目標にあげていると、これに向けて、品質異常の解析に費やする時間も削減せざるを得ず、歪がどんどん助長されてくる。
さらに危険なのは、本来独立すべき『品質管理部門』までが活動に参加し、TPMやISOの管理目標で、『クレームゼロ』『再検査ゼロ』というような目標を掲げてしまうと、何が何でも『ゼロ』。幹部報告へも忖度した『ゼロ』レポートとなってしまう可能性がある。

今一度TPMの本来のあり方。品質管理、QC活動のありかたを考えて見る必要があり、究極は個々人の判断力の能力向上が重要であり、掲題の『物を見る力』をどう醸成していくかが課題と思われる。
出来ればTPMの活動でもQC活動の『なぜなぜ』を基本とするような事を推進してほしい。

この能力が育てば日本の物つくりへの力もつける事ができ、『いい物を作り上げる』という事が意識出来、コンプライアンスも遵守されると思われる。
このためにどうするか・・









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日本の製造業 /『思考回路形成力』教育が急務

2018-04-17 15:35:29 | 品質管理
前ブログで日本の製造業を再び強く出来ないかという事で、『物を見る力の養成が喫緊の課題』との私見を書いた。
このためには『なぜなぜ』問答が真剣に出来る人間力を引き戻す必要があり、どうしたらいいかと問題を投げかけたが、ブログを見た友人などから何通かのメールを受け、少しずつ問題点の整理に入っている。

今日の記事もあっちこっちへ飛んでしまいそうであるが、一つの結論が10日ほど前(4/5?)に放送のWBSにあった。
報道の内容は『激変!世界のイノベーション発信地 第二夜 加速中! ホンダ×ベンチャー』で、開発の速度アップのため、ホンダはシリコンバレーのベンチャーと組むことで、開発のスピードを一段とアップさせ、新しいアイデアの取り込みも貪欲に行っているとの内容であった。

この番組を見ていて一番驚いたことは、若い技術者やデザイナーがホワイトボードやこれに代わる白い壁にどんどんアイデアを書き込み、これを全員で議論し、一つの結論を導き出し、すぐにソフトを起こす作業に入っていた。
先のブログで『ヒヤリメモ』について少し触れたが、新製品開発でも、開発者全員が『ナゼナゼ』『Why What』という知恵を出しあい、黒板などで意見を戦わせる『黒板力』が、スピードと新しい物へのチャレンジには改めて必要ではないかと感じた。
この『黒板力』が日本では、特に大手企業では、あまり醸成出来ておらず、逆に低下していっているのではとの思いが深くなった。
このシリコンバレーでの様相は、今までの日本の製造業が取り組んできた以上の進化があり、日本の製造業へ再び活力を取り戻すためには、この黒板で自由に議論出来る力の育成が急務かと思えて来た。
開発段階で、出て来たアイデアを分類し方向性を決めるためにはトヨタが取り入れている、KPT(ケプト)等での手法があり、番組でもこのようなマトリックスでの分類で議論がなされていたが、このためのアイデアをひねり出し組み立てる『力』が日本では成長できていないのではなかろうか。
昨今、新規技術のバロメーターの一つである特許出願件数が減少傾向との事であり、さらには、この『力』が低下すれば、この記事で書いてきた『品質に対する見る目』の低下は否めなず、日本の製造業の生末が危うくなる。

このアイデアを創出し組み立てる『力』、能力をあえて『思考回路形成力』という名前としてみたが、この能力は、体で覚え込んだ癖のようになっている必要があり、幼児期から学ばないと身についてこないかもしれない。
日本では昔から『からくり文化』の国とも言われ、自らの生活の中での不便さを克服するためや、中国や諸外国から得られたあらたな技術へ創意工夫して色々な物を作り上げて来ており、この根底には『ナゼナゼ』『Why What』と考える『力』が自然と働いて来ていたが、現状、少し『思考回路形成力』が低下し始めているように思える。
なぜなのか、どうすればこの力を上げることが出来るのか。
もう一度ハングリーな世界で、『ナゼナゼ』『Why What』から生まれた問題点から新たな創造へと結びつける思考をどう醸成するか。子供たちにどう教えていくかを急いで考えないと、日本はますます世界から取り残される可能性もある。

友人から受けたメールの中で、『先輩は、何か問題が起こったらたらすぐに黒板へ書くことをされ、ちょっと異端児かと思いましたが、最近の色々な事象から見ると、この考えが正しかったのかもしれない』という声も受けたが、たしかに、ISO監査やTPMなどの管理だけを目的とする場所で、新たに取り組むことの議論を吹きかけ、飛び跳ねていた可能性もあるが、疑問点から問題点の解決に向けた検証作業は少し人の先を行った可能性がある。

この『黒板に書いて議論すること』を学んだのは、本業の中ではなく、大手電機会社をスピンアウトしアメリカで学び直した友人からの知識吸収である。
30数年も前の事であり、少し記憶からは遠のいているが、当時、安全や品質活動は、事故が減り改善のネタも無くなって来たため活動が停滞化し、次の手立てを探す必要が出て来た。この中で、異常現象発生原因を時系列的に探る一つの手法として、アメリカが戦争中に採用の最適化戦略といわれるPERT(Program Evaluation and Review Technique)と言う技術に興味があった。コンピューターのプログラミングの中でも生かされているとの事で、MBAでの生産工学の本を借りてPERT以外の手法も色々と勉強した事からである。
この中でPERTという手法は、いかにPASSを瞬時に判断し最適化するかという技術と、これを支える、見た事象を図式化し、ここからの結論を導き出すという『図解思考』技術が必要なことが判り、この点で少し深く雑学を進めた。
日本がデミング博士から教えてもらったQCや改善手法は、日本人向けには、コツコツ事象を精査する手法として優れた技術であったかと思えるが、その後の活動では、成果の完璧さを求めた事もあり、時間軸の管理が少し失われた事が反省点かもしれない。
当時のQC体制では、生産ラインや技術の進歩は、今よりスピードが要求される事もなく、これで問題点への対応は十分出来たかもしれないが、21世紀の現時点では、品質や安全管理、さらには、新しい製品開発へ挑戦するプロセススピードには合わなくなっている。

さらにこの後の、バブル崩壊後頃から始まったTPMやPDCAを取り入れた取り組みでは、どちらか言うと管理が中心となった活動が主流となり、製造部門や開発部門まで広められ、目標管理に向けた対応をどうとるかと、あまり『ナゼナゼ問答』をしない事に繋がった可能性がある。
前ブログで『TPM活動が日本の製造業をダメにした』と極論を述べたが、最近『PDCAも今の様な激動期にはそぐわない管理手法』と書かれた記事がネットに掲載されており、やはり瞬時に最適化を計るための新たな発想法とこれらをとりまとめする手法が必要となっているのではとも感じるようになっていた。

友人のメールでは、PDCAやTPM活動は『忖度しかうまく回せない』『ITなどの開発へ取り入れると大きな間違い。何も生まれない』とも書かれており、会社在籍時に小生が検討してはと提案の『図解思考』『OODA』を今一度考えてみたいとも書かれていた。

その他の方からいただいたメールでは、ドックイヤーと言われるように、バブル期の30年前とは大きく時間軸が縮まり、『色々な現象や異常を瞬時に捉え』、『適切に安全サイドへ導くための判断』をしていく能力をつける事が喫緊の課題ともあったる。
確かにセンサーの発達やコンピューターの処理速度が向上する中で、人工知能へ仕事を分担する事も必要であるが、AIも最初は赤子であり、これに色々な事を教え、善し悪しの判断を入れ込むのは人間であり、この知恵の進化速度を超えていく必要が出てきている。
ロボット同志が知恵を共有し、勝手に動き出す事は無いかと思うが、常に人間がロボットの知恵を上回り、先回りしておかないとSF小説ではないがロボッとの反乱になってしまう。
ちょっと話がそれてしまったが、この前どこかの番組で『お掃除ロボットの反乱』があるのでは・・と話されていた学者さんがおられたが、隣の家のロボットと結託して町へ繰り出したり、電源を分け合うために充電ステーションへ呼び込むなど・・ソフトでは書かれていない事が情報共有の中で知恵として蓄えられた時にどうなるのか。だれも理解できない事である。ペッパー君が反乱するともっと恐ろしいことになるかもしれない。

このSFがかった話は別の話題として、退社後しまい込んでいた『OODA』『図解思考』をもう一度勉強しなおしてみる事とした。
在職中に持っていた書籍はどこかへ行ってしまったので、とりあえずAmazonへ発注し、先週届いたので読み始めた。

これらの中に、いま日本の製造業の中で足りなくなっている『思考回路形成』のための能力向上策は必ずあると考えられるが、子供が小さいときからどう教え込むかが課題なのかもしれない。

小学校や中学校で取り組みを始めたプログラミング教育も悪いとは言わないが、その根底に流れるフローチャートの考え方が理解出来ない限り思考回路を形成するための一手法として有用ではない可能性がある。英語教育も、楽天が取り入れた社内公用語としての取り組みや、究極はグローバルな場で意見を戦わせるディベート技術の前段として捉えていかないと、目的を逸する可能性がある。

『思考回路形成』力向上のためには、親から、先生から、そして地域の人たちから『なぜなぜ』『Why What』と言う子供たちにこたえる必要があり、体で示し、絵や図にかいて理解を助ける事が必要なのかと思われる。

今、教育もタブレットやビデオなど、出来上がった教材で子供たちの考える能力を引き上げる事が主流になりつつあるが、まずは興味を抱く事から『思考回路形成』が始まり、これをいかに組み立てるかと言う能力と実行の判断がなされる。
出来上がった教育資料を使う授業は『PDCA』をまわすだけであるが、子供達の素朴な疑問が出てきて、質問があり、方向を修正して・・という事が知識の吸収には是非とも必要であり、『OODA』が教育にも取り入れられようとしているが、行ったり来たり、脱線しないように学ばせることが、豊かな『思考回路』の形成には必要なのではないか。

では、若い人たちはどうか。
このブログでは『思考回路形成能力』が無いような、極端な発言をしてしまったが、ベンチャーや新進のプロジェクトでは『黒板』での議論がなされていると考えられるが、ここにもいくつか問題点があるかと思われる。
一つは、ベンチャーなどでの能力差。多分ベンチャーなどを立ち上げられる方は『思考回路形成能力』に優れた方でないと難しいかと思え、同志も同じ能力を有しているため、意思疎通や議論をしても、色々な問題点がすぐに拾い出され、危険事項を整理し、対策が出されるかと思われる。
当たっているかどうかわからないが、最近問題となったコインチェックなども、トップは、この能力が高く、すぐに問題点を議論出来るかと思うが、急激に拡大した会社では『思考回路形成能力』がトップと一致できないメンバーもいる場合があり、『ナゼナゼ』が欠落すれば今回の様な、ものすごい時間軸が短い中で事件は発生してしまう事も想定される。この危機に対する『思考回路形成能力』は身についていないと、色々な現象を見逃してしまう可能性がある。
オレオレ詐欺が問題視されているが、これを仕掛けている若者の方が、昔から『鼻が利く』と言うが、危ない事に対する『思考回路』はいち早く働くのかもしれない。
最近、このような商才が効く若者が減ってきているのも、商家教育での危険を予知する教育が無くなったためかと思われるが、技術伝承の中で『思考回路形成』は自然と学んでいたのかもしれない。

又、今日のダイヤモンドオンラインで、若手社員が「自分がやりたい仕事と違う!」という事が起きているとも書かれているが、これは逆にその職場のメンバーの『思考回路形成力』の低さにもあるのではと思えて来た。
若手社員の能力や、やる気ある思考と、これに合わせられるだけの思考能力が一致しない限り、若者はどんどん離れていくことになり、若者に出来るだけ近い『思考回路』『感性』をすり合わせる必要があるかと思われる。このためにも、常に『思考回路』のスイッチを柔軟に切り替えも必要なのかもしれない。

話が見えなくなってきたが、『思考回路形成力』向上をどうするかが課題であるが、最初の取り組みは、黒板で問題を整理し、方向性を決めて実行し、途中途中で検証してみる事ではないかと思われる。

このためには『図解力』で使われる
 問題点を、枝葉で分けてみるツリー構造、グループ分けをするマトリックス、時間軸などで追いかけるガントチャート、さらにはデーターを分けたものの相関をみたり、重なっている点を探したり、グラフで傾向を追いかけるなどの作業が必要となるが、このやり方を直感的に出せるのが『思考回路』形成力であり、学ぶためには経験が必要となる。

これらの事象でえられた事実を基に行動に入るが、OODA手法では、最初の O → Observe(見る)が必要となり、客観的な事実を即時に見出し、次の O → Orient(判る→方向つけ)につなげる。
さらに D → Decide (決定)、A → Act(行動)となるが、いままでのPDCAとは異なり、OODAはこの各要素間が有機的につながり、機能させる事で、速戦的で、適宜方針を修正させ、作戦を誤らない特徴があると言われており、21世紀型の管理手法とも言われ始めている。

但し、このOODAは小隊編成の作戦手法であり、作戦責任は全体としてD-OODAと言われる通り、最初のDESIN下での最適戦略を求めるために小隊長へ与えられた管理範囲であるが、これを支えるのは、部下の能力が高くないと無理であり、海兵隊のような感性能力がある同じ『思考回路』が備わったメンバーで無いと無理なのかもしれない。
このためには訓練で鍛え上げる必要があり、『思考回路形成力』も訓練でしか出てこないのかもしれない。

前のブログの品質問題の項で記載したが、日本の製造業の技術力が低下しているのではなく、これを支える従業員教育、さらには日本の技術教育が少しおかしくなっているのかもしれない。

品質データーも、今や電子計測でコンピューターへデーターを取り込み、品質管理データーや異常値は簡単に見いだせるが、ここでグラフ化を自分で進めてみると、先ほどの『図解力』で示したような、グループ化や、データーがかぶった所なども見いだせるかもしれないし、ブロックすれば4M変更などでの特異点を見いだせるかもしれない。
この作業を新たにするのは人間であり『思考回路』が『ナゼナゼ』『Why、What、How』と言う切り口で作業が行われると思う。
JRにしても川重でのコメントを見ているとこの『思考回路』のスイッチが入り切っていない。
東京大学の教授の方が、経済誌のオンライン記事で『日本の製造業の技術力がダメになったのではない』とコメントされていたが、人間力、特に『思考回路』の底上げ策を学府として考えてほしい。

次のブログで『図解力』『OODA』を勉強した結果をもう少し詳細記載してみたい。

特に『図解力』に前後して新しい目標を捉える手法であるFramework (ビジネスフレームワーク) でのロジカルシンキングやコンセプトトレーニングなどが今までの仕事の中では役に立った。
これらの手法はアメリカでMBAを取得された方などが本で書かれているが、なぜ日本ではあまり受け入れられないのであろうか。

最後に上記の疑問に対し『ナゼナゼ』の回答を友人からのメールに見出した。
どうなんだろう・・
友人曰く、もともとの思想が違う
★日本民族 ⇒ 危機感覚が低い
   ⇒ 農耕民族 ・・・四季は必ず戻ってくる
   ⇒ 島国だから ・・外から襲来ナシ           
  (ウサギは寝て待つ)
★海外 ⇒ いつも危険
   ⇒ 狩猟民族 ・・自ら動かないと飢え死に
   ⇒ 外から攻められる
     (中国 万里の長城・・『蛮』対応)
   ⇒  攻めていく ローマ帝国、バイキング

もう一つ、ボーイスカウトの考え方の変遷。今に通じるものについてメールに書かれていた。
 Boy Scout活動 ⇒ イギリス BP卿が提唱
 Scouting ⇒ 斥候 のための技術習得
 戦略決定 Scout → Officer → Sir   
★意思決定の速度 → 今の時流でどうすべきか
★Scoutの判断力、解析力 → 権限移譲
★Top Down 指揮命令 → 強い組織

これらを見ると、今の日本は団塊の世代が第二段階に入り、危機を受けた事がない世代が日本を司っていく中で、『思考回路形成』能力の醸成はどうするべきか、ますます急務なのかとも思えて来た。

  


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日本の製造業 物を見る力の向上策/技術伝承の中で

2018-03-19 12:39:18 | 品質管理
先週のブログで 『日本の製造業 品質管理 / 物を見る力の養成が急務』との私見を書いたが、さっそくこのブログを見ている人からメールを頂いた。

最後に書いた『『なぜなぜ』問答が真剣に出来る人間力を引き戻さない限り、日本の製造業は強くなれないかと考える。』という事について、
『そだね~』と言ってくれる仲間がいたが、『リタイアした者ではどうしようもないな!!』との感想が多かった。

小生も定年後何かできないかと、安全管理や品質管理でのお手伝いを売り込んでみたが、定年前での準備ができていなかった事もあり、そんなに簡単にはいかない事を感じていたので、まさしく遠吠えの感である。
このブログを見た次の世代の方々が、何かを掴んでもらえればと発信を続けたい・・とコメントメールを返信した。

頂いたコメントや事例はおいおい咀嚼し紹介していきたいが、一つ、若い方からのメールの言葉が胸に響いた。

これは、定年の何年か前に、ある鉄工場を経営する友人に頼まれ、『大阪弁で考える品質。安全とは』というテーマで工場の方へ話をさせてもらった事があるが、この時に参加の若いメンバーからである。
メールは『コン先生、現役を離れてもまだマス目用紙持っておられるのですね』・・との携帯メール挨拶であった。
この前のブログに『ポンチ絵』を描いた紙の事のようである。

この勉強会では、鉄工場の技術を、小生より少し年上のベテランが、若い方へどう技術を伝承させたらいいかが判らないとの事で
引き継ぐ方法を聞きたいとの事であった。
このため、鉄工場は門外ではあるが、いろいろな仕事での出来事を、大阪弁で『おもしろおかしく』説明する事で雑談をさせて頂いた。

例えば、旋盤で素材を削りだす時、ベテランの方が『もうちょっと、ここをこないせなあかんで』と説明しても、若い方は『なんやようわからんわ』と折り返される事がある。
このシーンでは、
 もうちょっと ⇒ あと何ミリとか定量的に
 ここを    ⇒ 具体的な場所
 こないに   ⇒ 方法の具体化
と指導をするベテランの方へは具体策の説明の必要性をやんわりとポイントを説明した。
さらに、指導を受ける方へも、この逆で、具体的にどうする必要があるのかを聞き出すように努力することの重要性を説明し、理解してもらった。
この時に若い方へメモるためのマス目入りの名刺大のカードを提供したが、これが後に役立ったようである。

『そや』『それちゃうで』『あかんがな』『ちゃっちゃとやらんか』『あほか』『何べんゆうても判らんやっちゃ』から『ようやった』『そやそや』・・こんな積極的な会話の中で成長を期待したが、メールでは、勉強会の後、ベテランの方の教え方も段々うまくなったとのこと。
溶接でも、昔は『ここあぶってみ』とだけ指示が出されていたのが、『このチョークの範囲を、バーナーを半分ほど開けて、ゆっくりと縦横へ動かしてあぶり、赤こうなる所がムラないようにせなあかんで』と、コツや勘所の指導がしてもらえるようになったとの事。
さらには仕事が終わったあと、切端をあぶって、急に水をかけ、あぶり方でこんなにひずみが違うんや・・とも手本を見せてもらえた。これらは、若い方得意のスマホで画像として記録され、学ぶネタができたとも聞いており、少しはお役にたてたのではと思っている。

この若手の方が今回の新幹線の台車の事故のコメントを書いてくれていたが、『あんな、厚い、大きな溶接は難しいで。』『船を作るくらいの技術が無いとあかんわ』との技術面から、『でけんならでけんとちゃんと言わんとあかん』『おっさん(班長)はどないやねん』との究極の言葉が最後にあり、やはりベテランが、まずは図面通りの作業が出来る事の確認を行い、指示する事がポイントのような気がする。
この作業確認が出来ないままで、単にバリを削り出せだけでは、作業する方へ勘所、原理原則が伝えられず、『なぜなぜ』や
『ここが課題・問題』という意見も出てこなくなるのではなかろうか。

品質維持のためには、作業をする方々の感性を引き上げる事が最も重要であり、先のブログでの『なぜなぜ』問答が真剣に出来る人間力をどう生み出していくかが喫緊の課題としたが、川重での説明では量産化段階で問題発生が起こり、設計へのフィードバックが出来ていなかった事が課題とのコメントであったが、現場からの問題を、問題として捉えられない設計部門や品質管理部門の技術力低下が最も危ないかもしれない。

このために、設計部門や品質担当部門はもっと現場へでて会話をしないと、何も見えてこない可能性がある。
大阪弁ではファジーな所を、阿吽の呼吸で双方が解決できるが、今回の台車事故ではこんな会話も出てきていないのかもしれない。
会話力が『なぜなぜ』問答を真剣に議論するための一つの解決策であり、この切り口は『ポンチ絵』など、コンピューター酷使の世界ではない、アナログ、手書きの世界を構築する事も重要なのかもしれない。

話はあっちこっちに飛んでしまうが、今回頂いたメールの中でも、小生が会社生活時代、最終製品を量産化する段階で、安全監査では、WORD、EXCELできれいに書いた団子図や設備フロー図ではなく、出来れば手書でもかまわないから、具体的な機器の大きさで、一目できるようにした方が良いのでは提案していた事を懐かしむ内容を頂き、まさしく今それが必要との事が書かれており、感性の低下が心配との事であった。

メールの中で、反応でタンクから釜へ原料を移送する場合、建屋の上階に原料タンクがあり、自動閉止弁で流入量をコントロールする様な設備となっていた場合、この弁が故障し制御が利かなくなった場合、最悪釜からあふれてしまう事になる。
これが、最近の安全監査用資料で、タンクの大きさや設置位置が配管図フローだけで示されている事が多く、上記のような危険をはらんでいるにも係わらず、危険個所が一目で判らず、誰も指摘されないままで、安全監査会議が通過し、生産に入り初めて問題が発覚したこともあったとの事。会議で簡単な『ポンチ絵』図面があり、現場主義で認識確認ができなかった事を反省したとのコメントであった。

この現場を熟知し、簡単なスケッチ図を的確にかけるかが、安全対応、品質管理では必須であり、合理化のネタにもなってくる。
昨今このような現場力の低下が気になり、どう向上させていくかの解決策を見つけ出さないと、最悪の事態を引き起こす可能性も否めないとの内容であったが、たしかに最近の若い方々は、『黒板メモ』も出来なくなっているような気もする。

文書作成があまりにもコンピューターに頼り過ぎた事の弊害なのかもしれない。
『ヒヤリメモ』や『1ポイント改善メモ』でもっと手書きしないと、ダメなのかもしれない。

次回以下、もう少しまとめていきたい。

<鉄工場での勉強会でのまとめを幹部用にPP化>















・・続く

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日本の製造業 品質管理 / 物を見る力の養成が急務

2018-03-16 13:04:50 | 品質管理
今週の日経朝刊で『きしむ日本の品質』として3回連載されているが、『組織が出来ていない』『トップダウンでなかった』さらには『過剰品質、オーバースペックが問題』と表面的な議論しかなされておらず、『品質管理をする人間がいない』『作業標準書がない』と問題点を経営の課題として言い訳としか思えない記事となっている。

最終の結論で『人手不足を解消しながら、製造現場で働く人材をどう育て技術伝承していくか。日本のメーカーに突きつけられた重い課題だ』と記載されているが、もっと肝心な事があるのではなかろうか。

今世界は、そして日本はコンピューターを使ったIT産業や車の自動運転など、最先端の技術に押し流されているが、それらを構成する機械や、その部品を作るのは製造業であり、ここに携わるのは人間である。
この物を作る、製造業に係る人間の感性が、製品を支え、高品質で安全安心な製品を担保しているという事を今一度思い起こす必要があるかと思う。
この心が日本の製造業を弱くしているのではと常々思っており、この前のブログで『製造業/TPM活動が品質をダメにする』、や『新幹線台車亀裂問題/原点に返った調査が必要』と少し過激なメモを残したが、この日経記事を見て、なおさらその気持ちが強くなった。

日本の製造業での品質を含めた開発力を上げるためには、教育を含め、これからを支える若い人たちが『物を作る楽しみ』を味わう事が出来ない限り、現場力があがり、ここから生まれてくる品質に対する感受性が上がらないのではと感じている。

例えば、45年の会社生活の中で、いつの時代からモンキー(モンキレンチ)が使えない新入社員増えだした。今はメガねレンチを使う事がマニュアルでは必須となっているが、モンキーでボルトを締めさせると、くわえ口の使い方を反対に使う若者がいた。聞いてみると、会社へ入るまでは一度も使った事が無く、作用点の原理すら聞いたことがないとの事であった。我々の時代は、親から教わり、理屈は技術の時間に教わったかと思うが、いまはこのような物作りの原点すら失われている。
化学会社へ勤務していた際、滴定分析の機器が故障し、大卒社員へビュレットで滴定分析を要請したが、活栓の取り扱いを間違い、滴定中に栓を抜いてしまうような事もあったが、これも『活栓は反対側から操作』という事が教育されておらず、安全の原理原則が伝わっていない事が要因であった。

世の中では『教育のゆとり』が叫ばれているが、やはり時間だけの問題であろうか。
会社内も含め、原点に立ち帰った教育が出来ているかという事が心配である。
一時期東京に転勤時、私立大学の実験室での事故が多く、『企業人として安全監査をしてほしい』との要望があり、定年後の生業にでもできないかと考えていたが、今の大学の先生方や、それを支えるスタッフの技術力、さらには安全に対する感性のあまりの低さに、一歩引いてしまった事を思い起こした。

この一つの要因が年代にあるような気もしている。
特に、平成の初めに入社の世代が会社を牽引する事が多くなっているが、この世代はバブルがはじけ、会社と言う組織も海外展開などで大きく変わって行く世代であり、何か『昔の知恵』がうまく伝承されなかったと感じている。
バブル前の景気が上向き加減になって来た時代ではあり、この世代を教育して来た会社組織はどうであっただろうか。
高度成長期で、品質や安全課題を解決し支えて来た団塊の世代は、管理社員でも中堅幹部として部長や課長となり、実際の指導は、平成50年前後の石油ショックで採用を絞った時期の社員が、主任クラスとなり担当したかと思うが、安全や品質での感性(マインド)がきっちり受け継げたであろうか。
この時代はQC活動が一段落し、安全活動も事故が激減したこともあり、ヒヤリハット活動も形骸化し、本来業務を優先した時期ではなかったかと記憶している。このため、平成始めに入社の世代は『ゆとりの世代』と言われたのかもしれない。
このあと、この平成初期世代は、バブル崩壊後管理社員となり、業績向上のための業務管理や、品質管理ではTPM活動が採用される中で、管理目標に対してコミットするだけの世代となってしまったような気もする。

先のモンキーの使い方が判らない世代が、管理目標だけに沿って色々な事を行う。なかなか新しい発想や、探求心を活かしての事が失われた世代かもしれないが、この時代の新入社員を教育したのは、我々、今定年を迎えた世代であり、反省も必要なのではと感じている。我々世代が、もう少し物作りの原点。本質を突くことを教えていれば、この時代ギャップが生まれず、感性の高い会社幹部として成長してくれたのかもしれない。

ここまでは反省であるが、今後はどうすればいいのか。
まずは品質については『現場主義』に戻る事かと考える。

この一つの手法が『なぜなぜ問答』の復活である。
昨今労働時間管理の厳格化が望まれ、昨夜の『残業時間管理』を皮肉ったような警察組織対応のサスペンス番組もあったが、就業時間内でのこれ以上の活動対応は難しいかもしれない。
しかし、今感性を上げることが出来なければ、日本の技術はますます沈没する可能性がある。中小企業の廃業問題と共に、企業でもベテランの定年退社が終盤となり『今しかない』と言う時期に来ているかと思われる。

先のブログで新幹線の台車問題で川崎重工やJR側での原因究明結果が報告されているが、現場力として、こんなメモ(仮に書いてみた)を基に打ち合わせができていれば、削る事だけの問題なのか、さらには、なぜ溶接する必要があるのか、溶接以外の方法は・・と議論が進められたと感じている。



TPM活動では『見える化』と言う言葉で、写真などを使いピンポイントで問題点を決め、解析を行なう事が多いが、現場から毎日上がってくる、3無(『ムダ』『ムリ』『ムラ』)などのメモをもっと見つめなおす必要があるのではないか。
このような、『問題点』『キー』を示すことが出来る事も訓練なのかもしれない。
物を見つめ、感受性を上げる、そこから『危険を危険と感じる』事を教育するのは難しい。
さらには、TPM活動の指示で、写真できれいに。電子保存。共有化・・などとお題目が増えれば、すぐにはやりたく無いかもしれない。

でも安全は待ってくれない。品質も次の工程でなにが起こるか判らない。
このために、『感性を上げる』『ものを見る目を高める』事が重要である。
このための教育として、写真では無くて『ポンチ絵』が良いかと思っているが、これを誰が教え込むかも喫緊の課題なのかもしれない。

話はまた飛んでしまうが、品質偽装問題でデーターが改竄されないようにするため、保管をサーバー等に入れ、抜き出せないようにするとの事であったが、これにも一つ問題点がある。

品質管理で得られるデーターは、確かに品質保証の為のデーターと、製造の安定化を判断するためのデーターとで意味合いで大きく異なってくる。
この点で、今回の『品質データー偽装問題』が疑問である。
一つは『品質保証している数値を妥当化するために書き換えた』という事であり、もう一点は『特採』という品質幅の拡大解釈であるが、この問題が起こったのは現場の責任でとしか、トップの謝罪会見では出てきていない。
今の国会でのゴタゴタデハないが、まさしく『しっぽ切り』の事態であり、なぜこのような事を行う必然性が出て来たのかの釈明がなされていないのは、JRの台車事故と同じなのかもしれない。
品質が管理幅から外れた要因は、あまり言いたくないのかもしれないが、『合理化の一環として製法や原料を変更した』事なのか、たまたまの人的ミスなのかの説明もなく、『改竄』した事や『未報告』だけが表面化して来るだけである。
多分現場的には、品質トレンドから異常を察知し、その中での判断かもしれないが、そのトレンドがどうであったかの解析、『なぜなぜ問答』が重要である。
このためにも、品質データーは、品質保証分は鍵をかける必要があるが、トレンドデーターはオープンにしていかないと、物作りと言う点では弱くなると思われる。

今、QCから上がってくるデーターは、グラフなどでパラメーター毎に一目で見れるが、品質での異常時、相関関係を解析するためには、簡単に取り出せない場合もある。
TPM活動では、『ロスゼロ』で、管理幅や、限界点のデーター管理が主流となっているが、物づくりと言う点で、『なぜそうなったのか』を考えるための情報としては物足りない場合が多い。
製造時多種の原料を使い生産している場合、原料変更や製造変更などでは、品質に表れるデーターも注視していく必要があり、単に規格幅に入って『合格』だけで済まされない場合が多い。

例えば、TPMで作業環境の改善で粉体を反応釜へ仕込時、釜内を負圧にするような場合があるが、製品のpHを自動調整で管理していると、粉体仕込みのアルカリ成分が負圧でスクラバーサイドへ飛散し、実際の反応物の組成となっておらず、最終製品のpHだけは会っていたなどと言う事などもあり、品質とその裏にある製造での問題事項を考え出すヒントとして、品質データーと共に製造のデーターも重要である。
この品質データーも、製品に思いが無いと、何も管理されないままで、ちょっとした振れだけも問題なしと判断を下してしまうかもしれない。

長くなったが、もう一度『なぜなぜ』問答が真剣に出来る人間力を引き戻さない限り、日本の製造業は強くなれないかと考える。

**
このメモを書いている中で、先のJR新幹線/台車亀裂問題が川崎重工以外での製造でも見つかったとの記事を見つけたが、本質に戻っての究明を急いでほしい。
この説明資料にある通り、外から見える所ではなく内部でも亀裂が起こっており、『なぜなぜ』問答をしっかりしてほしい。


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