死んだ猫のミイラ見つけたり、オケラば取ったり
入ったらいかんとやったバッテン遊びよりました。
コーヒーのばんぢろの横の変電所ができる前も空地で
そこぃ「秘密基地」ば作ったりして遊びよりました。
夏休みの宿題で「山笠」ば作ったともこの空地です。
ばんぢろには当時の「西鉄ライオンズ」の主軸選手が
立ち入り、中西のバットやら
おばちゃんの自慢やったです。
ばんぢろのカー坊と福よしのマー坊
歯医者のジロウと一緒に
みんな大概オイしゃんですでに親父はみんな
亡くしました。
今、博多小学校で自分たちの子供山笠は自分の手で・・
と製作しよりますが、私たちが山作ったとが最初です。
その界隈にぷ~んと甘い匂いば漂わせよったとが
味噌煎餅の「梅月堂」です。
工場の窓から鉄格子につかまり
中ばのぞきよったら
「ホラ」て焼きたてのまだ柔い「味噌煎餅」ば
くれよったとが「ミスター古ノ一」K松さんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/db/0b59b2ce197321057a09d661fe26fe07_s.jpg)
醤油煎餅の割れたとば袋いっぱい詰めて
安売りされよったとが好きやったです。
「梅毒堂の糞煎餅」て
囃子歌風に歌うとが面白ぅてよう歌いよったばってん
聞こえたら、おごられます。
ばってん後に、親父と昔話しよったら
「梅毒堂~の糞せんぺぇ~て言うったい」と
何と親父も昔はそげん歌いよったとば聞いたことのあります。
「歴史ば感じます!!」
古門戸、妙楽寺界隈では、人形屋(これはうち)
せんぺぇ屋、ペンキ屋(藤原塗装)、コーヒー屋(ばんぢろ)
「梅毒堂の糞煎餅」はこの界隈ば象徴する囃子歌やったとです
うちの屋上から中州の花火大会ば見るとが
夏の楽しみやったです。
屋上に「ボンボンベッド」もって上がって
「タ~マ~ヤ~」て・・・
玉屋(百貨店)の上に上がりようけん「タ~マ~ヤ~」て
信じとりました。
「梅月堂さんも見よんしゃあ」と
近所も見渡せます。
よう梅月堂の屋上ではトモちゃん(これも今は大概おいしゃん)が
仲間とバーベキューしよりました。
トモちゃんは映画「若大将」のごたって
大学時代アメフトやらしよって将来古ノ一ば
背負う人材やったとぃ、家業継がんで銀行マンに
なったとです。
将来ば担うとは「中山美容室」のN君も一緒
こっちも仕事の関係で山に専任できません
まだこっちは「大黒流」の鼻取のスペシャリストとして
貢献しとりますが・・・
大将はいっつもこれば気にして、
「あたしの不徳といたすところ」といわれよりました。
ばってん大将の息子たちはいっぱい古ノ一に育っとります。
「古ノ一が可愛い」て言う大将の言葉は
これに集約されとります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/05/55929b98b329f6f97dc74b3bacc7faf5.jpg)
※凛々しき大将
あ~涙の出てきたやね~
そげなわけでこげなオイシャンが今年の
古ノ一の取締ば受けないかんごとなりました。
大概歳ですバイ。
昔からの大将ば知る人間として微力ながら
今年は自分なりにやろうと思うとります。
追善山はしっかり梅月堂まで山持っていきます。
「祝いめでたば歌います」
梅月堂の大将の育てた息子たちば
小手に上手に使うて、当番町までの中継ぎば
務めさせていただきます。
皆様よろしゅうお付き合いください・・
こげなローカルなブログは他にありまっせんやろうねぇ