千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

思ひ出(梅月堂)

子供の頃は隣が空地(まだ中山美容室がこられる前)で
死んだ猫のミイラ見つけたり、オケラば取ったり
入ったらいかんとやったバッテン遊びよりました。

コーヒーのばんぢろの横の変電所ができる前も空地で
そこぃ「秘密基地」ば作ったりして遊びよりました。
夏休みの宿題で「山笠」ば作ったともこの空地です。
ばんぢろには当時の「西鉄ライオンズ」の主軸選手が
立ち入り、中西のバットやら
おばちゃんの自慢やったです。

ばんぢろのカー坊と福よしのマー坊
歯医者のジロウと一緒に
みんな大概オイしゃんですでに親父はみんな
亡くしました。

今、博多小学校で自分たちの子供山笠は自分の手で・・
と製作しよりますが、私たちが山作ったとが最初です。

その界隈にぷ~んと甘い匂いば漂わせよったとが
味噌煎餅の「梅月堂」です。

工場の窓から鉄格子につかまり
中ばのぞきよったら
「ホラ」て焼きたてのまだ柔い「味噌煎餅」ば
くれよったとが「ミスター古ノ一」K松さんです。


醤油煎餅の割れたとば袋いっぱい詰めて
安売りされよったとが好きやったです。

「梅毒堂の糞煎餅」て
囃子歌風に歌うとが面白ぅてよう歌いよったばってん
聞こえたら、おごられます。

ばってん後に、親父と昔話しよったら
「梅毒堂~の糞せんぺぇ~て言うったい」と
何と親父も昔はそげん歌いよったとば聞いたことのあります。
「歴史ば感じます!!」

古門戸、妙楽寺界隈では、人形屋(これはうち)
せんぺぇ屋、ペンキ屋(藤原塗装)、コーヒー屋(ばんぢろ)

「梅毒堂の糞煎餅」はこの界隈ば象徴する囃子歌やったとです

うちの屋上から中州の花火大会ば見るとが
夏の楽しみやったです。
屋上に「ボンボンベッド」もって上がって
「タ~マ~ヤ~」て・・・
玉屋(百貨店)の上に上がりようけん「タ~マ~ヤ~」て
信じとりました。

「梅月堂さんも見よんしゃあ」と
近所も見渡せます。

よう梅月堂の屋上ではトモちゃん(これも今は大概おいしゃん)が
仲間とバーベキューしよりました。

トモちゃんは映画「若大将」のごたって
大学時代アメフトやらしよって将来古ノ一ば
背負う人材やったとぃ、家業継がんで銀行マンに
なったとです。
将来ば担うとは「中山美容室」のN君も一緒
こっちも仕事の関係で山に専任できません
まだこっちは「大黒流」の鼻取のスペシャリストとして
貢献しとりますが・・・



大将はいっつもこれば気にして、
「あたしの不徳といたすところ」といわれよりました。

ばってん大将の息子たちはいっぱい古ノ一に育っとります。
「古ノ一が可愛い」て言う大将の言葉は
これに集約されとります。

※凛々しき大将
あ~涙の出てきたやね~


そげなわけでこげなオイシャンが今年の
古ノ一の取締ば受けないかんごとなりました。
大概歳ですバイ。
昔からの大将ば知る人間として微力ながら
今年は自分なりにやろうと思うとります。
追善山はしっかり梅月堂まで山持っていきます。
「祝いめでたば歌います」

梅月堂の大将の育てた息子たちば
小手に上手に使うて、当番町までの中継ぎば
務めさせていただきます。

皆様よろしゅうお付き合いください・・

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コメント一覧

千鳥足
元古ノ2住民様
好き勝手つれづれに書いとります。
ご笑読ください。

古ノ二の西岡さん(深見さんの隣廃品回収業)の並びで土居筋に近いところに
一時ラーメン屋さんのありました。(S30年代やと思います)今のごと豚骨ラーメンやなくて
普通のラーメン。初めてラーメンば食べたとがここのラーメンです。
誰も覚えとりませんが
私のラーメンのルーツです。
たしか出前しよんしゃった・・・・
元古ノ2住民
 こげなローカルな話題やけん、見よる人もおるかもよ。
珈琲屋も梅月堂もなつかしいね~

実家に帰ったときに娘に食べさせるお菓子は、石村萬盛堂
やなくて梅月堂のやつやもんね。

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