全体的には若き侍・都築杢之進(池松壮亮)の武士としてのあり方の葛藤を通して、非暴力を貫けるかどうかというテーマが重くのしかかってくる作品でした。それを後押しするかのように、塚本監督らしい重厚な音楽によって観客に疑問符を投げかけてきた。塚本監督初の時代劇ではあるが、普通ならば主人公が仇討ちシーンで大活躍するところを、人を斬ることができないでいるアンチヒロイズムを描いているのだ。
21世紀になってから、藤沢周平原作の映画が時代劇の主流とさえ思えてくるのですが、テレビ時代劇と違って、滅多に人を斬ることはなかったというのが平穏な江戸時代の常識となってきている。もしかすると、杢之進のように実際に人を斬るのが怖かった武士も少なくなかったのではないかと想像できます。
平和そのものの村での出来事。「悪い奴らにしか悪いことをしない」というのがモットーである浪人集団が村のはずれに居座っていた。見た目が怖いだけだから大丈夫だと杢之進は伝えるが、ちょっとした小競り合いで、ゆう(蒼井優)の弟・市助(前田隆成)が泥まみれになってしまい、村人たちは退治してほしいと懇願する。動乱に参加することに意欲的な澤村(塚本晋也)が一人を残して全員切り殺してしまい、その生き残りの源田(中村達也)が復讐に燃え、新たな仲間を引き連れて、ある村人一家を惨殺してしまうのだ。
復讐の連鎖。憎しみは連鎖して永遠に繰り返される。待ってましたと言わんばかりの澤村は杢之進に源田たちを斬らせようとするのだが、杢之進は真剣を抜くことができない。想いをよせるゆうがレイプされる現場を目の当たりにしても斬れないのだ・・・。怒りは常に持っていたのだろうけど、タガが外れると、殺人鬼になってしまいそうな自分が怖い(想像だけど)。
『野火』のときに感じた、塚本晋也の思い。平和な世の中になぜだか不穏な空気があること。また、武士道の美学をカッコよく描くのではなく、無様にリアリズム満載で描き、人間の本質まで追求しているようだった。自慰や指フェラで満足するのもリアル。村で暮らさなくてはならないのも忠義心が欠如した証左だ。澤村が「公儀のお役に」と言ってたことも、杢之進と対照的に描かれていて、忠誠心があるがために暴力をもいとわないという構図が見事に描かれていた。
★★★★★
21世紀になってから、藤沢周平原作の映画が時代劇の主流とさえ思えてくるのですが、テレビ時代劇と違って、滅多に人を斬ることはなかったというのが平穏な江戸時代の常識となってきている。もしかすると、杢之進のように実際に人を斬るのが怖かった武士も少なくなかったのではないかと想像できます。
平和そのものの村での出来事。「悪い奴らにしか悪いことをしない」というのがモットーである浪人集団が村のはずれに居座っていた。見た目が怖いだけだから大丈夫だと杢之進は伝えるが、ちょっとした小競り合いで、ゆう(蒼井優)の弟・市助(前田隆成)が泥まみれになってしまい、村人たちは退治してほしいと懇願する。動乱に参加することに意欲的な澤村(塚本晋也)が一人を残して全員切り殺してしまい、その生き残りの源田(中村達也)が復讐に燃え、新たな仲間を引き連れて、ある村人一家を惨殺してしまうのだ。
復讐の連鎖。憎しみは連鎖して永遠に繰り返される。待ってましたと言わんばかりの澤村は杢之進に源田たちを斬らせようとするのだが、杢之進は真剣を抜くことができない。想いをよせるゆうがレイプされる現場を目の当たりにしても斬れないのだ・・・。怒りは常に持っていたのだろうけど、タガが外れると、殺人鬼になってしまいそうな自分が怖い(想像だけど)。
『野火』のときに感じた、塚本晋也の思い。平和な世の中になぜだか不穏な空気があること。また、武士道の美学をカッコよく描くのではなく、無様にリアリズム満載で描き、人間の本質まで追求しているようだった。自慰や指フェラで満足するのもリアル。村で暮らさなくてはならないのも忠義心が欠如した証左だ。澤村が「公儀のお役に」と言ってたことも、杢之進と対照的に描かれていて、忠誠心があるがために暴力をもいとわないという構図が見事に描かれていた。
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