一番印象に残ってるのが、初監督を任された吉積めぐみ作品「浦島太郎?」が若松孝二監督に認められなかったときに見せた涙。最初はフーテンの自分を拾ってくれた若松プロで何気なく助監督を続けていためぐみだったが、自分の目標をやっと見つけたと思ったら、これだもん。ちょっとした青春の挫折感がいい具合に描かれていた。涙を見せるシーンは何ヵ所かあったのですが、男社会の紅一点という立場を乗り越える健気なところが素敵でした。
足立(山本浩司)からすれば、女を捨てたと思われていた吉積めぐみ(門脇麦)。しかし、映画製作にのめり込む過程で何かが変化していた。映画への情熱、大手とは違った湧き出るような創造力。ピンク映画中心ではあったが、それらはすべて資金のためであり、難解であるがため評判が良くなった若松プロ作品の奥底にある体制批判や、映画からにじみ出るエネルギーを皆が共有していたのだ。エロ目的で映画を観る人は所詮エロどまり。映画に隠されたテーマやメッセージはなかなか気づいてくれないもどかしさは現代にも通じていると思う。
時代背景からして、学生運動華やかなる時代。しかし、インターナショナルを歌わなかった若松孝二。彼は映画を通してのみ自らの思いを発する手段として使っていたことがわかる。同門の助監督たちはその意思をくみ取り、富士山を天皇と見立てたり、体制批判の精神だけは忘れなかった。しかし、助監督から監督へと道を進むにつれ、主人公めぐみの心は複雑に揺れていた。
カンヌ映画祭へと招待され、ついでにパレスチナの現状を撮ろうとする若松、足立。「パレッチナ」と発音するところが何ともユニーク。同時にその映像を映画化されてないのは、ハリウッドはユダヤ系が多いためだという現実も伝えられる。そこからは映画製作よりも活動拠点として赤バスを走らせるなど、政治的ニュアンスが強くなっていく。そんなときに思いがけない妊娠に気づいためぐみ。彼女が死を選んだ理由はよくわからなかったが、簡単には答えは見つからないような内容でした。
赤塚不二夫や大島渚といった著名人も顔を出し、三島由紀夫の自決シーンも大きな意味を持ってくる。死んでしまったらおしまいだけど、死ぬまでに何を残せるかという人間の背負った運命をも感じさせてくれた。
★★★★
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