今日はあの忌わしき東日本大震災から一年目です。
14時46分に鎮魂の祈りを込めて1分の黙祷を致しました。
あの日はこの世にもういない父親を病院へ入院の為連れて行った日でした。
雨は降っていなかったと思いますが寒かった記憶があります。
何故か思い出せないのですが足らないものが有り家に戻って大震災の事を知ったのです。
最初、何だか良く分からずに・・呆然とテレビを見ていました。
車が津波に・・ 家やビルが津波に・・ あの光景は一生忘れません。
と言うか、あの日以来・・父は家に戻ることが無かったことと重なるのです。
あの大震災に更に追い討ちをかけて原発です。
あの近くのいわき市に40年来の親友が住んでいます。
電話は通じない。メールも行かない。
最後にショートメールを翌日送って、やっと連絡が取れました。
みんな、無事だと確認できたのでした。
そんな日々から早や一年目の今日、感動の文面と映像を見たのです。
映像はどうにもなりませんが・・ 文面はここへ貼ります。
昨年3月24日、気仙沼市階上(はしがみ)中学校の体育館で卒業式が行われました。
卒業生答辞は梶原裕太(かじわらゆうた)さんが行いました。
涙を必死に堪え・・答辞を述べる梶原さんの姿を見て涙が流れました。。
答辞全文
『階上中学校と言えば防災教育と言われ内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた私達でした。しかし、自然の猛威の前には
人間の力はあまりにも無力で私達から大切なものを容赦なく奪って
いきました。天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。
つらくて悔しくてたまりません。しかし、苦境にあっても
天を恨まず運命に耐え、助けあって
生きて行くことがこれからの私達の使命です』
星に祈りを・・
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