黒田官兵衛はまさに黒子である。と言うか御輿の担ぎ手と言ってよい。秀吉とまさに二人三脚で天下を取るまでは輝かしい黒子、担ぎ手だった。信長や秀吉のために荒木村重の有岡城に行き、一年間も幽閉されてしまう。特に秀吉とは非常に強い信頼関係でこのときに結ばれたのではないかと思う。
秀吉が天下を取った瞬間から石田三成という新しい担ぎ手が出てきて秀吉はそちらの御輿に乗ることを選んでしまった。時がたてばその信頼も薄れ、三成の御輿を選んだ秀吉に愛想がついたのではないか。御輿に乗る人のいない担ぎ手は寂しいものだ。
官兵衛は享年59だが、秀吉は61、家康は73で戦で死ななかった武将にしては短命ある。私は有岡城で幽閉されたことが、彼の短命につながったのではないかと思う。歴史に「もし」や「たら」はないと言うが、有岡城にもし行かなかったらもっと長生きをして、秀吉に死後、誰に遠慮することもなく天下に近づいたかもしれない。もちろんそれを彼が望んだか私は知らない。
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