京都洛北で回ったところは、皇室、公家、仏教、武家や文人好みの文化が咲き誇っていた。しかしそのような優美なところばかりではない。今日行く今日のいわゆる街中は戦国や幕末の動乱の渦中にあった場所だ。
阪急西院駅を降り、嵐電線路沿いを歩くと新選組壬生屯所跡八木家に着く。青色の幕と「誠」と書かれた旗が新選組を忍ばせる。新選組ゆかりの寺である壬生寺がある。新選組は外国でも有名なのか早朝から外国人の姿が多く見かけた。
そこから東に行くと多くの寺院の中に新選組隊士が眠る墓地、光縁寺がある。隊士ゆかりの人はお参りしてよいが観光客や見学者は遠慮してもらいたい旨のボードがかけられていた。
四条通、大宮通を渡って北に行くと龍馬とお龍ゆかりの神社、武信稲荷神社が見えてくる。金網に守られた狛犬ならぬキツネが何とも稲荷の雰囲気を醸し出している。龍の形をしたエノキが何とも言えない。参拝後すぐに聖徳太子が開いた六角の寺、六角堂にむかう。
堀川通、烏丸通を渡りぶらぶら歩いているとようやくついた。柳が印象的。確かに六角の寺は印象的。コンクリートのビル群の中に太子ゆかりの寺がある、これが京都だと勝手に興奮。
このまま本能寺に行ってもよいが、確か現在の本能寺と信長横死の本能寺と配置が違うはず、旧法能寺跡があるはずと思い、ぶらぶらするがなかなか探せない。京都に詳しい友達にLINEで聞くとだいたいの位置を教えてくれた。元本能寺のついた地名の小川通蛸薬師に旧本能寺跡を示す石碑があった。持つべきものはよき友だ。
修学旅行生に囲まれた現在の本能寺を参拝して、新選組が尊攘派を襲撃した池田屋騒動之跡に行ってみた。現在でも旅籠茶屋を営んで、その騒動を知らせる看板まである。
近くを流れる高瀬川を散歩して龍馬が海援隊京都本部を置いた材木商の酢屋を見に行った。このように歴史の渦に巻かれていた京都を堪能できたが、そういえば京都はよく現代ドラマのロケにも使われた。テレ朝系「これ主婦の勘」というセリフで有名なドラマでよく使われていた古川町商店街は地下鉄で一駅。色とりどりの丸いちょうちんが心を和ませる。