香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ

2007年12月03日 21時11分55秒 | Weblog
 まったく不自由極まりない!せっかく書いたのに何度も更新の前に消えてしまうなんて!!
まっ新しい体制がほぼ始まったのだからまっいいか!!!
 もう師走ですね!もうくどくど書くのは無しにしてすっきり書くので、まじめに参考に自己改革の手助けにしたほうがいいですよ!ただし、くれぐれも逆切れで、私に釈迦に説法はやめてくださいね。

 マタイによる福音書4章続き
 四人の漁師を弟子にする
 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
 おびただしい病人をいやす
 イエスは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。

*****やっぱり理想的な初期の様子が感じられて、多くの人々に魅力的な主ですよね!!私のヒントはかなり大切なんですよ実は!*****

 では恒例の私たち日本人の身勝手な比較文化、昭和天皇陛下の歴史教科書講談社版「国史」から続き
 難波から河内国に入り、竜田をこえて大和へ入ろうとしましたところ、山がけわしくてすすみたかったものですから、道をかえ、イコマ山にむかいました。大和ではクニツカミナガスネ彦がニギハヤヒノ命をいただき勢いを振るっていましたが、ワカミケヌノ命の軍勢が大和に進んでくるときいて、兵をだしイコマ山の山道を防いでいました。その兵たちは強く、兄イツセノ命は流れ矢にあたり、形勢が不利になったため、兵を集めて船にもどり、海へでました。イツセノ命が傷の血を洗われた和泉灘は血沼海とよばれるようになりました。 一行は、ふたたび出帆の用意をし、海路、紀国の熊野へむかいました。日の神の子孫であるのに、お日さまのほうにむけて矢を射かけたのがまちがいであったとさとり、今度は日を背に受けて戦うことにしたのです。 イツセノ命は傷がもとで船中でなくなられ、紀国の竈山に葬られました。熊野灘では命の軍勢ののった船が暴風雨におそわれました。大波にもまれ風は吹きつのります。ワカミケヌノ命の兄イナヒノ命とミケイリヌノ命は、「われわれは天神の子孫であるのに、海はなぜわれらを苦しめるのか」と申して、暴風雨をしずめるために、剣を抜き激浪に身を投じられました。すると風はなぎ、船は熊野浦につくことができました。

*****奇跡の意味について考えましょうね!!ちょっと偏屈な奇跡の起こし方でしょう!もし、イエス様ならここは?・・・・!!!では皆さんお元気で!!!