香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  ルカによる福音書から

2014年12月24日 14時38分00秒 | Weblog
こんにちは。

さて、私が、いつの間にか、「ですます調」の文を、やめ、「である調」になった。

これは、私自身の、結婚への意欲の表れ、または、社会生活への意欲の表れとも言えそうだ。

あんなにも夢中であった、ミサへの出席と、そこからの神の御旨を、知ることから、

自分自身による、日々の祈りと聖書読書からの、神のみ旨を、知るために、自分自身の、日々の生活を、

第一にするように変わった。

多分、これは良い事だ。


実際に、ミサの出席者同士の深い心の交流は、本来、当たり前のはずだが、

それが、現実には、起こらない。


原因が、敗戦後の、天皇制(変な意味ではなく真面目に皇室の心配もしている)によるとも、

政治的反体制?者たちによるとも言えない、深いものが、ありそうでもある。


それ故、私は、この問題を、後世に、託して、自分自身は、精一杯の誠実を、生き抜こうと思う。

とは言え、私にも、かなり、ゆとりが、あった「郵政事務官としての主任」時代を含めて、

以前は、自分の結婚についての判断や準備が、甘かったものと思う。

だから、きっと、自他共に、記憶に残らなかった、自分自身の結婚に対する失敗が、あったことだろうと思う。



しかし、それは、問題にしようがないので、棚上げにして、神に委ねるとして、私のカトリック「幸せな結婚」

講座の一節に、良い文章が、あるので、紹介して、今日の更新を終える。




『しかし、一生を愛に生き抜くつもりでいても、やはり弱い私たちはその不安定さを否定しきれません。

この私たちの本性的弱さを補うものは、限界ある人間同士の愛では足りないのです。二人の愛は、愛そのものに

まします神の愛に支えられ、共に神の愛に向かい、この三者の愛がしっかりと結ばれ、育てられるとき、夫婦の愛は

想像もできないほど強められ、たくましく成長し、結婚生活は愛の泉となってくるのです。自分たちの愛を保持させる

ものは、この地上には「二人と神」の三者、これ以外だれもいません。』


という訳で、『反キリスト』が、かなり、致命的な不和であることを、ここに指摘し、

長いこと私が、女性たちに囲まれた職場にいても、コミュニケーション不足を、嘆いたことは、

決して、私、自身が「性的な欠陥者」・・「性愛への異常な郷愁者」であるかのような問題によるものではなく、

多くのことを、結婚すべき女性と話し合い、共有したかったことを、ここに、記して、今日の更新を、終わる。


Pietro Francisco Xavier Francisco

Hiroyuki Sawaguti.